なにごとも、原著にあたることは重要である。
名言格言ネットミーム、みなが口々に引用するものの中には、もともとは違う意味で使われていたり、偉人の名言とされているものでも実はその偉人が言っていなかったりすることがある。後者の代表例としてヴォルテール(1)と野原ひろし(2)を挙げたい。
さて、このTwitter界で広く使われている〈「脚本の人 そこまで考えてないと思うよ」「真顔でなんてこと言うの千代ちゃん」〉という格言について原著にあたってみた。
原著である『月刊少女野崎くん6巻』を紐解いてみると、この格言は【第60号】の冒頭に登場しており、たしかに作者・椿いづみ氏の名言であることが確認された。
原著を読み進むうちに、気づいたことが2つあるので述べる。
一つ目は、「そりゃ俺だってできることなら浪漫学園に転生してえよ」ということである。これには異論もないと思われるが、2024年も大変な年であったということだけは書き添えておきたい。
気づきの2つ目は、この格言は「創造の神」についてのものであるということだ。
実際には脚本家はいろいろと考えながらその脚本世界を構築してゆくわけだが、脚本家をはじめとしたクリエイターというものは、おそらくある瞬間に「降りてくる」ことがあるのだろう。
自分の意識を超えたところで、新しいアイディアが湧いてくる。あるいは当初考えていなかった設定が、あたかも元から存在していたかのように創作の中で立ち上がってくる。
自分で読み返したり、読者から指摘されてその設定に気づく。指摘されてはじめて、「ああ、オレはそんなことを考えていたのか。書いて/描いている時には全然気づかなかった」と自分で驚嘆する。そんなことが、クリエイターにはあるのではないだろうか。
対話を求めてアテナイのさまざまな人々を訪ね歩いたソクラテスがこんなことを言っている。
〈政治家の次には、悲劇作家やディデュランボスの作家や、その他の作家(詩人)のところへ行ったのだが、そこで私が彼らよりも知恵がないことを現場で取り押さえられるであろうと思っていた。そこで、彼らによってもっとも入念に作られたと私に思えた作品を取り上げ、それらが何をいおうとしているのかを詳しくたずねた。(略)
(略)彼らが作品を作ったのは、知恵によってではなく、何か生まれつきのものによるのであり、宣託を述べる人や予言者のように神がかりになっているからだということである。(略)〉(プラトン『ソクラテスの弁明』角川選書p.65-66)
すなわち、創作や詩作には計算づくを超えた、まさに天啓としか言いえないような瞬間があり、なぜそうしたかはクリエイターですら説明できなかったりするのだとソクラテスは指摘しているわけである。
『月刊少女野崎くん』は、神なき時代にもクリエイションの世界には天啓、神の啓示というものが存在していることをおごそかに告げているのである。
それを端的に示しているのが、かの有名な格言、〈「脚本の人 そこまで考えてないと思うよ」〉なのである。
-2024年消滅まで 残りあと89時間-
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