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4月17日20時から渋谷クロスfmで『高橋ひろかつのradioclub.style』放送です!

いよいよ本日20時から、渋谷クロスfmで第3回『高橋ひろかつのradioclub.style』放送です!
本日のテーマは「新学期&学び part.1」!
お相手は旅人のアッキーこと大谷明氏と認知症研究の第一人者のお一人、島田斉(ひとし)先生!

ぜひぜひお聞きください!
Twitterハッシュタグは「#ラジスタ」!
視聴はこちらから↓

ShibuyaCross-FM

日本ほめ上手列伝

日本には、「ほめ」が足りない。

ネットやテレビでやってる「日本SUGEEE、世界がしびれる、憧れるゥッ!」的なやつじゃなくて、普段づかいのやつ。

ネットでは「いいね!」を乱発するくせに、日常生活で「いいね!」を使いこなしているのはクレイジー・ケン・バンドくらいではなかろうか。

日本には、「ほめ」が足りない。

 

足りないものには値札がつく。

普段からひとにほめられていないから、「ほめ」を求めてオジサマたちは夜な夜な街をさまよい歩く。夜の蝶から「さすが~」「知らなかった~」「すご~い」「センスい~」「そうなんですかぁ」の「ほめ」のさしすせそを手に入れるために、彼らは大金を払うことを惜しまない。嗚呼、巧言令色鮮し仁。

 

しかしそんなほめが足りない日本にも、燦然と輝くほめ上手たちがいる。もしほめ上手を目指すなら、そんなほめ上手たちから学ばない手はない。

 

日本のほめ上手といえば太鼓もち、幇間(ほうかん、たいこもち)。

夜のお座敷の雰囲気づくりのプロ、幇間の歴史は長い。

そもそも「たいこもち」という名前は、豊臣秀吉の側近曾呂利(そろり)新左衛門がしょっちゅう「太閤、いかがで、太閤、いかがで」と言って太閤秀吉を持ち上げていたから「太閤もち」→「太鼓持ち」というようになったという説があるくらいだ(諸説あり。小田豊二『悠玄亭玉介 幇間の遺言』集英社文庫 1999年p.28)。

ちなみに幇間というのは酒間を幇(たす)けるという中国の言葉からきている(同書同頁)。

 

さて、最後の幇間と呼ばれた悠玄亭玉介が、こんなことを言っている。

とにかく相手に惚れてみな、と。そしてそのためには

<あたしはね、とにかくまずお客様の顔を見ることにしてた。

 目とか鼻とかおでことか、じーッと見る。そうすると不思議だね。いいところが見つかるんだよ。人間てのは、不思議なもんで、どんな人でも二カ所はいいところがある。目つきがいいとか、口に愛嬌があるとか、鼻がかわいいとかさ。顔じゃなくたって、笑い声が子供みたいだとか、姿勢がいいだとか。

 もちろん、金払いがいいってえのが、あたしにとっては最大の魅力だけどね。>
(上掲書 p.260)。

どんな人でも二カ所はいいところがある。一カ所と言わないところが粋ですね。

87歳まで活躍した玉介は<人に惚れ、仕事に惚れ、自分に惚れる。それがあたしの長生きの秘訣よ。>(p.289)とも言っている。

 

よく見て言葉を発する職業といえば小説家。

小説家井上光晴を追ったドキュメンタリー映画『人間小説家』の中で、よく思い出すシーンがある。たしか、こんなシーンだった。

井上光晴がお弟子さんの女性とチークダンスを踊る。そこはかとなく色気が漂う。

女性は六十前後くらいだろうか。

女性がインタビュアーに語る。

「先生はね、私のことほめてくださったの。耳たぶが可愛いって」

そういいながら女性はほんのり頬を染める。

「今までそんなこと言ってくれる人なんていなかったから。でもね、何十年も前……亡くなった両親がそう言って私をほめてくれた。耳たぶが可愛いって。誰にも言ったことはなかったけど」

