近藤誠『「インフルエンザ予防接種」打つ必要はない』が絶望的にわかっていないたった一つのこと(R改)

いやいやながら近藤誠氏の記事『「インフルエンザ予防接種」打つ必要はない』(週刊文春11月23日号p.147)を読む。


いろいろ言いたいことはあるのだが、「がん検診有害論」と通底するのは、もしかして氏は疫学的思考、公衆衛生的思考ができない、したことがないのではないかということ。
疫学的思考とは、人間を個ではなく集団としてとらえて病気をコントロールすることだ(あってる?)。

インフルエンザの場合、みんながワクチンを打つことで集団としてインフルエンザにかかる総数を減らすことを目指す。集団としてインフルエンザにかかる総数が減ることで、結果として小児や高齢者、治療のため免疫抑制剤を飲んでいる人など、免疫機能が低下している人々もうつされるリスクが減る。
ワクチンを打つ打たないは自分か親が決めろ、と記事はまとめられているが、ワクチンを打つことはまわりにいる小児や高齢者などウイルス感染に弱い人々にうつしにくくするという意味もあって、そこらへんが氏には絶望的にわかっていない。

 

<「世間では、インフルエンザが恐ろしい病気であるかのように考えられていますが、実は風邪と大差がありません。インフルエンザにかかったとしても、症状は『少しきつめの風邪』程度のものでしかなく、それほど恐れることはないのです。(略)」>(p.147)と記事は書くが、ちょっと医学をかじったことがあれば1918年ー1919年のスペインインフルエンザのことを思い出すはずだ。

このときは日本国内で38万人が死亡、世界では約1億~5億人が死亡したという(①)。1968-1969年の香港インフルエンザでも世界で約100万人が死亡した(①)。

『少しきつめの風邪』でこれほどの人が死ぬだろうか。

 

そのほかにも氏が知らないことが山ほどある。

こういう論文もある(twitterでs_matashiro@glasscatfish氏がツイート)↓

http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJM200103223441204

 

感染症を笑う者は感染症に泣く。人の世を惑わせる言論人の口の中に口内炎がいっぱいいっぱいできますように。

 

国立感染症研究所感染症情報センター 『インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A』 

インフルエンザ・パンデミックに関するQ&A

 

備忘録として…

森奈津子氏、私は近藤誠医師を告発した米原万里を忘れない。 - Togetterまとめ

 

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

東京メトロCM「Find my Tokyo」石原さとみに感じる違和感(R)

東京メトロを毎日使っているのだが、車内で流れるCM「Find my Tokyo」にどうしても違和感を感じてしまう。


東京メトロ【CM】Find my Tokyo.「浦安_もう1つのテーマーパーク」篇(60秒)


石原さとみが列車に乗って東京および近郊を訪ねる絵で、浦安編ではヘンな望遠鏡片手に街を散策し、海鮮丼の店に飛び込んだりネコと無邪気に戯れたりする。

 

石原さとみが悪いわけではない。どうして違和感を感じるかといえば、端的に言えばスポンサーのおじ様がたが喜ぶ「若くて綺麗で喰いしんぼな、ちょっとおバカなオンナノコ」を演じさせられているからだ。仕事とはいえ大変気の毒になる。
検索してみると石原さとみは1986年生まれだそうで、社会人歴10年前後の年代。言ってみれば大人の女性だ。


社会人歴10年前後でそんな単純なオンナノコなんて現実には存在しない。

みんな仕事にプライベートに悩んで傷ついて、それでも社会という化け物と取っ組み合って凛として立っている。

完全に余計なお世話だが、こうした「若くて綺麗でちょっとおバカなオンナノコ」像を流布するのはもういい加減やめてほしい。

こんなの100%フィクション、オッサン的ファンタジーだし、もう21世紀になって何年経つと思うのだろうか。「私おバカだから攻撃しないでください~」みたいに、大人の女性が人前では1オクターブ高い声で話して生きるなんて生存戦略は、完全に過去のものだと思う。


現実の大人の女性というものは、人前で無邪気に小動物と戯れたりなんかしない。

現代を生きる現実の大人の女性というものはふつう、大統領特使として東京への核攻撃を食い止めたり、列車に爆弾載せて巨大な生物と戦ったりしているものだ。列車に爆弾載せたのは別の人だが。
(FB2017年11月15日を再掲)

