老害の話final.
団塊ジュニアの一員として、これから自分が老害化しないための道を探ってきた。その中であえて書かなかったことがある。
「老害化しないために、常に価値観や意識をアップデートする」みたいありがちな文言だ。
もちろん理由があって、価値観や意識というものはそう簡単に書き変えられるものでもないし、そう簡単に書き変えてよいものでもないという認識に基づく自制だ。
先日見たツイートでこんなものがあった。田中邦衛氏の訃報にからめてのものだ。
「北の国から」について「当時は心から感動したのに今観ると現代的な規範とジェンダー観にそぐわない描写や田舎に縛られる子供の苦悩が気になって楽しめない。世の中も自分も随分変わった」的なコメントを見かけた。いやあなたは今も昔も世間の価値観と一体化しているという点で変わってないですよね。
— すずもと (@aruto250) 2021年4月4日
世間の時流と一体化できる人は幸せだ。
家父長性の時代には父の権威を説き、ジェンダー論が盛んになれば声高に新しい時代を謳う。
(注.ここに例の「はだしのゲン」の町会長の絵が入っていると思ってください)
だが、価値観や意識はその人の人格の根幹を成すものだ。人格の根幹である価値観や意識が、そうしょっちゅう「アップデート」されてよいものだろうか。
あるいは「ぼくは常に価値観をアップデートしてます!」みたいな人を信用できるだろうか。
「ぼくは」、そうした「常に価値観をアップデートしてるから老害にはならないよ!いつまでも若者の仲間さ!」と言えちゃう人は要注意だと思う。
それよりは根本の価値観はなかなか書き変えられなくても、「オレの価値観は古いかもしれないから、若者に押し付けるのはやめとこう」と自覚できる人になりたい。