ほめの一言が幸せな子供時代をよみがえらせ、女性のモノトーンの日常をフルカラーに変えたのだ。相手をよく見、言葉を選びぬき心を射抜く。まさにほめの達人と言うべきであろう(1)。

 

ちょっとひねった「ほめ」もある。

サッカー日本代表の監督だったイビチャ・オシム氏は数々の名言で知られる。

オシムは選手に対しても辛辣で厳しい言葉を浴びせ続けたが、それだけではなかった。

<「ずっと厳しいことを言っておいて、ふとした時に、ポンと『もうワールドカップ出場を狙っていないのか』とか、『もっと上を見いいんだぞ』とか、声をかけるんです。例えば阿部やいろいろな選手に、お前たちは代表の選手に劣っている部分はそんなにないんだから、もっと上を見ていいんだと、言ってくれたりするんです。(略)」>(木村元彦オシムの言葉 フィールドの向こうに人生が見える』集英社インターナショナル 2005年 p.203。「 」内は羽生直剛選手談)。

世界が誇る名将にぼそっと「もっと上を見ていいんだぞ」と褒められたら、選手も発奮するというものだ。

ちなみに、オシムは<「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。(略)新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある」>(『オシムの言葉』p.38)とも語っている。

 

「引きのほめ」というのもある。

あえて語らないことで成立する「ほめ」だ。
政治評論家の三宅久之氏は阿川佐和子氏と会うたびに

「これはこれは。また今日は一段と……」

とだけ挨拶するという(阿川佐和子『聞く力』文春新書 2012年 p.242)。

そのエピソードについて、阿川氏はこう続けている。

<でもたしかに、「一段と……」のあとに、実のところ何が続くかはわからないのですが、言われた側としては、「一段と、おきれいで」とから「一段と若々しく」とか、そんなふうに褒めていただいたような錯覚を起こすものです。三宅さんとしても、本人を前に、歯の浮くような具体的な形容詞を使わなくて済むから、さほど負担にはならない。>(上掲書同頁)

なるほど。

 

日本の歴史の中で、ほめの金字塔といえばやはり淀川長治だろう。

一定以上の年代の人なら知らない人はいない映画評論家で、一言でいえば愛の人だ。

映画への愛、映画人への愛、視聴者への愛にあふれた淀川氏の映画解説には、「ほめ」しかなかった(2)。

「どの映画にも見所はある」が信条で、日曜洋画劇場でくりひろげられる映画解説では、どんな映画であっても決してけなすことはなかったという。たとえB級C級映画であっても彼は必ずほめるところを見つけ出してほめた。

ぼくたち「ほめ」業界の間で伝説となっている映画解説がある。

こんな感じだったようだ。

「はいみなさんこんばんは。今日の映画は、『大蛇アナコンダ』。あなたね、大蛇、出てきますよ。出てくるヘビがね、なんと、体長、5メートルも、あります。大きいですね、すごいですね、怖いですね。しかもね、アナコンダ、とても速い。くねくねくねくね、動くんですね、速いですね、すごいですね、怖いですね。 ね、あなた、なんといっても、アナ、コンダ、大きいですよお、楽しみですねえ。それではじっくりお楽しみください」(3)

大蛇が大きいとしか言っていないのだが、よっぽど大きい蛇だったのだろう。

 淀川氏は89歳まで長生きしたが、この人もまた人に惚れ、仕事に惚れ、自分に惚れた人の一人だったのかもしれない。

 

日本のほめ上手たちを振り返ってみたが、どの達人たちもかなりの人生経験を経た人々であることに気づく。「ほめ」の達人になるには、まずは自分の人生の達人にならなければならないのだ。

 

ほめ上手への道は長く険しいが、それでも明日はモア・ベター。

いやあ、「ほめ」ってほんとうにいいものですね。サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。

 