シン・ゴジラ考ーあるいはなぜ「プロジェクトX」的なものは人の心をとらえるか(R)

スーパー遅ればせながら『シン・ゴジラ』を観た。

これほどまでにネタバレを皆が慎んだ映画はなかなか無いので、もしやゴジラが意外に小さい(1メートル50センチくらい)なのではとか登場してからずっと動かない(エンドロールまでずっとそのまま)のではないかと警戒したがそんなことはなかった。

 

非常に面白く観たが、巨災対というのは『プロジェクトX』なんですね。学会の異端児や役所のはぐれ者たちが時に煙たがられながらも不眠不休でプロジェクトを完遂し、その結果所属組織、この場合日本を窮地から救う。
自分もそうだけど、この構図は日本人の琴線に触れますね。

 

と考えたところで、はぐれ者たちが逆転劇をくり広げて共同体を救うという構図が好きなのはなにも日本人だけではないな、と『アルマゲドン』の大ヒットを思い起こしたり。『7人の侍』も共同体のはぐれ者たちが大活躍して、それでも結局はぐれ者のままでいるって話だなー。

 

考えてみると、共同体のド真ん中、超本流に居続けられる人というのはそんなにいない。会社だとエリート新入社員からスタートして社長になる、役所なら課長補佐とかやって最後事務次官になる、学者なら助手(今だと助教)からがんばって母校の教授になってさらに学長になるとかが超本流だけど、そうじゃない人はみんなどっかのタイミングでフクザツな思いを持ってある種のはぐれ者になる。
だから、実ははぐれ者経験をしてマイノリティの悲哀と鬱屈を味わう人は相当多いわけで。
我が国の超本流であるやんごとない一家の方々ですら、英国に留学したりすると「はいはい、どうせうちらは極東ですよ」と思ったりしてるかも。
yes, everybody is minority.
要するにマイノリティはマジョリティってことで、だから巨災対の活躍に多くの人は感情移入するのだな、などと。

 

ネットの時代になって「もはや国民的ブームなんて起こらない、無数のコンテンツから各自が勝手に好きなモノを愉しむ時代」みたいに言われたけど、『シンゴジラ』といい『君の名は』といい、流行るものは流行る。結局コンテンツの力なんですね。

 

シンゴジラ』、惜しむらくは劇場で観られなかったことで、MX4Dで観た人の話だと、ゴジラの吐息がほのかにラベンダーの香りがしたそうじゃないですか。人類を滅ぼす存在に芳しき香りをさせることで、破滅はときに魅力的な顔をして近寄ってくるという庵野アイロニー筒井康隆氏および大林宣彦氏へのオマージュらしいですが、もちろんウソです。
だまして申し訳ありませんが、礼にはおよびません、仕事ですから。
(FB2017年10月8日を再掲)

 ↓『シンゴジラ』は関係ありませんが…

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

船橋市・中條医院を継承いたしました(その4)

funabashi-nou-shinkei.com

船橋市・中條医院を継承して1か月あまりが経ちました。
まだまだ不慣れですが、少しずつ慣れてまいりました。スタッフはじめ、まわりの皆様のおかげです。

中條医院を継承するにあたり、いろいろ考えたことを書き連ねて参りました。

話の順番としてはその1からその3までマクロな話からだんだんとスケール感を落としてきて、最後は超ミクロ、個人的な話になってまいります。

 

hirokatz.hateblo.jp

 

 

hirokatz.hateblo.jp

 

 

hirokatz.hateblo.jp

 

「開業医」の悩みと処方箋あれこれ

昔、勤務していた病院でのこと。

先輩のドクターが開業のため病院を辞めることになりました。

「ご開業、おめでとうございます」と言ったら先輩がポツリとこう言いました。

「“アガリ”みたいでなんだかさみしいけどね」。

 

