日本はいかに団塊ジュニア世代の老害化を防ぐか(その5)~T教授と林住期。

〈人生に必要なものは、じつは驚くほど少ない。
 
一人の友と、
一冊の本と、
一つの思い出があれば、それでいい。
 
と、言った人がいた。友は性別を問わない。配偶者のこともあれば、遠方の友でもいい。私の場合なら、一匹のイヌをつけ加えたいところだ。〉(五木寛之『林住期』幻冬舎文庫 平成20年 p.44-45)
 

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団塊ジュニアの一員として、己の老害化を極力防ぎたいという話。
つらつら考えるに、己の老害化を防ぐには3つの心がけが必要なのではなかろうか。
 
即ち、
①邪魔をしない
②助ける
③覚悟する
順を追って述べる。また、一つだけあえて外したことがあるがそれも別途。
 
邪魔をしない、というのは文字通りの意味だ。
若者(この言葉自体が年功序列とかあるいはエイジズムにとらわれているのだが、まあ若者としか言いようがない)は年長者がいるとなんとなくケムたいし、頭を押さえつけられている気がする。
要は、年長者というのはそこにいるだけで「老害」化するのだ。うぐっ(←自分の言葉に胸をえぐられる音)。
だからまあ、邪魔をしないというのが一番大事なんでしょうね。
 
この邪魔をしないという部分において、かつて読んだT教授の所作を参考にしたい。
T教授は、自分のゼミの大学生たちとの飲み会になると、二次会には付き合う。しかし二次会のカラオケではじめに自分の好きな歌を一、二曲歌うと、お金を置いてさっと引き上げるのだという。
学生たちとの二次会に行かないでもなく、二次会に行ってずっと居座るでもない。もちろんお金は置いていく。
このT教授の所作、二次会に「ちょっと行ってさっと引き上げる(しかもお金を置いていく)」というのは、かなり精神修養しないとできないですね。飲み会や二次会に行かないとか、(自分だけ)楽しんで二次会にずっと居続けるの両極端なら出来る人はたくさんいますが。
T教授はいろいろと賛否両論のある人ではあるが、この所作は美しい気がする。今のところぼくはこれくらいの距離感を目指したい。
 
さて、この二次会からさっと立ち去るT教授の後ろ姿を想像すると、若者の邪魔をしない、というのは多くを望まない、ということであり、孤独に耐えるということである。
作家の五木寛之氏は、著書『林住期』の冒頭でこう書く。
〈古代インドでは、
人生を四つの時期に分けて考えたという。
「学生期」、「家住期」、そして、「林住期」と「遊行期」。
「林住期」とは、社会人としての務めを終えたあと、すべての人が迎える、もっとも輝かしい
「第三の人生」のことである。〉(『林住期』)
五木氏は、この『林住期』は五十歳から七十五歳くらいではないかと述べている。
〈鴨長明は五十歳を過ぎて京の町を離れ、自然のなかに独り住んだが、彼がそこに求めたのは俗世間の掟にしばられない精神の自由であった。〉(p.21)
 
生涯現役、という行き方も美しい。
だが若者に対して己の老害化を恐れるのであれば、人生にはいくつかの『期』があると知るべきだ。そして『林住期』に入る身であれば『学生期』や『家住期』の若者とは程よい距離感があると心得、邪魔をしないという心がけをするのも大事な気がするなあ。
(続く)

 

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