引く医者、引かぬ医者part.3

医者には“引く”医者と“引かぬ”医者がいる。
若いうちは“引く”医者のほうがよいが、ある程度の年代になっても“引く”医者である場合は、何か改善点があるかもしれない。

 

ある程度の年代になって、“引かぬ”医者であることを選択した。今まで若いころ“引いた”経験から、いくつか意識している点があるので書き留めたい。

 

まずは「手離れ」。
ある時、友人の脳外科医Mが言った。
「世の中にはさ、どんな患者さんにも、それぞれぴたっとハマる医者ってのがどこかに居るんだよ。なにも全部自分で抱え込むことはない」。
丁寧な説明を心がけ、できるだけ薬は出さない医者がいる。
ある患者さんにとっては「良い先生」となるが、別の患者さんにとっては「だらだら喋ってばかりで、薬もくれない先生」となる。
長い目で見れば、後者の患者さんの考えを変えてもらうために時間をかけて説得すべきだ、もちろん。
だが、you know、「長い目で見れば、我々はみな死んでしまう」。
人生は短く、職業人生はなお短い。
医者と患者さんの間には相性がある。
相性の悪い同士で付き合うのはお互いに不幸であり、それならば相性の合いそうな医者を紹介したほうが、皆ハッピーになれる。

 

上記は性格の話が主であったが、むしろ重要なのは己の技量を越えた患者さんが来た場合である。
この場合、技量には、医者個人の能力だけでなく、所属医療機関の設備や立ち位置、性質も含む。
現在、ぼくが働く診療所には入院施設は無い。ここに入院が必要そうな患者さんが来たときに、グズグズと通院治療で引っ張ってしまうと、“引く”。
医者が“引く”ということは、患者さんが重症化して患者さん自身が不利益をこうむるということなので、医者は“引く”ことは許されない。
“引かぬ”ために、瞬時に患者さんの状態が己の技量(この場合、所属医療機関の設備や立ち位置)を越えるかどうか判断しなければならない。あ、こりゃうちじゃないほうが良い治療ができる、と思った瞬間に、紹介先を探せるのが“引かぬ”医者である。
繰り返しになるが、ある程度の年代になって“引かぬ”医者であることは、患者さんのためであるのだ、とぼくは信じている。

(続く)

 

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