2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧
「ひどいです!」「私、怒っていますよ!」「もうたくさん!」「いいかげんにして。」「もう我慢できない。」次から次へと言葉が耳に流れ込んでくる。ぼくは口を開くことなく、じっと耳を傾けた。 「諸君!今日は君たちに」思いは10代に飛ぶ。教壇で、K先生…
〈(略)私はシカゴ大学を訪れ、学長のロバート・メイナード・ハッチンスにどう不安に対処しているのか訊ねてみた。彼はこう答えた。「いつでも、シアーズ・ローバック社の社長だった、故ジュリアス・ローゼンウォルドのアドバイス、『レモンがあるならレモ…
そのm&m'sには、決して茶色を入れてはいけない。彼らも、命懸けなのだから。仕事の良し悪しの多くは、仕事相手にかかっている。一緒に仕事する同僚やクライアント、顧客が良識ある人々だったりきっちり約束を守る人たちだちだったら気持ちよく仕事ができるし…
古代ローマから続く迷信に「ダチョウは脅威が近づくと砂の中に頭を隠す」というものがある。頭を隠せば体全体が隠れると思うのか、見なければ脅威も消え失せると思うのか、実際には迷信だそうだが、英語だと「He is hiding his head like an ostrich」という…
世を渡っているとよく自転車置き場の屋根にぶつかる。正確に言うと、自転車置き場の屋根の議論にぶつかるのだが。 自転車置き場の議論は英語だと「bikeshed discussion」という。平たく言うと、瑣末なことほど議論が紛糾する現象だ。たとえば原子力発電所を…
2020年5月18日アゴラにこんな記事が。 agora-web.jp 批判したいだけの記事で、日本社会にとって、非常に有害な記事かと。 どこが間違っているか、順不同で。 ・人類が新型コロナと遭遇したのは2019年末で、まだ半年しか経っていない。ウイルスの正体も付き合…
デキる官僚や医者にとって、「官僚っぽくない」「医者っぽくない」というのが時としてほめ言葉として成立する。 www.hirokatz.jp その理由を考え続けている。 一つには、Tさんが指摘していた通り、特別感が出るということだろう。「官僚」「医者」というカテ…
その答えはまたもやかのレバノン人からもたらされた。 ほめ言葉研究の第一人者である祐川京子氏によると、ほめ言葉にも業界別のほめ言葉があるという。祐川氏によれば、官僚向けのほめ言葉の一つは、「◯◯さんって、なんか官僚っぽくないですね」である。 [決…
「我より古(いにしえ)を為す」。 鎖国の世に、手探りで蘭学を学んだ先人たちのことを、福沢諭吉翁が書いている(『慶應義塾の記』)。書籍もなく、ともに学ぶ友も身近にいない彼らは、遠く長崎をたずね、オランダ人と会えば教えを乞い、そうして蘭学を打ち…
先に申し上げておくと、今日の結論は、「わからない」である。少なくとも現時点では。ここ数ヶ月ずっと知りたくて仕方がないのは、「なぜ欧米ではあれだけ新型コロナで人が死んでいるのに、日本はこの程度で済んでいるのか」ということだ。 【毎日更新】新型…
「三密」無き世で、悲しみや悩みはどう語られていくのだろうか。 〈「いったい悲しみってやつは人生の親戚なのかね。柔らかいおべべにくるまっている人の家にも住んでいるし、名声輝く人の隣にもちゃんと坐っている。(略)」〉(メナンドロス。プルタルコス…
落とし穴というのはどこにでもあって、手段と目的の取り違えというのもその一つだ。 コロナ禍の中、医療者の「命懸け」の医療活動を賞賛する動きが国内外で見られるが、「命懸け」せざるを得ないというのはいわば手段、プロセスであって、そこにばかりフォー…
コロナ禍の中で医者稼業をしていると、時折「命懸けのお仕事ありがとう!」と声をかけていただくことがある。その時はありがたくお言葉をいただくが、二つばかり告白しなければならないことがある。小さな告白と大きな告白だ。 小さな告白のほうは、ぼく自身…
教訓とかオチとかなくて、だらだらと感慨だけの話。もし1970年代前後生まれの人が少しばかり共感していただければそれ以上の喜びはありませぬ。休校措置が長引いて我が子たちが動画ばっかり見てやがるので、さすがにこれはいかんと思っていろいろ思案しまし…
コロナ禍が過ぎ去ったあとの「ニューノーマル(新常態)」論が賑やかだ。専門家会議から、ウィズコロナ時代の「新しい生活様式」も提唱された。 コロナ禍が過ぎ去るのはいつかわからないが、コロナ後の世の中を考えると、個人的には、しばらくしたらみないろ…
「中二階の人」。2000年代前半に、勢古浩爾がそんなことを書いている(『ぶざまな人生』洋泉社新書y 2002年 p.171-175)。非僧非俗と自らを称した親鸞の話を皮切りに、いわゆる知識人でもなく明朗快活ないわゆる大衆でもない、あえて中途半端な位置に自分を…