歳なりに歳をとる(5)ワン・ファイン・メス

人生を4つの期に分け、生きていく術を学ぶ「学生期(がくしょうき)」、仕事や家のことを一生懸命やる「家住期(かじゅうき)」、浮世の義務から逃れて生を楽しむ「林住期(りんじゅうき)」、旅立つ準備をする「遊行期(ゆぎょうき)」とする。
「林住期」、いわゆる「おじさん」期をどう過ごすべきかをパリのおじさんなど先達に学んできた。
では「遊行期」の人はどのような教えを伝えているだろうか。
ベストセラー『九十歳。何がめでたい』(佐藤愛子 小学館 2016年)から、2つのことを学んだ。
「覚悟」と「和解」だ。
1人、本の画像のようです
人生相談の新聞記事を読んで佐藤氏が書いている。回答者である最相葉月氏に寄せられたのは、20代女性からの、40代の彼氏との結婚を両親が反対して許してくれないという悩みだ。回答者である最相氏は、添い遂げたいなら、一生その意志を曲げないと誓ってください、覚悟と勇気がなければ結婚すべきでない、と回答していた。
この人生相談記事を読んで佐藤氏はこう書く。
〈いや、これはむつかしい。私は思う。歳月は覚悟も勇気もなし崩しにしてしまう力を持っている。私は九十年の人生でまざまざとそれを見てきた。恋も熱病である限りやがては熱は下ることも。それが人間というものであり、「生きる」とはそういうことなのだ。〉(上掲書 p.124)
九十年、生きてきた人の言葉は重い。
ではそこに救いはないのか。そうではない。
〈といって私はこの結婚に反対はしない。
やがてこの熱病の熱が下がった時にどういう事態がくるか、だいたい想像はつくけれど、「どうしても結婚したいなら、すべての反対に目をつむって覚悟して進みなされ」という気持ちだ。しかし同じ「覚悟」でも最相女史のいわれる「一生意志を曲げない覚悟」ではなく、長い年月の間にやがて来るかもしれない失意の事態に対する「覚悟」である。たとえ後悔し苦悩する日が来たとしても、それに負けずに、そこを人生のターニングポイントにして、めげずに生きて行くぞという、そういう「覚悟」です。それさえしっかり身につけていれば、何があっても怖くはない。私はそんなふうに生きて来た。そうして今の、九十二歳の私がある。〉(上掲書p.125)
自分の選択や決断により失意の事態が来ても、めげずに生きて行くぞという「覚悟」か。さすが92歳、良いことを言うなあ。
 
大ベストセラー『九十歳。何がめでたい』(小学館 2016年)の中で佐藤愛子氏はこうも書いている。
 
〈私は九十二年の人生をあと先考えずに生きて来たもので、そのために次々と災難を引き寄せてきた。誰のせいでもない、そんな私の性が引き寄せる災難であるから、どこにも文句のつけようがない。夫が悪いとか親のせい、誰のせい、あいつに騙されたなどといいたくても、どう考えても私の我儘(わがまま)や協調性のなさや猪突猛進の性のために降りかかった苦労であることは明らかであるから、恨むなら自分を恨めということになって、仕方なく諦める。反省して諦めるのではなく、あっさりすぐに諦めるものだから、懲りずにまた同じ過(あやまち)をくり返す。人生いかに生きるか、なんて考えたこともない。その場その場でただ突進するのみだった。〉(p.205)
 
せっかく人生いかに生きるかを御歳92歳の先達に聞こうとしたら、あっさり「人生いかに生きるか、なんて考えたこともない。突進するのみ」と言われてしまった、とは冗談だが、案外そんなものかもしれない。
 
歴史のある古いホテルに泊まる。螺旋階段がある。
長年使い込まれ、磨き込まれたマホガニーの階段の手すりや柱などには、何十年か前に宿泊客がつけた傷がある。宿泊客もホテルのスタッフも、誰かが何十年も前につけたその傷込みで、そのホテルの歴史と伝統を愛している。
そんな傷のことを「one fine mess」というのだ、とむかし故・景山民夫氏のエッセイで読んだ。
 
すべてが自分の性格や性(さが)、性分が引き起こしたものなら、せめてそれで受けたキズくらいは愛そう。
そしてそうしたキズを愛せるような自分でいよう。
人生で一番長く付き合っていく人物は、自分自身なのだから。
 
(みつを)※ウソ
続く。あ、あとそうは言いながらキズは負わないほうがいいですー。一定年齢以上になったら、ヤバいときは全速力で逃げたほうがいいですね。ヤバいときはとにかく逃げて!

 

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