日本はいかに団塊ジュニア世代の老害化を防ぐか~ローガイ、ダメ、ゼッタイ!

老害にはなりなくない。なるならせめて、raw guyが良い。
 
raw guyに大した意味はないが、先日、地元の中学生に「夢と仕事」みたいな話をするお仕事をいただいて、そんなことを思った。
不特定多数の、しかも33歳年下の人たちに何を話せばいいのだろうってのはだいぶ悩んでしまった。考えても考えても浮かんでくるのは、「今日は『盗んだバイク』で走り出して来ました!帰りは『100円玉で買える温かさ』を手に、『夜の校舎、窓ガラス壊して回』ります!」とかいうネタばかりだ。完全に社会不適合者ではないか。
そんな世代ネタをやったところで中学生は無反応だろうしせいぜい教師の方々の失笑がもらえるくらいだろう。待てよ、結構な確率で教師の方々もまた年下である可能性もあるな。なんてことだ。
やはり人間、ある程度の年齢になったら夜の校舎窓ガラス壊して回るのではなく、夜の校舎窓ガラス磨いて回るくらいの分別が欲しい。
だいたいからして偉そうに教壇からご高説を垂れるなんてのも我ながら胡散臭い。かといって、せっかくだからいい話もしたかった。
 
そうだな、こういうのはどうだろう。
「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食べられるくらいになりなよ。
それが人間えら過ぎず貧乏過ぎず、ちょうどいいくらいってとこなんだ」
…ダメだ、もし中学生がヴィーガンだったら糾弾されてしまう。どう考えても中学生に「トンカツさん」というあだ名をつけられる未来しか見えない。あまりの無反応さにドギマギして富井副部長の声真似をしてますます傷口を広げる未来まで見える。…待てよ、それはそれで一周回って面白いかも。地元の中学でダダすべり、下り最速っっっ!みたいな感じで。
 
そんなわけで冒頭の話なんですけど、老害にはなりたくないなあ、と。
ぼくは逃げも隠れもしない団塊ジュニア世代で、たしか今47歳なんですけど、聞くところによると日本の年齢の中央値は47歳で、これは0歳から最高齢の人まで日本の人口を若い順に行列させると、列のちょうど真ん中が47歳の人になるということですね。
つまり学生さん、47歳になりなよ、それが若過ぎもせず年寄り過ぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ、というわけで、ダメだ山岡の呪いから逃れられない。
 
先日読んだ「うっせぇわ」に関する論説のなかで、「少子高齢化のせいで、今や若者はマイノリティ」という指摘があった。
若者がマイノリティである一方、今起こりつつあるのが団塊ジュニアの老害化である。
日本最後のボリュームゾーンをターゲット・マーケットとして、消費カルチャーは形づくられる。団塊ジュニアが若いころ接した文化を洗練し再構成しスピンオフさせて、あらゆる商品が開発される。
これは若者層にとっては、結構うっとうしいことなのではなかろうか。
 
だが、若者が活躍できない社会は、先がない(『若者が活躍』とかいう言い方からしてオッさんだよなあ。いっそ振り切って『ナウなヤングがフィーバー』とか言ってしまおうか)。
だからボリュームゾーンである自らの世代が老害化して若者を阻害するようなことがあってはならない。
そのためにどうしたら老害化しなくてすむか、人生の先輩であるおじさんが教えてあげよう(←老害仕草)。
 
老害にはなりたくないよなあという話。
 
「『こち亀』の両さんって、若者のやることを絶対に否定しないんですよね」
テレビ画面の中で能町みね子氏が言う。
少年ジャンプのロングセラー漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』が連載終了したときのことだ。久保ミツロウ氏とヒャダイン氏がうなづく。
「両さんって、若者の流行の話でも決して『そんなのはダメだ』『ワシにはわからん』とか言わないで、一緒になって面白がるんですよ」
そんな話を、能町氏はしていた気がする。
 
生きている限り人は加齢する。いつしか知らぬまに老害化し、陰で若者に疎まれるようになるが、出来ればそういうのは避けたいなあと思うが、どうしたらよいものか。
別に若者と馴れ合いたいのではない。カラオケでやけに若者の歌ばかり歌いたがるオッさんとかいるが、ああいう「若者文化すり寄り・迎合型オッさん」にもなりたくないなあ。やっぱ今はラノベとボカロですよ(←ウソですごめんなさい)。
 
世代の悩みだが、ぼくのアイデンティティの一つである団塊ジュニア世代というのは難しいんですよ。
上の世代も多くて、就職氷河期で同世代や下の世代の採用もしぼられていたから、責任あるポジションにつくのが遅かった。だから若手扱いのままずっときて、いわば「若者として老害と戦い続けているつもりのうちに自分が老害化し始める年齢を迎える」みたいになりつつある。ネット論客のひろゆき氏とかまさにそんな感じだし。
 
若者のみなさんに戦慄して欲しいのですが、これから日本最大の人口ボリュームゾーンである団塊ジュニア世代が老害化しますよ。町に老害が溢れます。ドアを開ければ老害、電車に乗れば老害、会社に行っても老害、飲み屋に行っても老害、ネットを開いても老害の時代です。そう、振り返ればヤツがいる。

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今は1970年代生まれの論客が「老害界の若手」とか「老害界のホープ」とか「若き老害」と茶化したり茶化されたりしてるけど、じきにシャレにならなくなる。
で、個人的にはそんな老害になりたくないなあ、と。
 
老害化を防ぐ方法の一つに、昔から「隠居」がありますが、個人としても社会としても「隠居」も許してもらうのは難しい。
個人としては人生100年時代、50歳までの人生前半で積み上げたものだけで後半50年を送るのは困難だ。また労働人口減少から、心身ともに働ける働き手は「隠居」させてもらえないだろう。
 
90歳オーバーまで活躍した渋沢栄一なんかは「四十五十は鼻垂れ小僧、六十七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら 百まで待てと追い返せ」と言っていたが、そうしたノリで意気軒高に老害化する人もいるしなあ。誰もが一万円札になれるわけではない。
いろいろ考えると、先述の両津勘吉モデルが望ましい加齢スタイルな気がしてならない。
 
しかしながらさらに一歩踏み込んで考えると、組織や社会が両津勘吉ばかりでは破綻する。警視庁トップが両津勘吉では無茶苦茶だ。
そうしてみるとむしろ目指すべきは大原部長なのではないだろうか。
無茶苦茶な部下に胃を痛めながら、やりたい放題やらせつつ自分のペースは崩さず、組織の最低限の秩序は保つ。
考えてみても欲しい、自分の部下がなんかよくわからない大財閥の息子や娘や、後先考えず目先の金のためはちゃめちゃやって破壊の限りを尽くすムダにエネルギッシュでバイタリティのあるチャキチャキの江戸っ子だったら、めんどくさくないですか?なんか職場に趣味の仲間とかバンバン呼んじゃうし。よく大原部長はあんな職場の長を長年務めているものだ。実はあれこそ目指すべき大人の姿なんじゃないだろうか。
 
決めた!ぼくは大原部長になる!
というわけで、手始めにちょっと戦車とヨロイ買ってくる。
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(続く、かも)

 

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