ぼくが医学生のころ、今から二十年ころ前には、「つきつめると、医者には3つのゴールしかない」と言う人がおりました。大学教授か、病院長か、開業医。

大学で研究や教育指導に打ち込み、研究業績を上げて助教授(今だと准教授)、教授とアカデミズムの階段を登りつめる。

あるいはどこかの病院で勤務医として働き、手術をバンバンやって若手を育て、病院長に任命される。

そうしたアカデミズムや勤務医の出世競争から身を引いて、自分でクリニックなどを開くのが開業医。

今は医者にもそれ以外のキャリアがいろいろあるけれど、古い価値観では上記の三つのみが医者のキャリアだったわけです。

 

また、こんなことを言う人もいました。
「日本の医者が得られるものは限られている。教授には名誉が、勤務医にはスキルが、開業医には金が与えられる。名誉、スキル、金の3つ全てを同時に手に入れることはできない」

むかーしの開業医は経済的にだいぶ恵まれていたようです。今はたいへんですけどね。

 

大学病院の医者、病院の勤務医、開業医という3つの立場のうち、名誉の順で言えば大学病院>勤務医>開業医という雰囲気が昔の世代の医者にはありました。

ここらへん、日本独自の序列というところもありまして、「公」、「お上」に近いほどエライというか、たぶん五代将軍綱吉のころにつくられた幕府奥医師、大名お抱え医師、町医者の序列(①)を引きずっているんでしょうか。村上もとか著『JIN-仁‐』の中でも幕府の医者エライ的な江戸時代の医者の序列の話は出てきますね。
そこらへんたぶんアメリカは違いそうで、全米一のクリニック、メイヨークリニックなんかは開業医のメイヨー兄弟が設立して大きくしていき、ミネソタ大学設立にお金出したりメイヨー医学校つくったりしている。映画『パッチアダムス』の中で、パッチアダムスを退学させるかどうかの大学の会議に、地域の開業医の代表者も会議の一員になっているのを観てへーと思った記憶がある。ぼくが医学生だった二十年前は、大学はいわゆる「白い巨塔」的だったのです。

ウンチクばかりで本題に入れませんでした。終わらないんでもうちょっと続きます。

①新村拓『日本医療史』吉川弘文館 2006年 p.102 日本の医療を歴史の面から詳細に語った唯一無二の本。旧・厚生省の設立理由の一つが結核の蔓延で徴兵制度がうまくいかなかったこと(p.266)であるなど、この本で学んだことは多い。「その国の医療制度を論じるには、歴史を知らなければならない」。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

 

「ナンて、巨大すぎませんか」問題について考える。

(医院を引き継いだ話は一回お休み)

ああもしかして、ぼくの認識は間違っていたのかもしれない。唐突に天啓は訪れた。

うまく書けるかわからないがやってみる。

みんなは、インドカレー屋に行くときに何を目的に行くのだろうか。
カレーに決まってる。100人に聞けば100人がそう答えるだろう。
キーマカレー、チキンカレー、バターチキンにエッグカレー。ほうれん草のカレーにシュリンプカレー。スパイシーで魅力的な響き。


では、質問を変えてみよう。ナンて、巨大過ぎませんか。
巨大なナンに対し、カレーはちんまりとした器で提供される。
もっとカレーをたっぷり出していただけないだろうか、なんだったらナンはちょこっとで構わない。そんなことを思ったりはしませんか。今日の今日まで、ぼくはそう思っていた。

 

先日、ふらりと入ったインド料理店での出来事。

いつもの通り、巨大なナンがテーブルの中央に置かれ、その両脇にこじんまりと金属の丸い器に入ったカレーが二つ置かれた。これではまるで、ナンが主人でカレーが従者だ、と思ってはっとした。

いつもの通り、だと!?

 

そう、どの店でも巨大なナンが真ん中に置かれる。

と、いうことは、もしやインド料理の料理人にとって、ナンこそが主菜、メインディッシュで、カレーは添えものなのではないだろうか。
日本料理でいえば、お米と漬物、みたいな関係性。
どんなに漬物が美味かろうと、「漬物だけ持ってこい、なんなら米はいらない」なんていうガイジンがいたら変なように、インド料理人にとって、カレーはあくまでナンを美味しく食べるための添え物なのではないだろうか。


