老害にならないためには、という話。
老害化を予防するために、年長者が若者に対しできることしたほうがよいことは3つある。
①邪魔をしない
②助ける
③覚悟する
だ。
②の助けるについて論じているが、〈助ける〉というのは一部、〈与える〉と言い換えられるかもしれない。
〈ただ、もちろん、何も考えずに持っているものをすべて分け与えればいいというものではない。何をどのくらい分け与えるかはよく考える必要がある。〉
そう述べるのはジョージタウン大学のクリスティーン・ポラス准教授だ(『シンク・シビリディ 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略』東洋経済新報社2019年 p.160。ただし同書は仕事場での「礼儀正しさ」を論じた本で、老害について論じたものではないことを付記しておく)
ポラスは、企業内の協調行動などを調査したロブ・クロスらの研究に触れてこう書く。
〈実は、共有して価値を生み出す可能性のあるリソースと、そうでないリソースがある。クロス、レベル、グラントの3人が注目したのはそこだった。リソースには、大きく分けて情報的リソース、社会的リソース、個人的リソースの3つの種類がある。
情報的リソースとは、他人に伝えることができる専門知識、専門技術のことだ。社会的リソースとは、その人が持つ意識や立場のことだ。たとえば、何かを入手しやすい立場にいること、あるいは豊かな人的ネットワークの中にいることなどを指す。こうしたリソースは、協調して何かをする際に役立つことになる。個人的リソースとは主に、その人が持つ時間とエネルギーのことを指す。情報的リソースや社会的リソースは効率的に共有することができる。〉(上掲書p.160-161)
ポラスは、このうち情報的リソースや社会的リソースは分け与えてよいが、個人的リソースを分け与えるのは慎重になるべきだ、と主張する。
情報やネットワークはシェアできるが、個人的リソースはシェアできない。
自分の時間や資金、労力といったものを与えるには慎重にならないと、次第に相手の要望が重荷になる。
上掲書は老害について論じたものではないが、この情報的リソース、社会的リソース、個人的リソースという分類は頭に入れておいて損はない。
年長者として若者にどのリソースを分け与えているか、あるいは自分が若者ならば年長者や他者にどのリソースを使って助けてもらっているかを意識するとよい。
おそらく、恩に感じたり恩を着せたりするのは個人的なリソースのやりとりだ。
「手間をとらせた」「時間を割いた」「カネを出した」というのは全て個人的リソースのgive&takeである。
自らの老害化を懸念するならば、個人的リソースのやりとりで若者に過度に恩を着せていないか、時々振り返ってみるのもよいだろう。
「皆さんに今日お伝えしたいことがあります。
坂本龍馬はね、剣の達人だったんです」
壇上でS氏が言った。
年長者が若者に対して老害にならないためにはどうしたらよいかを論じてきた。
今のところ己の老害化を避ける術は、
①邪魔をしない
②助ける
③覚悟する
ではないか、と述べた。
①と②については先述の通り。
③覚悟するとは何か。何を覚悟するのか。
自分が老害扱いされるのを覚悟するのだ。
団塊ジュニアの一員として、これから年長者として若者にどう接するべきかを考えてずっと念頭にあったのが冒頭のS氏のスピーチだ。
今からたぶん10年くらい前の話。
当時ぼくは医療外の世界に積極的に進出していこうみたいな医療者の団体の運営に携わっていた。
MBAを取って病院経営コンサルタントとして活躍し始めた医師、ロースクールで学び医療機関側に立って医療訴訟を解決しようとする医師、新しい保険ビジネスに参画する看護師、南米に日本式のリハビリテーションを持ち込み広げようとする理学療法士など、さまざまな医療者が、医療のマインドを持ちながら医療外へと活動の場所を広げていた。
ぼくらの団体以外にもそうした医療の枠にとらわれずに社会と関わっていこうという団体はたくさんあって、そうした他団体との交流会での一幕が冒頭のスピーチである。
ゲストとして招かれたS氏は中央官僚出身でアカデミアを経て政界に転じたたいへん優秀な人で、昔から若者を育てようとゼミを開いたりしていた。おそらくその縁で交流会の目玉ゲストとして招かれたのだろう。
その場で最も年長で、最も社会的立場と影響力のあるS氏は、「医療の殻を破ろう!」と血気盛んな若者たちに「坂本龍馬は剣の達人だった」と話した。たぶんそれ以上は言わなかった気がする。
思うにこういうことだ。
新時代の秩序を作ろうという者は、旧時代のスキルを人並み以上に身につけていなければならない。旧時代、旧世界のスキルを身につけていない者には、新しい時代は作れない。
あのスピーチは、もし医療の殻を破って新たな医療の形を作ろうとするならば、旧来の医療のカタチというものを人並み以上に知り尽くさなければならない、という年長者S氏から若者へのメッセージだったのではなかろうか。
「君たちこそが新しい医療を作るのです!」と、綺麗事のスピーチで済ますこともできただろう。
だがS氏はそうしなかった。
たとえ煙たがられても、このコたちはこのまま行ったら危なっかしいのではないかと心配になったからこそ、年長者として説教めかないギリギリのメッセージを放ったのではないかと思う。
そう、あの時、S氏は覚悟したのだ。主たる業務である医療を深く学ぶことなく社会活動のみに没頭すると新たな医療のカタチは作れないときちんと注意喚起をしておこう、たとえ老害と呼ばれても。
若者に老害扱いされない方法はある意味簡単だ。関わらなければよい。
だが年長者としてどうしても「そっちの道は危なっかしいよ」と伝えなければならないときもある。そこできちんと伝えるべきことを伝えないのも無責任だ。だからそのときは、年長者としてアドバイスすることも大切なのではないだろうか。老害扱いされることも覚悟して。