日本はいかに団塊ジュニア世代の老害化を防ぐか(その3)~言語世界の軛から自由になる

ある人が国家主席にたずねた。
「何億人もの人たちを束ね、権力を勝ち取る秘訣はなんでしょうか」
国家主席はニヤリと笑って答えた。
「長生きすることさ。誰よりもね。そうすれば、ライバルは勝手に死んでゆく」


年功序列、日本的な「先輩-後輩システム」というのは、万人に等しく夢を与える。
長生きさえすれば、誰にだっていつかは努力なしにエバれる日が来るのだ。メリットの無い仕組みは生き残らない。


だが当然、メリットもあればデメリットもある。「老害」問題だ。ぼくが懸念しているのは、人口の多い団塊ジュニアがこれからどんどん老害化することだ。つまり膨大な団塊が老害で損害、というわけである。

大勢は変えられないだろうが、せめて己の老害化は避けたい。そのためにはどうしたらよいか。考えていくとブチ当たるのが日本語の構造的なものである(構造的な「問題」とは呼ばない)。

言語と思考や行動様式との関係については二つの見方がある。言語と思考・行動とは無関係である、言語が思考・行動に影響を与えることは無いか、あっても些細だという立場と、言語は話者の思考・行動におおいに影響を与える、という立場だ。前者を実念論、後者を唯名論と呼ぶ、らしい。

言語社会学者、鈴木孝夫氏は唯名論の立場でこう書く。
〈ことばが、このように、私たちの世界認識の手がかりであり、唯一の窓口であるならば、ことばの構造やしくみが違えば、認識される対象も当然ある程度変化せざるを得ない。
なぜならば、以下に詳しく説明するように、ことばは、私たちが素材としての世界を整理して把握する時に、どの部分、どの性質に認識の焦点を置くべきかを決定するしかけに他ならないからである。〉(鈴木孝夫『ことばと文化』岩波新書1973年 p.31) 

日本的な「先輩-後輩システム」の中で生きる身としては、言葉が思考・行動様式を規定するという唯名論に説得力を感じる。

 

前掲書では、親族間の呼称についても言及し、会話グループ内での自称は立場の低い者の視点に合わされることや、立場が下の者は上の者を属性で呼ぶが上の者が下の者を属性で呼ぶことはない、などの法則を解き明かした。
具体例を挙げれば、会話グループ内に小さい子がいる場合には、自称他称が「父さん・母さん」や「おじさん・おばさん」となり、小さい子視点の物言いになったり、会話グループで子どもが父を「父さん」と属性で呼ぶことはあっても父親が子どもを呼ぶときは「子よ」とはならない(芝居めかして「我が子よ」と呼ぶことはあるが、不自然である)。

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『ことばと文化』より



「先輩-後輩システム」に当てはめると、立場が下の者は上の者を「先輩」とか「社長」とか「部長」とか「教授」とか属性で呼びかけるが、上の者が下の者を「おい、後輩」とか「おいら部下」とか「おい、医局員」とか属性で呼びかけることはない。

つまり、日本語の言語世界では、呼びかけの段階から立場の上下を考慮しなければならない。これが良いとか悪いとか言いたいのではなく、そういうものだ、というだけの話だが、こうした日本語構造もまた、老害を蔓延らせやすい構造となっている。

これに対し他言語ではどうか。
自ら英語世界で育ち、日本語世界で活躍する片岡義男氏はこう書く。
〈youと呼ばれた人は、その人のぜんたいが、youと呼ばれている。誰にそう呼ばれようと、どのような状況であろうといっさい関係なく、youと呼ばれた人はそのぜんたいでyouというひとことを引き受ける。〉(片岡義男『日本語と英語』NHK出版新書p.85)

片岡氏の感覚が正しいなら、英語世界では属性や立場に過度に拘泥する必要はないことになる。

己の老害化を食い止めたいぼくとしては、まず呼称から変えていきたいと思う。
今度お会いしたときにぼくが「you、やっちゃいなyo!」とか言い出したら、日本もいよいよ動き出したな、と思っていただければ幸いである。

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