ジャマイカ系イギリス人作家、ゼイディー・スミスの小説「ホワイト・ティース」の中で、「美味いナンを焼く技術を持ったナン職人は、一生喰うに困らない」みたいな記述があった。
インド料理人は、とにかくナンを存分に味わい評価して欲しい、と願っているのではないだろうか。

 

そう言えば、ピザ職人が本当に味わってほしいのも具(だけ)ではなく、生地のところだと聞いたことがある。だからこそ、ピザの耳の部分、イタリア語で言うところの「コルニチョーネ(額縁の意)」を残してよいかが論争になる(参考文献 『めしばな刑事タチバナ』18巻)。

ナンとは何ぞや、インド料理において、ナンはメインなのか添え物なのかという疑問に対し、消息筋から多くの情報が寄せられた。

 

「インドでは高級料理店でしかナンは提供されなかった。日本人向けのマーケティングでは」(Y氏)
「インド北部ではナンやチャパティが出されるが、南部ではコメ」(M氏)

「ナンは日本人が焼き釜を改良してから高級店で出されるようになったという説も」(H氏)

「ナンは焼き釜がないと作れないので、インドでは高級品。インドにおけるカレーは、日本における味噌汁的位置づけ」(A氏)

総合してみると、ナンというのはもともと高級品だったようだ。高級品扱いだったからこそ客へのサービスとして巨大化の一途をたどったのだろうか。情報をお寄せくださったみなさまに感謝申し上げる。

 

先日のインド料理店に話は戻る。

ナンとは何なんだ、ナンとカレー、どっちが主役なのだ。

思い余ったぼくはいてもたってもいられず、思わず立ち上がって厨房に向かい料理人に聞いた。
「インド人にとって、ナンとカレー、どっちが主役でどっちが添え物なの?!」
厨房のインド人は慌てずこう答えた。
「チョットマッテテ」
そういうとインド人シェフは店員全員を呼び集めた。

店のあちこちからわらわらと出てきたインド人店員が、いっせいに踊り始めたのはもちろん言うまでもない。
(FB2017年10月27日を加筆再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

船橋市・中條医院を継承いたしました(その3)

funabashi-nou-shinkei.com

船橋市の中條医院を継承して2週間が経ちました。

毎日「ふなっしートレイン」に乗って通勤しております(本当)。

新京成×ふなっしー地上降臨5周年プロジェクト コラボ企画関連 - 新京成電鉄株式会社


新しくクリニックを始める機会などはそうそう無いので、記念に思いのたけを書きとめております。
前回、前々回はこちら↓ というわけで続きを。

 

hirokatz.hateblo.jp

 

hirokatz.hateblo.jp

「で、お前はどうする?」

東京を取り巻く千葉、神奈川、埼玉、茨城のベッドタウンの医療リソースが手薄なことや、比較的軽症で安定している患者さんに対する維持的・早期発見目的の医療リソースが減少しつつある、なんて問題意識を前回、前々回書いてみました。これらはいうなればマクロ視点の話です。
で、マクロ視点の話は一段落させて、今度はミクロな視点での話。

医療行為が制度や法律によって左右されると痛感したのは2000年代のはじめのころ。
ぼくが医者になったのは1999年。介護保険が施行されたのは2000年(①)で、ギリギリ介護保険前の時代を医者として垣間見ることができました。
介護保険が出来てから家族の負担は明らかに減って、制度によって救われる人がたくさんいることをみたわけです。

もちろん制度改変は現場にとっていいことばかりではなく、例えば2000年代のはじめには唐突に「療養病床38万床削減」なんて話が出てきて混乱したり、「脳梗塞の場合、健康保険を使って病院でリハビリが出来るのは180日まで」(②)というルールが出来て困ったりもしました。

医療問題(③)の一定数はマクロ的な制度の問題、システム・エラーであると感じて、本を読んだり勉強会に出始めたのが2000年代半ばころ。

で、良い本読んだり勉強会に出たりしていろいろ学んで、それはそれでいいんだけど、いつも最後に聞こえてくるのは「で、お前はどうする?」という心の声だったわけです。
今まで知らなかった知識を得た、あるいは医療制度・医療政策の理解が深まったのはいいんだけど、じゃあその知識をどう活かすか、理解を行動にどうつなげるかといわれると、直接自分の診療行為が変わるわけではない。
行動につながらない知識や理解をどれだけ増やそうが、それは知恵ではなく単なる「お勉強」に過ぎないのではないか、と心の声が問うわけです。

