引く医者、引かぬ医者part.4~「病人を診ずに、病気を診よ」の話

“引かぬ”医者になるための話。

 

賛否もあるだろうし、誤解も生むだろうから、慎重かつ丁寧に書く。

 

〈「経験を積んだ医者ってのは、病気しか見ないものなんだ。おれはまだ、病人が見えるんだよ、君」〉(バルザックゴリオ爺さん新潮文庫 平成十八年三十四刷 p.465)
ゴリオ爺さん』が発表された1835年に先立つこと約40年、医学に革命が起こった。場所は、パリ。
〈(略)中世の文献医学library medicine、十六〜十八世紀のライデンを中心とするベッドサイド医学bedside medicineに対して、十九世紀のパリに開花した医学は「病院医学」hospital medicineと特徴づけられる。〉(梶田昭『医学の歴史』講談社学術文庫 2003年 p.228)
フィリップ・ピネルやザヴィエ・ビシャらを中心に進められたこのパリの病院医学の特徴は、科学としての医学の確立であり、聴診法などもこの時期にラエンネックにより開発された(前掲書 p.233)。
ここから先が誤解を招き得る部分なのだが、パリ病院医学の革命的なところは、病気そのものを見る、ということである。その筆頭はフィリップ・ピネルで、〈かれは保守的な医師を「病人を見ながら病気を見ない」(voir des malades sans voir des maladies)という表現で非難した。そこでピネル後、医者たちは病気を見るようになった。〉(前掲書 p.230)

 

この視点の転換は画期的であった。
五木寛之は「病人を診ず、病気を診る」ことが近代医学の悪弊である、としながらも、
<(略)パリ病院につどう情熱的な意思たちは、これまでのあいまで非科学的な治療に画期的なスローガンを叩きつけたのです。
「病人を診るより、まず病気そのものを診よ」
と、いうのが彼らの宣言でした。病気そのものに対する真剣な研究、治療をおろそかにし、身分の高い人びとの気に入られることを配慮する従来の御典医的医師に対する強い反発がそこには感じられます。一般市民、また貧しい大衆のなかの病人に接するとなると、患者にこびへつらうこともありません。病人は病気を宿した一個の肉体なのですから。
 人間を治そうとぜずに病気だけを治そうとする、近代医学の悪弊も、もとをたどればそんな若々しい革新的な医療思想から発しているのです。(略)近代以前の医学もまた、「人間ばかりに気をとられて、病気をちゃんと診ようとしない」医学に転落していたのです。>と著書『こころ・と・からだ』(一九九六年集英社 p.107-108)の中で述べている。
(続く)

 

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