ミレニアル世代、Z世代にとって現代日本社会は『進撃の巨人』だ仮説。

先日、先輩のYさんとミレニアル世代の話をしたので忘れないうちに覚え書き。あやふやな印象論にとどまることを明記しておく。
 
2000年代に成人した、1980年代生まれの世代をミレニアル世代という。
その下の、1990年代後半生まれをZ世代と呼び、それぞれの特徴が言われている。
 
Z世代はデジタルネイティブなどといわれ、生まれたときからデジタル技術がそこにある。
団塊ジュニア世代のぼくから見ると、Z世代のつくり音楽を見ていると、youtubeネイティブでありボカロネイティブでありラップネイティブだと感じる。
 
youtubeがあれば渋谷のエル・スールレコードとかに行かずとも世界中の音楽に触れられるし、ディスク・ユニオンに行かずとも過去の名曲をいくらでも(ほんとはいくらでもは嘘だが)掘れる。
あいみょんや藤井風とかの持つ驚くほど豊富な音楽的文脈を見ると、youtubeでフラットに古今東西の名曲を吸収できる世代の深みを感じる。
またyoutubeとボカロ技術があれば、人見知りで“コミュ障”なアーティストも活躍できる。バンドやる場合の人間関係とか、ライブハウスを押さえてチケットのノルマをさばくとか、そうしたことに煩わされずに表現欲を満たすことができ、才能があれば認められる。言うまでもなく、ハチがあっての米津玄師だ。名前を返上しちゃったけど、ぼくりりもインタビューでボカロネイティブだと言っていたと思う。
また、いとうせいこうや近田春夫やKダブやクレイジーAや宇多丸が、どうやって日本語をビートに乗せようか試行錯誤したり、韻踏まねえのはラップじゃねえとm-floがdisられたりした時代に比べ、Z世代は息をするようにフロウかましてすごい(知ったかぶりです)。で、上の世代がミレニアル世代、Z世代を語る時に今まで見落とされていたのが「いまや日本の若者は数の上でマイノリティである」という視点だ。
 
このことに気づかさせてくれたのが2021年3月5日の現代ビジネスの鮎川ぱて氏の論考<「うっせぇわ」を聞いた30代以上が犯している、致命的な「勘違い」>である。世代を論じるうえで必読の論考だと思う。
上掲論考において、鮎川氏はこう言う。
いわゆるLGBTQ、性的マイノリティは人口の8~10%といわれるが、一方で日本の若者(10~19歳)の割合は、全人口の約8%である。つまり、少子高齢化の日本では、若者は性的マイノリティよりもさらにマイノリティであり、だからこそ若者は性的マイノリティの置かれた立場にも敏感なのだ、と。
 
この、若者は現代日本においてマイノリティであるという視点があるのとないのでは世代論が全く異なってくる。
旧来の若者像では、古臭い権威を若さと「数」で次々と覆し新しい世界を作る、挑戦者たちというイメージがあった。
しかし現代日本では、古臭い権威たちのほうが「数」が多いのだ(ずっとこだわっている団塊ジュニア世代の老害化問題とつながる)。そして、その膨大な数の老害たちが次々に襲ってくるなか、少数でなんとか抵抗して生き抜かねばならぬ、というのがミレニアル世代、Z世代の世界観ではないか。
まさに『進撃の巨人』の世界観だ。
 
SNSなどで身内で肩を寄せ合って楽しく暮らしているコミュニティの壁を、無遠慮に無神経にのぞき込み入ってこようとする巨人たち。言葉は通じずコミュニケーションも取れず、仲間たちをどんどん飲み込もうとするわけのわからないイキモノ。無視しても無視しても「今晩は忙しいカナ?オジサンはなんとかチャンに会いたいナ。ナンチャッテ」とか変なLINE送ってくるし。巨人の体の大きさや力を、現実社会の年齢や社会的パワーに置き換えてみれば、まさに進撃の巨人たちは若者にとっての、社会にウヨウヨしている莫大な数の老害のメタファーに他ならないのではないか。

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「今晩は忙しいカナ?オジサンはなんとかチャンに会いたいナ。ナンチャッテ」
*以前に読んだwebのインタビュー記事で、なぜ『進撃の巨人』作者・諌山創氏が、あんな絶望的な世界観になったのは作者自身が就職難世代であったせいと答えていたものがあった気がする。検索しても見つからなかったので、ご存じのかた教えてください。
(もうちょい続く)
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