あるいは、医療政策や医療制度について学べば学ぶほど、「まったく新しいことというのは役所の机の上で生まれるわけではない」ということがわかってきました。
訪問診療の公的制度ができる前から堀川病院では早川一光先生たちが患者さんのお宅を訪問していたし、もちろん昔から往診(④)というのもあった。
医療に限らず、公的制度というものは海外含むどこかでうまくいっている先行事例・成功事例を見つけてきて、それを全国展開するにはどう予算をつけ、どういう法律を作ったらよいか徹底的に研究して制度になるわけです。役所の人の頭の中だけから生まれるわけではない。新しいことが生まれてくるのはいつだって現場です。

かといって現場だけでは「いいこと」って全国展開できないし、現場の暴走・独りよがりの落とし穴もあるから、現場と役所は車の両輪ですね。

あるいは、医療に限らず地域おこしの成功事例の現場の聞き込みにいくと、必ずそこには「人」がいます。「誰々さんが来てから流れが変わった」「誰々さんがいなかったらうまく行かなかった」って話が、絶対に出てきます。

成功事例には仕掛け人だったり、強力なサポートしてくれる人だったり、成功事例にはかならずキーパーソンがいます。「○○システム」とかだけでは事態は動かない。

もっとも、半永久的にその成功事例が続くためにはキーパーソンだけに依存しすぎても続かないので、システム化が必要で、人とシステムもまた車の両輪なわけですが。

 

本を読むたび、勉強会に出るたびに聞こえてくる「で、お前はどうする?」という心の声にこたえるためには、なんらかの形で実践者にならなければならない。「で、お前はどうする?」の心の声もまた、中條医院を継承する一つの要素でした。

 

 <「多くの仕事をしようとする人は、いますぐひとつの仕事をしなければならない」

 マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド 1744~1812>(⑤)

 

Destroy your business,あるいは「未来の医療は今と同じだろうか」

 

Destroy your business、あなたの仕事を破壊せよ。フィリップ・コトラーの言葉だと思い込んでいましたが、今回ググりなおしてみたらウェルチの言葉なんでしょうか(⑥)

誰か(や何か)があなたの仕事を破壊する前に、自分自身で自分の仕事を破壊せよ。どうしたら自分の仕事を破壊できるか考えることが新しい仕事の創造となる、ということで、ぼくにとって非常に魅力的な考え方です。

例をあげてみます。パソコンゲームで一世を風靡した会社がありました。しかしパソコンゲームで売り上げを挙げているうちに、携帯電話が出てきた。携帯電話というものは電話だけでなくゲームもできるらしい。このまま放っておけば、携帯電話用のゲームがどんどん成長して、パソコンゲームを駆逐するかもしれない。
どこか別に会社に携帯電話用ゲームで自分の会社が「destroy」される前に、自分たちで携帯電話用ゲームを作ってしまう。自分で自分の仕事を「destroy」する。

あるいは、ガソリン車を作っている自動車メーカーが、新興の電気自動車メーカーに「destroy」される前に自分たちで作っちゃう。

(もっといい例が出せるといいけど、力不足)

ぼくが従事している医療という分野は、継続性が大事なので、「リセット」する必要はありません。今まで通りに安定して良い医療を提供するのが何よりも大事です。そう簡単に「destroy」しちゃいけないと思う。

でも一方で、目を閉じて10年後の医療や病院を想像してみると、今と同じはずがない。
例えば昔はがんになれば治癒は望めない時代もあった。病院だってクレジットカード払いなんかなかったし、遠隔診療もなかった。
誰かが新しいアイディアを考えだし、新しい技術がもたらされ、新しいサービスが日々生まれていく。古いものはやはりゆっくりと「destroy」されていく。

 

今はまだ開発中の、涙で血糖値を測るコンタクトレンズ(⑦)が普及すれば、糖尿病のケアももっと楽になるし、そのほか思いもつかないような技術が、新しい医療を作っていく。ヘルステックと呼ばれる超魅力的な分野が毎日新しい地平を開いているのが今という時代です。