(1) 映画を見たのは二十年以上前で、あえてうろ覚えのまま書いた。大きく間違ってたら直します。

(2)ただしイベントなどでは結構辛口なことも言っていたようだ。

(3)youtubeで『アナコンダ』の解説があがってないか探したが見つからなかった。残念。

 

↓ラジオ始めました。

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正しいほめかたとイタリア人

実は、イタリア人になるつもりだ。だって楽しそうなんだもん。

 

日本や英米社会が高ストレス化していくばかりなのに対し、日がな一日イタリア人はマンジャーレ・カンターレ・アマーレ(食べ、歌い、愛す)だし、なにしろペペロンチーノでエスプレッソだ。とにかく人生を楽しんでいる感じが素晴らしく、前々から日本にはラテン成分が必要だと思っている。ペスカトーレ
イタリア人のキメ台詞は「Goditi la vita」、あなたの人生を楽しみなさい、だという。ボンゴレ。(参考サイト 嘘と誓い )

 

ではどうしたらイタリア人になれるのか。やはりドルチェとか食べるのか。

文献によれば、イタリア人はとにかくおしゃべりらしい。

シモネッタことイタリア語通訳の田丸公実子氏は、ガセネッタこと米原万里氏との対談でこう述べた。
<田丸 イタリア人は口上手で話し言葉が豊富。プレゼントあげるとイタリア人は「マニフィコ!スプレンディド!ファヴォローゾ!エッチェレンテ!ペッリッシモ!」って、パーッと言う。でも日本語だと「すばらしい」しかないの。「最も美しい」なんて日本語じゃないし、「卓越した美しさ」だなんて、話し言葉じゃないし。日本語は、書き言葉と話し言葉の乖離が激しい。

米原 日本人は昔からそうなのよ。『枕草子』だって、「あはれ」と「をかし」ぐらいしか出てこないじゃない(笑)。>(『言葉を育てる 米原万里対談集』ちくま文庫 2008年 p.223)

 

そうか、足りないのは“ほめ”だ!イタリア人になるには“ほめ”に習熟せねばなるまい。

そう考えてぼくは、しばらくの間“ほめ”に励んだ。むろん、イタリア人になるためである。グラッツェ

しかしその結果は散々なものだったことを告白せねばなるまい。

手当たり次第かたっぱしから周囲の人のことをほめてみたいのだが、かえってくる言葉は

「どうも君の言うことはうさんくさいんだよね」

「心がこもってないよなあ」

「なにかたくらんでそう」

マンマ・ミーア、ローマは一日にしてならず。

 

誰かをほめるというのは案外難しいものだ。ほっておくと私たちの舌は、人の悪口を言うようにできている。

嘘だと思うなら試みに、他人をほめながら酒を飲んでみるとよい。誰かをほめながら飲み会をやっても5分で終了してしまうが、誰かの悪口を言いながら酒を飲めば一晩中だって飲み明かせるものだ。
古人曰く、<舌は火である。不義の世界である。(略)舌を制しうる人は、ひとりもいない。>(ヤコブの手紙 第三章)。

 

舌を制し、“ほめ”を極めるにはどうしたらよいか。

悩んだ末、専門家の力を借りることにした。すべてはイタリア人になるためである。

専門家によれば、正しい“ほめ”には6つの原則があるという。
すなわち、①事実を、細かく具体的にほめる、②相手にあわせてほめる、③タイミングよくほめる、④先手をとってほめる、⑤心を込めてほめる、⑥おだてず媚びずにほめる(本間正人・祐川京子『やる気を引き出す!ほめ言葉ハンドブック』2011年 PHP文庫 p.33)である。

特に⑥が難しい。

媚びへつらうつもりがなくても、まかり間違うとやはり“ほめ”ではなく“おだて”、“こび”に聞こえてしまうのが“ほめ”の難しいところだ。

 

