『ゼロ秒思考』と聞いて考えたこと。(R)

Amazonをうろうろしていたら『ゼロ秒思考』という言葉に出会ってびっくりする。
詳しく調べる気もないが、ゼロ秒思考ってのはほとんど考えないということなのだろうか。

スピードが重視される時代だそうで、インプットからアウトプットまでをいかに短縮するか、インプットした情報量をできるだけ減らさずアウトプットするかばかりが皆の関心事項だ。
ブドウをとってすぐ作るボジョレー・ヌーボーの良さもあろうが、古酒(クースー)の味わいもある。
十何年もののウイスキーのように良質な環境で熟成されたアイディアが人を感動させ、世の中を動かすこともある。
インプットしてすぐアウトプットすることばかりが善ではない。
もちろん考え続けて熟成しているうちに失われるインプット情報もあるだろうが、それもまた天使の分け前だ。

私たちは、腰を据えて考える、じっくりどっぷり考えることの意義をもっともっと問わなければならないのではないだろうか。
小林秀雄は言う。
<考えるとは、合理的に考える事だ。(略)、物を考える人々の考え方を観察していると、どうやら、能率的に考える事が、合理的に考える事だと思い違いしているように思われるからだ。当人は考えている積りだが、実は考える手間を省いている。そんな光景が到る処に見える。物を考えるとは、物を掴んだら離さぬということだ。画家が、モデルを掴んだら得心の行くまで離さぬというのと同じ事だ。>(小林秀雄「良心」 『考えるヒント』kindle版より)

考えるには時間がかかる。
ニュートンが木からリンゴが落ちるのを目撃したのは1666年のことだが(ヴォルテール『哲学書簡・哲学辞典』中公クラシックスp.148)、彼が引力のアイディアを『プリンキピア』の形で世に問うたのはそれから21年後ことだ。
その間ニュートンはずーっと引力について考えていたのだ。
変な人だねえ。
(FB2015年2月11日を再掲。そのあと知人の勧めで『ゼロ秒思考』読みました)