 

たぶんもう始まっているこのヘルステック革命、ヘルステック祭りにユーザー側として参加したい、というのもひそかな望みでもあります。祭りには会場が必要だし、参加するのにいちいち上司の許可をとらなくてよければ最高です。祭りは積極的に参加しないと楽しくないですからね。

 

なにより大事なD、そしてE

地域医療で大切なABCDというのがあります(⑧)。
Aはアンテナ。常にアンテナを張って、患者さんや地域の情報、新しい医学知識をキャッチする。
Bはバランス。医学的に正しいことと、患者さんが考えることがずれたり、最新の医学と地域の事情が合わない場合にうまくバランスをとる。

Cはコミュニケーション。患者さん、スタッフ、福祉・介護専門家や他のドクターとうまくコミュニケーションがとれないといけない。

Dはデイリー・ワーク。やっぱりね、デイリー・ワークがちゃんとできないと全ては机上の空論ですね。
とにかくまずDをしっかりやってまいります。
それができたら次はE。EはEnjoy,楽しみながら働いていきます!

(次でおしまいの予定)

 

厚生労働省介護保険とは」

http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12300000-Roukenkyoku/201602kaigohokenntoha_2.pdf

②平成20年からは、治療継続で良くなる可能性があれば180日を越えることもできるようになったとのこと。
厚生労働省資料

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r985200000079ry-att/2r985200000079tp.pdf

③雑な言い方ですみません。

④制度的には訪問診療と往診は別モノで、訪問診療は定期的に月2回とか訪問するもので、往診は患者さんが具合が悪いときだけ例外的に家に行くことですね。

⑤ビジネス哲学研究会編『心に響く名経営者の言葉』 PHP研究所 2008年 p.110-111

Kill Your Business Model Before It Kills You

⑦Forbes  JAPAN 2017年10月号 p.35など。
自治医科大学『地域医療テキスト』医学書院 2009年

 

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

 

 

 

船橋市・中條医院を継承いたしました(その2)

funabashi-nou-shinkei.com

船橋市にある中條医院を引き継いで1週間が経ちました。
今までやったことのないことばかりで冷や汗をかいたりもしていますが、スタッフやまわりのかたがたに助けてもらってなんとかやっております。
楽しく悩みながら前に進む日々です。
というわけで、前回の続きなど。

前回はこちら↓

hirokatz.hateblo.jp


「80歳男性、ヘモグロビン10」を考える

血液検査でヘモグロビン(Hb、血色素)という項目があります。雑に言えばこの数字が低いと貧血で、正常値は男性13.5以上、女性11.3以上(①)。それ以下は「異常値」です。

カギカッコつきの異常値としたのは、高齢になると上記正常値より少し低めの人はゴロゴロいるからです。
で、ゴロゴロいる「異常値」の患者さんをかたっぱしから徹底的に検査したとしても、おそらくほとんどの場合、いわゆる病気は見つからないのではないかと思います。
しかしヘモグロビンが低い貧血の中にはいろんな原因があり得て、中には胃潰瘍などからの出血など緊急検査が必要なものもあります。
緊急対応をしたほうがいい場合と、そうでない場合を簡単に見極めるにはどうするか。一番シンプルなのは、過去との比較。

3か月前も半年前も、1年前も2年前もヘモグロビンの数字が10の人だったらたぶんあわてなくてよい。低め安定の場合ですね。

しかし3か月前はヘモグロビンが15あった人が今回の検査で10だったら、ほぼ確実に体のどこかから出血しているはずです。急激に低下してる場合です。
診察や検査というのは、ピンポイントで異常とも正常とも言い難いことが結構あって、過去の診察記憶やデータと比べないとはっきり言えなかったりするわけです。