上記の『ほめ言葉ハンドブック』には豊富な実例が載っていて参考になる。

その中でも参考になるのが運と包丁である。

なにか仕事が想像以上にうまくいったとき、「運がいいね」と言われると腹が立つ。

しかし「運がつよいね」「強運の持ち主だね」と言われると、悪い気はしないものだ(参考箇所『ほめ言葉ハンドブック』p.63-64,p175-176)。

また同書は、寿司職人をほめるときには「見事な手さばきですね」とほめてはいけない。「素人にわかってたまるか」と無用の反感を買うからだ。
そうではなくて、「その包丁、よく切れますね」とほめるのがよいという(p.105-106)。

 

これはおそらくこういうことではないか。
ほめの対象となる人物そのものをほめようとすると失敗するが、ほめの対象人物に付随するものをほめればうまくいく。

ほめという言葉の矢を放つときに、的の中心を射抜くのは大変で、往々にして「的はずれなほめ」になる。「的はずれ」なほめは、単なるお追従である。

そうではなくて、的の周辺、ほめの対象人物に関するものごとや、ほめの対象人物が関心のあるものをほめなければならないのだ。

 

ベストセラーとなった『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健 2013年 ダイヤモンド社)にはこんな一節がある。
アドラー心理学では、子育てをはじめとする他者とのコミュニケーション全般について「ほめてはいけない」という立場をとります>(kindle版 2482/3760 )。なぜなら<ほめるという行為には「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という側面がふくまれて>いるから(2482/3760)。

アドラーの見方では、<人は、ほめられることによって「自分には能力がない」という信念を形成していく>(2563/3760)という。だから人は、本能的にほめる人を警戒するのかもしれない。

 

アドラーの顔を立てつつ正しいほめかたを身につけるのはどうしたらよいか。その答えは『嫌われる勇気』の続きである『幸せになる勇気』にあった。

おだてずこびず、相手にイヤな感じを与えずにほめるにはどうしたらよいか。

『幸せになる勇気』が出した答えはずばり<「他者の関心事」に関心を寄せる>(『幸せになる勇気』609/3673。ただし同書自体には「ほめる」とは書いておらず他者に敬意を示す具体的な方法としている)である。

 

エウレーカ!これですべてがつながった。

相手そのものではなく相手に付随するものや相手が関心のあるものをほめよ、というのはそういうことだったのか。

寿司職人自身ではなく職人の持つ包丁をほめるというのは、職人の関心事に関心を寄せるということだし、<相手が尊敬する人物をほめる><経営者をほめる時は本棚に注目>(『ほめ言葉ハンドブック』p.100-103)というのも、まさに相手の関心事に関心を寄せることにほかならない。

ではどうしたら他人の関心事に関心を寄せる、言葉を変えれば相手への尊敬を具体的に示すことができるのか。

この答えもまたシンプルで、相手を虚心坦懐に見ることだ。

<尊敬(respect)の語源となるラテン語の「respicio」には、「見る」という意味があります。>(『幸せになる勇気』491/3673)

イタリア人になるために正しいほめかたを身に着けること。そのためには相手を尊敬し、見ることが重要ということなのだろう。

 

長くなった。

イタリア人になるための旅は、イタリア人の言葉で終えるのがふさわしい。
イタリア人といえば、パンツェッタ・ジローラモジローラモ氏はこう語る。
<私は子供の頃から人間観察が好きだった。>
<今でも私は人を観察することが好き。日常の中で人を見ることが好きだけど、特に旅行で海外を訪れたときの醍醐味は、外国の異文化の中で、いろいろな人たちの表情や癖を発見すること。>
<(略)女性に対してのみならず人をよく観察して、その人に対してのさりげないフォローができるようになったら、オトコとしてだけでなく、ひとりの人として素晴らしいことだと思うし、それが日頃、私が心がけていることでもある。>(パンツェッタ・ジローラモジローラモのイタリア式伊達男のなり方』2004年 河出書房新社

さすがジローラモ氏、いいことを言う。さっそく『LEON』を定期購読することにする。嘘だけど。

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↓病院でも、「相手の関心事」に関心を寄せるというのは大事ですね。

