引く医者、引かぬ医者part.5~どんなときに"引く”のか

“引かぬ”医者になるための話のための超長い前フリ。

 

ルネ・デカルトは『方法序説』Discours de la methodeの中で、物を考えるにあたり4つのルールを自らに課した。
1.明証性の尊重
2.問題の分割
3.単純性の尊重
4.網羅的列挙
である。


デカルト方法序説』から安宅和人『イシューからはじめよ』に至るまで、複雑怪奇な事象を考え対処するには、分割して個別に解決していくのが基本だ。
時にそうしたアプローチは還元主義Reductionismとして批判されるが、おそらく通常の人間の頭には、難問を分割して理解し判断して解決していく以上の方法は見つからないだろう。猛烈な演算能力と疲れ知らずの演習能力を持つAIなら、モノゴトを丸ごと理解することも可能かもしれないが。

 

さて、超長い前フリのあとで、“引かぬ”医者になるための話に戻る。
あくまでも現時点でのぼく個人の考えである。

それは、「病気のことだけにフォーカスを当てて素直に考える」というものだ。素直に考えて、患者さんの病気を治すために何がベストか。とにかくまずはそれだけ考える。

 

振り返ってみて、自分自身が“引いた”ときには、患者さんの病気以外のことであえて言えば目が曇り、判断が鈍った。


以下、フィクションを交え書く。
たとえば深夜の当直。救急外来に腹痛の患者さんが来院し、もしかしたら手術が必要かもしれないが、深夜なので外科医は病院内にいない。「夜の2時だし、外科医を呼び出すのは申し訳ない。朝までなんとか様子を見るか」と、患者さんの病気以外の「外科医への遠慮」を考えたときには判断が鈍り、“引く”。
あるいは、「〇〇日が退院予定だけど、その日は仏滅だから早めに退院させてよ」(地域にもよるが、昔は入退院予定日が仏滅かどうか気にする患者さんがいた)と患者さんから頼まれて、ちょっと早いけどまあいいか、と退院日を早めると、“引く”。
「この間処方された薬飲んだら調子悪い。副作用じゃないか」と患者さんにきかれ、「そんなはずはない。オレの処方が信用できないのか」と、患者さんの病気以外に己のちっぽけなプライドが頭にあると、“引く”。
ほんとは入院してもらって一晩様子を見たほうがよいけど、空きベッドもないし、今晩は帰ってもらっても仕方ないか、とかやると、“引く”。
思い返すだけで胃が痛くなる。

 

“引く”パターンを振り返ると、患者さんの病気以外のことを判断材料にした場合に、“引く”。
“引かぬ”医者になるためには、上記の長い前フリを踏まえて、あえて「病気のみを見る/診る」姿勢を基本にするほうが良いと、ぼくは現時点では考えている。
高木兼寛先生のお弟子さん以外の人に「最近の医者は病気は診るが病人は診ないね」と批判されたときにアイマイな笑顔を浮かべるのはそのせいだと思ってください。

(続く)

 

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