現代社会の主流文化を「常にハッピーであれ」「常に自分らしくあれ」「常に成長せよ」という同調圧力の強い、『アゲアゲ・ポジティブ・アッパー文化』ではないかと仮置きしていろいろ夢想している。
いつか誰かが学術的に論考してくれることを祈りつつ、つらつら考える。
つらつら考えると、このアゲアゲ・ポジティブ・アッパー文化の一部は、まず50年代に始まったのではないか。
デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(ちくま文庫)では、〈アメリカの中流階級の暮らしを、無個性で、画一的で、真摯な社会目標と文化目標に欠けると見なし、初めて反抗の対象としたのは彼らだった。〉という書き出しでケルアックスやギンズバーグらビート族を紹介している(上掲書 p.471)。
日本でも、石原慎太郎が『太陽の季節』を発表したのが1955年であり、大人たちに対するカウンターカルチャーとしての若者文化が価値を置かれるようになったのが1950年代からだったと仮説してみる。
謹言実直な大人文化に対し、自由とハッピーを尊重する若者によるカウンターカルチャーが一定の価値を持つようになり始めたのが50年代で、戦後の人口増とあわせてマジョリティ化したという仮説だが、どんなものだろうか。
ただ、彼ら50年代の若者にとって予想外だったのは、カウンターカルチャーやアンチテーゼとして始めた「常にハッピー」「常に自分らしく」みたいなアティテュードが、時代とともにメインストリームとなり、いつしかピア・プレッシャーを与える側に自分たちがなってしまうという未来だ。
乏しい知識だが、趣味の範囲でいろいろ考えてみる。考えながら書いているのでたくさんの抜けがあったり整合性がなかったりもするが、考えを進めてみたい。
先ほど、この『アゲアゲ・ポジティブ・アッパー文化』の萌芽は50年代にあるのではないかと考えた。ビートジェネレーションが、今までの大人文化に異を唱えたところあたりを発端と考えたのである。
つらつら考えると、この『アゲアゲ・ポジティブ・アッパー文化』は、視覚的コミュニケーションの発達を通じて同調圧力を強めているのかと思えてきた。
思いつくまま挙げると、50年代のテレビ文化、80年代のMTV文化、2000年代のネット文化により、我々は他人の生活様式に心理的影響を受けやすくなっていったのではないだろうか。
50年代アメリカ社会の断片をさまざまな形で伝えてくれるデイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(ちくま文庫)の中に、メディアの主流がラジオからテレビに入れ替わった話がある。
当時、アメリカのラジオでは、舌鋒鋭く社会や権力者を辛辣に皮肉るフレッド・アレンが大人気だった。しかし、テレビが登場すると、アレンの人気は衰えた。
〈アメリカがつらい時期を送っているとき、どす黒い痛烈なユーモアはすんなりと受け入れられ、尊大な成功者を嘲笑することはアメリカ社会の琴線に触れた。しかし、アメリカが未曾有の繁栄を経験しはじめると、人々は成功を揶揄するよりも、成功に参加したくなったのである。〉(上掲書p.293)
こうしてテレビにより、人々は「常にハッピー」な他者の姿をダイレクトに目の当たりにし、真似したいと思うようになったのではないか、というのが仮説である。
メディア発達の観点からは、次の波は80年代初頭のMTV登場にあるのではないかと思う。
MTVもまた、世界中の若者たちに心理的影響を与えていく。
1981年8月1日にMTVは放送を開始した。
一番最初のビデオクリップは、テレビの登場によって終わったラジオの黄金期を歌った、バグルスの『ラジオ・スターの悲劇』だったという。
(続く)