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『儲かる一言 損する一言』には載っていない、行列のできる小児科医のキラーワード

「うちの小児科がいつも行列ができる秘訣だって?仕方がない、特別に教えてやろう。

子どもを診察するときにこう話しかけるのがコツだ。『ボク、大きいね~、いくつ?』ってね。

だいたい半分くらいの患者さんで使える方法だよ」

先輩の小児科医が言った。

それだけで行列ができるくらい大繁盛するんですか、ほんとかなあ。

クリニック大繁盛の秘密を明かそうと意気込んでいたぼくは、なんだか拍子抜けしてしまった。

 

会計士の田中靖浩氏の新刊『値決めの心理作戦 儲かる一言 損する一言』(日本経済新聞出版社 2017年)の冒頭には、別の小児科医の行列の秘密が書かれている。
<ふつうの小児科医はまず病状を聞いて熱を測り、そのあとすぐに注射や投薬といった治療に入ります。

 しかし、その「行列のできる小児科医」はちがいました。

 お母さんから子どもの病状を「ふむふむ」と聞いた上で、

「大丈夫、すぐ治ります。お母さんが早く連れてきたおかげですよ」

 と、「母親の気持ちに寄り添う一言」をかけるのです。

 わが子を心配する母親に向け、その不安を取り除いた上で「あなたのおかげですよ」と意表を突くねぎらいの一言。

 この予期せぬ言葉に、母親は心をわしづかみにされてしまうのでありました。>(上掲書 kindle版 10/1437)

 

この『儲かる一言 損する一言』では、さまざまなビジネスシーンで差がでる「たった一言」をまとめていて面白い。

講演するためにスーツを新調しにいった著者に「講演会にはどんなお客さまがいらっしゃるのですか?」と質問することで高級スーツを購入するよう誘導した例(カラクリはkindle版 630/1437)、ふつうはメニューに「気まぐれ野菜を添えて」と書くところを「名もなき野菜を添えて」と書いてお客の興味を惹いた例(1255/1437)などなど、「たった一言」でぐぐっと「儲け」を引き寄せた事例が満載である。

 

中でもぼくのお気に入りはタコス屋さんの話だ。

アメリカにいまいち繁盛していないタコス屋さんがあった。運転資金も使い果たし、今にもつぶれる寸前のそのタコス屋に、さらなる悲劇が襲った。強盗に入られたのである。

深夜3時、タコス屋に乗りつけた怪しい男たち。

入口のガラス戸を割り、店内に侵入。キッチンを荒らし、倉庫をひっかきまわし、さんざん店内を探し回ってもお目当てのものは見つからない。最後にレジスターを奪って男たちは逃走した。
店主にとってふんだりけったりとはこのことだが、彼は「たった一言」で運命を大逆転させたのだった。
防犯カメラに映った強盗たちのご乱行をCMに仕立て、「たった一言」、こう添えてテレビ放映したのだ。
「Guy wants a taco/ヤツらはタコスが欲しがった」(上掲書 699/1437)
そのCMがこちら。

www.youtube.com

このCMを見てお客は殺到。つぶれかけたタコス屋にとって、「Guy wants a taco」は、まさに大繁盛のキラーワードとなった。

 

さて、『儲かる一言 損する一言』に出てくる小児科医の話に戻る。

病院というのは時に不親切なもので、軽症の子どもを連れていけば「こんなに軽いのに病院に連れてきちゃダメじゃないか」と怒られたり、重症の子どもで連れていけば「こんなに重くなってから病院に連れてきちゃダメじゃないか」と怒られたりする。どうせいというのだ。
そんなときに「大丈夫、すぐ治ります。お母さんが早く連れてきたおかげですよ」なんて声をかけられたら、すべての母親はその小児科医のファンになるだろう。

ぼくの先輩の小児科医もまた、「たった一言」を有効に使ってファンを増やしているドクターだ。

その秘密の「たった一言」が冒頭の「ボク、大きいね~」だが、もう少し詳しく聞いてみた。

 

