その答えはまたもやかのレバノン人からもたらされた。
ほめ言葉研究の第一人者である祐川京子氏によると、ほめ言葉にも業界別のほめ言葉があるという。
祐川氏によれば、官僚向けのほめ言葉の一つは、「◯◯さんって、なんか官僚っぽくないですね」である。
ほめ言葉にもTPOがあるのでいつでも有効なわけではないが、たしかに「◯◯さんって官僚っぽくないですね」と言われると、いわゆるデキる官僚の方ほど「そうかい?よく言われる」とまんざらでもなさそうである。
同じ現象は医療界でも当てはまる。
ある種の医者は、「△△先生ってなんか医者っぽくないですね」と言われると喜ぶ。ある種って何だ。
そしてこれまた、いわゆるデキる医者ほど「医者っぽくない」と言われると喜ぶ(こう書いておけばカドも立たないだろう)。
デキる官僚、デキる医者ほど「官僚らしくない」「医者らしくない」と言われると喜ぶ現象はなんなのか、その理由はなぜか。ナゾは深まるばかりだ。
我々はそのナゾを確かめるためにアマゾンの奥地に向かいたいところだが今週は忙しいしな、と思っていたところでレバノン出身の賢人の言葉に出くわした。自称NNT、ナシム・ニコラス・タレブである。
タレブは「不確実性」を扱った一連の著作の最新刊『身銭を切れ(原題 SKIN IN THE GAME)』で、こんな命題を論じている。
いかにもエリート外科医然とした銀縁眼鏡でスマート、髪型もピシッと整い有名医大の卒業証書を診察室に誇らしげに飾っている外科医と、身なりも構わないだらしなそうな小太りの外科医、あなたならどちらに手術してもらいたいか、と。
タレブの答えは後者。なぜなら、腕が悪い外科医は生き残れないはずだから。前者はそのスマートなルックスと学歴でプラスアルファの印象を患者に与え、もしかしたら腕の悪さをかさ上げしているかもしれないが、後者はまさに腕一本で生き残ってきたはず。
だから腕の確かなのは「外科医らしくない」外科医だ、というのがタレブの推論だ。
このタレブの推論には穴があって、外科医然とした外科医と「外科医らしくない」外科医の両者とも、「生き残る」くらいの最低限の腕(とルックス)はあるだろう。両者ともミニマムのハードルは超えているのは明らかだが、その上でどちらがより腕が上かというマキシマムの評価はしていない。だからどちらがより腕が上かというのはわからない、というのが正解だ(*)。
だが、タレブのこの示唆は冒頭の、なぜデキる官僚や医者は「官僚らしくない」「医者らしくない」というほめ言葉により喜ぶか、というナゾを解き明かしてくれる。
つまり、デキる官僚や医者には、「生き残る」ために「官僚らしさ」や「医者らしさ」というルックスや雰囲気という助けは不要、ということではなかろうか。「官僚らしさ」や「医者らしさ」がなくとも自分は腕一本でここまで生き残れた、むしろ積極的に「官僚らしさ」「医者らしさ」を打ち捨ててもビクともしない実力が自分にはある、という自負心を刺激するからこそ、「らしくない」というのがほめ言葉として成立するのではなかろうか。
そう言えば法曹界にも「らしくない」で知られる人がいる。
ありのままの姿をさらす勇気と、汚れのない純白な心とファッションで知られるあの人も、業界の人に聞くと「いやーあの人は優秀ですよ」という評価が必ず返ってくる。
まさに「法曹らしくないデキる人」という感じだが、やはり人前では服は着たほうが良いと思う。
(*)友人Aより、タレブ自身が「らしくない」と言われて喜ぶタイプだということ、また大失敗するリスクを避けつつあわよくば大成功したいタイプであり、手術においても大失敗するリスクを重視し、マキシマムは求めていないのであろうという指摘があった。なるほど、確かに。