ピンポイントで「これは病気だ!」って医者が断言できる場合はそれなりに重症なんですね。

過去との比較と同様に大事なのが、「経過観察」です。

はじめは軽い風邪かなと思っていても、次第に悪化して、後から振り返ると肺炎のなり初めだったなんてことはよくあります。一番最初は症状が軽くてよくわからないんですね。
一番最初は症状が軽くてよくわからないからこそ、医者は「少し様子見ましょう」なんていって数日後にもう一度受診してもらったり、場合によっては経過観察入院を勧めたりするわけです。
これはその医者の診断能力が低いからではなく、病気ってそういうもんで、人体はゼロかイチのデジタル構造ではないから。
その証拠に、今を生きる現役医師の中で世界最高峰の診断能力を持つ医者の一人、ローレンス・ティアニー先生が「経過観察入院」について、米国の現状に憂慮しつつこう書いています。

<米国を代表とするいくつかの国々では、在院日数を短縮する圧力により、入院しながら経過観察することが困難になってきています。経済的には損失かもしれませんが、アジアやヨーロッパのいくつかの施設では、患者は診断がつくまで十分な期間、入院が可能です。これは、複雑な疾患を診断するうえで有利であり、また、教育のよき土壌にもなりえます。>(②)

 

で、一医者として困ったことだと思うのは、たぶん日本もティアニー先生のいう「米国を代表するいくつかの国々」の仲間入りをしつつあるということです。診断がついてない状態で入院をしてもらい、直接的な治療をせずに様子をみることが、医療経済上不可能になっていくはずです。
また、大病院の外来では最近、薬を60日分とか90日分処方してくれるようになったことにお気づきの方もいるはずです。あれはなにも患者さんの便宜のため(だけ)ではなく、要するに毎月外来にきてもらうと病院外来がパンクしてしまうから。

「外来が混み過ぎて大変だから、5年分くらいまとめて薬出せればいいのに」と、とある大学病院の医者がベロベロに酔ったときに言ってました。5年分の薬って(笑)

 

大病院の外来が混み過ぎているため、「落ち着いているからあとは地元の開業医さんに診てもらってください」と言われれ紹介状を渡されたことがある方もいるでしょう。これもまた、安定している患者さんを定期的に診療する人的・時間的余裕が大病院に無くなってきているためでもあります。

 

で、患者さんサイドから考えると、定期的に医療機関で診察・検査などのチェックを受けるってことは非常に大事なはずです。冒頭の「80歳男性、ヘモグロビン10」の例のように、なにか軽い異常があったときにすぐに過去の記録や検査結果と比較して、早めに異常だと気付けるから。

しかし、安定している軽症・慢性期の患者さんをきっちりフォローする受け皿は足りないんですね。
高齢化が進み、病気になる方は増えます。オプシーボに代表されるように医学が進むと高額な薬品や手術も増えます。一方で、労働人口が減るので、健康保険料は伸びない。
これからの日本では、医療ニーズは増え、かかるコストも増えますが、財源は限られる。単純に一人当たり・一件当たりに使える公的なお金は減ります。残りは、自己負担か民間保険。自己負担が払えない人は…。
となると、病気になっても軽い状態のままなんとか安定させる、あるいは病気が悪化し始めたらすぐに気づいて食い止めるべく治療を強化する、というタイプの医療が必要になります。
大病院は中等度から重症の病気の医療や専門的医療、急性期医療に特化する。訪問診療は、長期の寝たきりの方などの慢性期・重症の方をケアする。

今まで大病院の外来が担ってきた慢性期・維持期の軽症の方、「なにかあったら入院できるように定期的に診させてください」と言っていた方がたは、もう大病院では診きれない状態になってきているのが、今です。
で、そこの受け皿になることを意識化・言語化できている医療機関は少ないんですね。
その役割を担おうと思ったのも、中條医院を継承した理由の一つです。

(あと1,2回続く)

 ①検査会社SRLサイトより 

http://test-guide.srl.info/kansai/test/list/20

ローレンス・ティアニー『ティアニー先生の診断入門』医学書院 2008年 p.17

 ティアニー先生の診断能力は超人的で、「68歳男性、腰痛と夜間頻尿、意識障害」という情報だけで「高カルシウム血症」と正しい診断をつけられたほどだとか(同書 p.47)。こういう一発診断をSlam Dunk Diagnosisというんだそうだが、未熟な医者がこのSlam Dunk Diagnosisをマネしようとすると大怪我をすることうけあいなので、ぼくは粛々とやっていきますが。Slam DunkNBAプレーヤーにまかせましょう。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45