「いいか、タイミングが大事なんだ。

赤ちゃん連れのお母さんが診察室に入ってくる。

いろいろと病状を聞く。

熱を測ったり胸の音を聞いたりして、軽症そうなときがいいな。

それからベッドを指さして『じゃあもうちょっと診察させてね。ポンポンみるんでそこに横になってね』と言って赤ちゃんをベッドに寝かせる。

『ポンポンみるからごめんね~』と言って赤ちゃんのオムツを外したら、そのタイミングだ。

『うわあボク、ずいぶん大きいね~!1歳半なのにずいぶん立派だね~!!』

男の子にしか使えない手だが、お母さんたちはみんな胸を張って帰っていくよ」

どうして男の子にしか使えない手なのか、なんでわざわざオムツを外したタイミングなのか、なにがどう立派なのかは専門外のぼくにはまったくナゾだが、たぶん小児科医には小児科医にしかわからない事情があるのだと思う。

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ウソと誤解と魚と毒とー「四月の魚」とは何か?

ウソが恋を生むように、誤解はときに文化を生む。時計の針が12時を回り、頭をよぎったのはそんな言葉だった。

 

12時までに家に帰らなければ、と急いだシンデレラが残したものはガラスの靴だった。

12時を過ぎたら魔法は解け、馬車はカボチャに、ドレスはつぎはぎだらけの服にもどってしまう。だがどうして、ガラスの靴だけは元に戻らなかったのだろうか?魔法が解けたらガラスの靴だって消えてしまいそうなものなのに。

 

靴だけは魔法使いが直接シンデレラに与えたという話がある。もともとシンデレラは裸足で働いていたため、ボロボロの靴さえ履いていなかったというのだ。

しかももともとの民話では「毛皮/vaire/ヴェール」の靴だったのを、ペローが「ガラス/verre/ヴェール」の靴と勘違いしてガラスの靴のイメージが誕生したという説があるそうだ(諸説あり)。

ガラスの靴なんてものはえらく歩きにくそうだし、舞踏会には不向きだが、毛皮の靴のままだったらシンデレラの華やかさはずいぶんと減ってしまうようにも思われる。

誤解が文化を生む例はほかにもある。火星人の話だ。

1877年に火星が地球に大接近したときに、イタリア人天文学者スキャパレリは火星の表面に筋状のものが見えることを発見した。この筋状のものをスキャパレリはイタリア語で「みぞ/canali」と書き記したが、これが英訳されるときに「運河/canal」と誤解されてしまった。

これをみて英語圏では「火星には運河がある!」と大騒ぎになり、運河があるからには火星人がいるに違いない、という話になった(引用元

https://www.i-kahaku.jp/magazine/backnumber/35/02.html )

もともとはcanaliをcanalと誤解したのが発端だが、この誤解がなければHGウェルズの「宇宙戦争」もブラッドベリの「火星年代記」も、ひいては山田芳裕の「度胸星」もなかったかと思うと味わい深い。テセラックはどうなったかなー。

 

ほかにも誤解による文化の誕生というのはあちこちにあって、例えばイチョウの学名はGinkgo bilobaだが、これはその昔ケンペルという学者が日本語のginkyoをginkgoと誤記した名残だし(イチョウ - Wikipedia )、「ブリキ」という言葉も金属の箱に入ったレンガをbrickと呼んだのを勘違いして金属=ブリキとして日本語に定着してしまったという説がある(諸説あり。ブリキ - Wikipedia )

 

誤解が文化を生むと言えば、エイプリル・フールの風習もその一つだ。

エイプリル・フールの起源はフランスだという説がある。
フランス語ではエイプリル・フールのことを「四月の魚/Poisson d'Avril/ポワッソン・ダヴリル」という。

だが実は、これはもともと「四月の毒/Poison d'Avril/ポワゾン・ダブリル」だった。

 

