歳なりに歳をとる(4)ル=グウィンと9泊10日の旅

<あなたが生まれた時、あなたは泣いていて、まわりのみんなは笑っていた。
だから、あなたが死ぬ時に、あなたは笑っていて、まわりのみんなは泣いているような人生を送りなさい。>(セルビアのことわざ)
 
「歳なりに歳をとる」ということを考えている。
インドの「人生四住説」の中の「学生期」はとうにすぎ、「家住期」の真っ最中。これからくる「林住期」についてはおぼろげながら模索中である。さて、人生100年時代、人生最後の「遊行期」にはどんな風景が見えてくるのだろうか。
 
「遊行期」という文字で浮かぶのは芭蕉が病床で詠んだ<旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る>である。詩人が削りに削って磨き上げた句を語り過ぎれば野暮だから、なんともいえず良い、とだけ言っておく。
 
「遊行期」にどんな心持ちになるかという話。
ル=グウィンは八十一歳を前にこんなことを書いている。
 
<ほとんどの年寄りは、自分が年寄りであることを受け入れていると私は思うー 八十を超えた人が「私は年寄りじゃない」と言うのを聞いたことがないから。そして、彼らはその状況を精一杯活用している。よく言われるように、「生きているだけで上等」だからだ。
年寄りより若い人たちの多くは、老年の現実をまったく否定的に捉え、老齢を受け入れることも否定的に捉える。ポジティブな気分で年寄りに接したいがゆえに、年寄りが現実を受け入れることに我慢ができなくなってしまうのだ。>(アーシュラ・K・ル=グウィン『暇なんかないわ 大切なことを考えるのに忙しくて』河出書房新社 2020年 p.28)
 
「遊行期」の人の高齢を直視して罪悪感を抱きたくないがために、まわりの人は口を揃えて言う。お若いですね、とても〇〇歳には見えませんよ。
だが、ル=グウィンはこうも書いている。

<私の老齢が存在しないと告げることは、私が存在しないと言うのと同じだ。私の老齢を消すことは、私の人生を消すことー私を消すことだ。>(上掲書p.29)
 
なるほど、あるがままに老齢を受け入れる、ということも必要になってくるのだろうなあ。
たしかに自分が80歳になったら、「お若いですねえ」と言われるより「よい人生を送ってこられましたねえ」と言われたい。一文字違って「よく人生を送ってこられましたねえ」だとイヤだが。
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唐突に、空想の中で9泊10日の旅に出てみる。行き先はまだ見ぬ異国。行き当たりばったりの旅だ。
 
9泊10日の、最初のうちはどう過ごそう?
何しろ行き当たりばったりの旅なので、現地の言葉もわからない。何をすれば周りの人から喜ばれ、何をすれば怒られるのかもわからない。
おそらく最初の一日ふつかは、まわりをきょろきょろと見まわして見よう見まねでその土地の風習を覚え言葉を習い、ガイドブックを買い求めて学ぶだろう。
 
数日経つとだいぶ現地にも慣れ、そこらへんを歩きまわれるようになる。あっちへ行ったりこっちへ行ったり、時には飯屋でぼったくられたりして痛い目にも遭う。もしかしたら路上の気の合う人と会い、旅の道連れもできるかもしれない。旅は道連れ世は情け、なんて言いますしね。
 
そうこうするうちに数日はあっという間に経つ。気が付けば旅の後半だ。
この間ここに来たばかりなのになんて思いながら、残りの4、5日をどう過ごそうかと思案する。
旅の2、3日目に見つけたあの路地が居心地よかったから、あの路地を根城にまったり過ごそうか。もうちょっとあちこち行くのもいいなあ。
でも旅の残りは見えてきているし、あまり右往左往もできない。だいぶこの土地になじんだつもりだが、なんとなくしっくりこないところもある。でもまあそんなもんか。とにかくできるだけいろんなものを見てやろう。あっという間に旅の最終日が近づき、8日目になる。まだまだ旅の途中な気もするが、旅の道連れも先に帰った。また一人になった。
帰り支度もしなきゃならないし、要らないものは整理しないとな。
 
お世話になった地元の人に少しばかり置き土産をしていきたいし、帰りは荷物は少ないほうがいい。あまり多くの土産は持てないけれど、みやげ話だけはたくさん仕込んだ。
 
9泊10日はあっという間に過ぎ、いよいよ最終日だ。帰り道の迎えが来るのは何時くらいかは聞いていない。
まだ名残り惜しいが、まあでも良い旅だったな。この土地に何人か友達もできたしな。おや、そろそろ迎えが来たようだ。さよなら、再見、また会いましょう。シーユー、アスタ・ルエゴ、また後で。オルヴォワール、グッドバイ、アディユー、神の御もとに。
 
人生は旅だと誰かが言った。
旅が人生の比喩ならば、人生100年は9泊10日の旅だ。
よくわからないままこの世に生み落とされ、見よう見真似でなんとかこの世に居場所を作り、なんとはなしに居心地の悪さを感じつつそれでも過ごしてゆく。
どこから来てどこへ帰るのかもわからぬまま、一人でこの世を訪れて再びどこかへ帰ってゆく。旅の目的もわからぬまま、ひととき地上に滞在しているだけだ。一人ゆくこの道は、どこに続いているのだろう?
 
漂泊の俳人、山頭火が言った。
〈まっすぐな道でさみしい〉
 
人生が旅だとして、9泊10日の旅を続けられないこともある。途中で旅を切り上げなければならないことも少なくない。迎えがいつ来るかは、誰にも分からないのだ。
 
みなさま、道中ご無事で。しばし、ご歓談を。
(続く)
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