<棒きれ、石ころ、道はずれ
取り残された切り株
ちょっとした孤独
ガラスのかけら、人生と太陽
夜と死、ロープ、釣り針>
ボサノバを作った男、ジョアン・ジルベルトの『三月の水』という歌はこんなふうに始まる(国安真奈訳。ユニバーサルミュージック『ジョアン・ジルベルト The Legend』 歌詞カードより)。
地球の裏側ブラジルでは三月は夏の終わりで、夏の終わりの情景をスナップ写真のように次々に切り取って歌詞にしている。
歌詞の中には<降りしきる雨 川岸でのおしゃべり>とか<朝の光>、<美しい地平線>などのさわやかな夏のワンシーンもあるし、<道のはずれ ふくれっ面 少し淋しい>や<ピンガ酒の瓶 路上の小石>なんてちょっとした物語を感じさせるフレーズもあって、きれいな思い出も意味深な場面も全部ひっくるめて夏が終わっていくことを歌う歌である。
こんな感じで日本の夏の終わりを歌ったらどうなるのだろう。
蚊取り線香、夜の虫、ラムネのびん
残った日焼け止め、しけった花火
セミのぬけがら、手つかずの感想文
やってみるとなかなか難しい。
今年の夏はリオ・デ・ジャネイロでオリンピックがあったり、近くの神社のお祭りにふらりと迷い込んだり。ぼくの場合はヘッドフォンで盆地テクノとSuchmosを繰り返し聞いているうちに8月が終わっていた。
お祭りでは屋台の塩焼きそばもビールも美味しくて、夏祭りをそれなりに堪能したけれど、帰りがけの夜風には少しだけ秋の成分が潜んでいた。
蒸し暑くてうんざりですね、なんて散々言ってるくせにやっぱり夏の終わりが近づくとすこし淋しいものだ。
夏だからっていって別になにかあるってわけではないんだけど、毎年この時期はなぜか切ないですね。誰のせい?それはあれだ、夏のせい。
もうしばらく暑そうですけどね。
(FB2014年8月25日を加筆再掲)