チャールズ・マッケイ『狂気とバブル なぜ人は集団になると愚行に走るのか』(パンローリング株式会社)によれば、ヨーロッパでは16世紀初頭から17世にかけて毒殺が流行した(同書第4章)。

フランスでは1670年から1680年にかけて毒殺が大流行し、この時期<書簡作家のセビニエ夫人もその書簡の中で、フランス人と毒殺犯が同義語になってしまうのではないかという懸念を表していたほどだ>(同書第4章 kindle版2320/13689)という。

その中でも悪名高かったのはブランビリエ侯爵夫人で、この人は愛人サント・クロワの歓心をかうために自らの父や兄を毒殺しただけでなく、実験のために多くの病人に毒入りのスープを飲ませたりしている。

ブランブリエ侯爵夫人は結局1676年7月16日、パリにて処刑された(kindle版2439/13689)。

 

ブランブリエ侯爵夫人が処刑されたあともフランスでは毒殺の流行は止まらず、かえって盛んになるばかりだった。政府としてはこれを見過ごすわけにはいかなかったが、かといって無数の毒殺事件を立証するのはほぼ不可能であった。

 

この状況に苦渋の決断を下したのが当時政府の中枢にいたPierre Daresolet/ピエール・ダレソレである。

哲学者でもあったDaresoletは、古代ローマの思想家Guglecus/ググレカスの信条「鵜呑みにするな、自ら調べよ」の言葉に忠実に生きた人でもあった。Daresoletはフランス全土から可能な限り毒を集めさせ、自ら試していったのだ。

その結果、気候と毒の効果の相関関係が明らかになったのである。

 

フランスの春は遅い。

日本では温かくなる4月でも、フランスでは朝夕10℃ほどと冷える。

手足が冷えて全身の血のめぐりが悪くなるこの時期に毒を飲まされた場合、他の季節に比べ若干効きが悪いことをDaresoletは発見した。

 

毒殺の流行を完全に断ち切るのは難しいと彼は考え、被害を最小限に食い止めるために第一段階として1年のうち4月のみを毒殺を許可する月とした。この決定は当初反発を受けたが、最終的にフランス人に受け入れられることとなり、のちに「四月の毒/Poison d'Avril/ポワゾン・ダヴリル」と呼ばれることになる。

その後時代が変わると毒自体がより厳密に禁じられるようになった。

毒が人間の体を滅ぼし毒殺の流行が世界を破滅させる寸前まで行ったことを忘れぬように、物理的な毒のかわりに言葉の毒である「ウソ」をあえて口にすることで戒めとしたのがエイプリール・フールの始まりだ。

ウソをついてよいのは4月1日の午前中だけ。これは<真実を言うくちびるは、いつまでも保つ、偽りを言う舌は、ただ、まばたきの間だけである。>という教えに従ったものであろう。

こうしてさらに数百年たち、それがいつの間にか毒は不吉だということで「四月の魚/Poisson  d'Avril/ポワッソン・ダヴリル」と誤記されるようになった(『男が酒なら女はボトル/やっぱり嘘は罪』民明書房刊より)。

 

今となってはウソと誤解と魚と毒の関係を知る者はいなくなったが、そもそも上記の「四月の毒」やムッシュウ・ダレソレの話ももちろんウソなのはいうまでもない。

お互いに、毒にもウソにも気を付けたいものである。

 

皆様、良いエイプリル・フールを。

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ジョブズをダシに経営者に検査入院を勧めてみる話(R)

スティーブ・ジョブズの話が道徳の教科書に載ると聞いて、2015年のものを再掲。

 

「大変です、あなたがいなくなったら会社は回りません。
スティーブ・ジョブズが亡くなったら、アップルでさえ怪しい雲行きですものね」
仕事があるから検査入院できない、とかたくなに拒否する経営者にぼくは言った。

