外科医が蝶ネクタイをしてたわけ。

もし自分が主治医を選ぶとしたら、ナシーム・ニコラス・タレブは言う。
いかにも医者みたいな、〈銀縁のメガネ、すらっとした体格、繊細な手、落ち着いた話し方、上品な身ぶり、整えられた白髪。映画で外科医になりきるとしたら、こういうイメージだ。〉みたいな医者ではなく、〈ぽっちゃりとした体格、ずんぐりとした手、下品な話し方、だらしのない格好。〉、そんな医者を選ぶ、そうタレブは書く(〈 〉内引用は『身銭を切れ』ダイヤモンド社p.270)。
 
なぜか。
〈それらしい見た目をしていない人は、その職業で(ある程度)成功していると仮定した場合、イメージ面で大きなハンデを乗り越えてきたということだから。(略)現実は見た目をいっさい考慮しないわけだから。〉(前掲載書p.271)
要は医者っぽく見えなくても医者としてやって来られたのだから、そういう人のほうが腕はいいはずだ、というのがタレブ仮説である。
 
実際には、医者の仕事もある種の接客業的なところがあるので見た目も大事だ。
「入院している身内が具合が悪くなって深夜に病院に行ったら、当直の医者が白衣の下に赤いポロシャツ着て出てきたのよ、信じられない。10年以上前だけど、いまだに忘れられないわ」と言われたことがある。
当直ドクターの言い分もあるだろうが、医者も見た目で判断される、という例としてぼくは記憶している(それにしても何でわざわざ赤いポロシャツだったのだろう。赤いシャツを着ると健康に良いなんてことを漱石の本で読んだのだろうか)。
 
西洋で医者が白衣を着るようになったのは19世紀後半からだという(古代インドでは白い衣装をまとっていたらしい)。それまでは神の下での仕事として黒いフロックコートが医者の正装だった。
だがこのころ医学に革命が起こり、医業は秘伝の術ではなく科学だ、という認識が広がった。医術から医学への進歩である。
医学は秘伝の術ではなく科学なのだから、実験室の研究者と同じように白衣(実験着)を着るべきだというのが医者が白衣を着るようになった理由の一つだという(栗原宏『医師の身だしなみに関する研究:患者視点と医学生視点の比較・検討』2014 p.2-3)。
 
ぼく自身は先達の教えに従い、白衣にワイシャツネクタイを仕事上のユニフォームとしている。
所属している医師グループ(医局というやつですね)では何十年も前から「患者と医者は対等であり、失礼のないよう医者はネクタイ・革靴着用」と課してきたのだ。
 
もっとも、医者のユニフォームとして何が一番よいのかはわからない。
ある外科医は、常に蝶ネクタイをしていた(本当)。その理由はこんな感じだった。
「君のネクタイは毎日洗濯してるかね?してないだろう。だったらバイキンがいるかもしれない。
外科医の仕事では傷の処置もあるし、そんなときにダランとネクタイが垂れ下がってもいけない。だから私は蝶ネクタイをしている。
いつでも患者さんの安全と清潔操作を心がける。バイキンがいるかもしれないものはいっさい身につけない。それが外科医というものさ」
そう胸を張ったそのドクターの首もとにはひときわ大きな蝶ネクタイが輝いていた。
そのかわり彼は常に全裸で、いつも股間を銀のお盆で隠しながら回診していたのは良い思い出である(ウソですごめんなさい)。

 

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