おれはジョブズほどすごくない、尊敬するジョブズと一緒にするなんておこがましい、ジョブズが亡くなってもiPhoneは売れてるじゃないか、なんて反論されたらどうしよう。それからティム・クック、ごめんなさい。

 

「そりゃあ検査入院中は混乱するかもしれないけれど、一週間くらいなら誰かがその穴を埋めるから大丈夫です。
でもね、うちの病院の場合だって院長が突然倒れたら病院はつぶれてしまいます。
どこかから誰かが代わりの院長を連れてきて、穴を埋めるというわけにはいきません。
トップが突然倒れたら大変っていうのは、病院も会社も同じですよね」
かすかに彼がうなずく。

 

「トップがいなければ一瞬たりとも回らない仕事というのはあるんでしょうね。
でもね、だからといって無理してあなたが倒れたら社員はどうします?
あなたが検査入院でしばらくいなくてもなんとか仕事は回るけど、無理してあなたが病気でいなくなったら、会社であなたのかわりになる人は誰もいないんじゃないでしょうか。
社員とその家族、取引先にとって、あなたはかけがえのない存在なんです。
検査入院のための1週間を惜しんで、あとで倒れて社員やその家族、取引先を泣かせたら大変だから、そうなる前にきちんと検査入院して徹底的に調べませんか。
ビジネスも健康も、先手必勝、ゴーイング・コンサーンしないとね。
大きくつまづく前に素早く対応して、損失は最小限に抑えましょう」
ぼくがそう言うと、渋々とその経営者は検査入院に同意したのだった。

 

ヒマな経営者だったらこの手は使えないので、会社云々とたたみかける前にそっとぼくは彼の手の中のスマートフォンを一瞥しておいた。
彼のスマホは部下や取引先からであろう着信でひっきりなしに振動していたし、もちろんスマホiPhoneだった。

 

診療中は、スマホの電源切っておくことを強くお勧めする。

*完全フィクションです。念のため。
(FB2015年3月28日を再掲)

 ↓大きな病気で倒れる前に。

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ジョブズをダシにビジネスマンに検査入院を勧めてみる話(R)

「大丈夫、あなたがいなくても会社は回ります。スティーブ・ジョブズが亡くなっても、アップルはつぶれてません」
仕事があるから検査入院できない、とかたくなに拒否するビジネスマンにぼくは言った。
おれはジョブズよりもすごいんだ、ジョブズごときと一緒にしないで欲しいとか、ジョブズが生きてたら毎日充電が必要な腕時計なんて売らないはずだ、なんて反論されたらどうしよう。

 

「そりゃあ数日は混乱するかもしれないけれど、ちゃんと誰かがその穴を埋めるから大丈夫です。
私の場合だって私がいなくなってもこの病院はつぶれないんです。どこかから誰かが代わりのドクターを連れてきて、私の穴を埋めますからね。
自分がいなくなっても大丈夫っていうのは、男としてはちょっとさみしいですけれども」
かすかに彼がうなずく。

 

「究極的には自分がいなければ絶対に回らない仕事なんてないのかもしれませんね。
でもね、あなたが倒れたらご家族はどうします?
あなたが検査入院でしばらくいなくても仕事は回るけど、あなたが病気でいなくなったら、家庭であなたのかわりになる人は誰もいないんじゃないでしょうか。
家族にとって、あなたはかけがえのない存在なんです。仕事のために無理して倒れて家族を泣かせたら大変だから、そうなる前にきちんと検査入院して徹底的に調べませんか」
ぼくがそう言うと、渋々とそのビジネスマンは検査入院に同意したのだった。

 

独身だったらこの手は使えないので、家庭云々とたたみかける前にそっとぼくは彼の左手をチェックしておいた。
彼の左手には結婚指輪がはまっていたのはもちろんだし、手首にはアップルウォッチもついていなかった。

*実話を元にしたフィクションです。念のため。
(FB2015年3月26日を再掲)

↓ラジオはじめました。

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 ↓検査入院前にも必読です。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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