渋谷クロスFM『カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style』、始まります!

1月16日(月)20時より、渋谷クロスFMで新番組『カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style』が始まります!毎月第3月曜日にお送りいたします。

こちらのサイトでネットでの視聴もできますのでぜひお聞きください!!

ShibuyaCross-FM

病院の待ち時間を考えるー「到来型待ち時間」と「到達型待ち時間」

病院と言えば長い待ち時間、というくらい病院を受診すると待たされる。「3時間待ちの3分診療」なんて言われるくらい、日本の病院では待たされるイメージがある。

病院の名誉のために申し上げると、統計をとってみると実は3時間待ちというのは例外的なできごとで、病院での待ち時間は「15分未満」が25.0%と最も多く、ほとんどの場合は1時間以内だという(厚生労働省 平成26年受療行動調査 結果の概要p.5)。

すいすいと受診までたどりつけた場合にはあまり記憶に残らないが、長く待たされた場合には強烈に記憶に残る、というバイアス、偏りもあるのであろう。

統計的にはほとんどの場合1時間以内の待ち時間だからよいかというとそうでもない。
病院に対する不満、クレームのうち不動の1位は「待たされすぎる」というものだからだ。
病院側としては様々な理由がある。病院というのは具合が悪い人がかかるところで、診察をしているうちに急変して対応しなければならないこともあるし、ものすごく具合が悪い人がいれば優先して診なければならない。予測ができないことが起こるのが病気なので、時間通りにはいかないというわけだ。
だが一方で、「待たされすぎる」という不満、クレームを放置しておけばどうなるか。患者さんサイドの不満が高まれば、中には必要以上に攻撃的になる人も出てくる。医者や看護師、事務スタッフなどに強い口調で攻撃的に「いつまで待たせるんだ」と言い続ける患者さんが続出すれば、病院スタッフの側もピリピリする。その結果、患者さんが減れば病院の経営的な問題にもなるし、疲弊したスタッフが離職すれば運営面でも問題が出る。「待ち時間」の問題を放置すればさらに大きな問題を引き起こすことだってありうるのだ。

待ち時間という点で、病院はラーメン屋に似ている、と前田泉氏は指摘する(『待ち時間革命』日本評論社 2010年 p.44)。
ガラガラと扉を開けてラーメン屋に入って、自分以外に誰もお客がいなかったら「失敗した!」と思うだろう。誰もほかにお客がおらず、待ち時間ゼロのラーメン屋はたいていの場合、腕が悪いからだ。
同じように病院・診療所に行って待合室に人っ子一人おらず、待ち時間ゼロだったらどうか。おそらく非常に不安になるだろう。「この病院、大丈夫なの?」と。
要するに、患者さんからすれば待ち時間ゼロを望んでいるわけではないのだ。

ではどの程度の待ち時間だったらがまんできるのか。
前田氏らの調査では、患者さんががまんできる待ち時間は施設によって違った。
慢性の病気で診療所にかかる場合は32分、同様に慢性の病気で大きな病院の場合は41分、高度な専門医療を大病院で受ける場合には50分、高度な専門医療を大学病院で受ける場合には56分が、がまんできる待ち時間の長さだという(『待ち時間革命』p.47)。

この記事を読んでから、ぼく自身はなんとか予約時間の30分以内に診察するように心がけている。

 

ある程度の待ち時間はやむをえないこととして、もっとも病院側が意識すべきことはなにか。それは「到来型待ち時間」と「到達型待ち時間」の違いである。

「到来型待ち時間」と「到達型待ち時間」は三重県立看護大学の上本野唱子氏が提唱している考え方だ(『「到達型」と「到来型」で考える待ち時間対策へのアプローチ』 外来看護新時代 2001 Vol.7 No.3)。
「到来型」というのは<目的を達せられる時間の予測がつかない待ち時間>、「到達型」は<ある時間になれば必ず目的を達せられる待ち時間>だ( < >内は上掲論文より)。
病院の待ち時間でいえば、いつ呼ばれるかわからないまま待たされて結果的に1時間後に呼ばれる場合には「到来型」、およそ1時間後に呼ばれるとわかっていて待つのは「到達型」の待ち時間ということになる。

容易に想像できるように、「到来型」の1時間と「到達型」の1時間では「待たされ感」が全く異なる。「到来型」の1時間ではイライラするが、「到達型」の1時間なら結構待てるものなのだ。

 

仮に待ち時間の物理的な短縮は不可能な場合でも、受付番号を配布してあと何人くらいで自分の順番が来るのかわかるようにしたり、大型ディスプレイなどで現在の受診状況がわかるようにすることは可能だ。この工夫によって、待ち時間の予測がつくようになり、イライラ度の高い「到来型待ち時間」を受け入れやすい「到達型待ち時間」に変えることができる。

話を脱線させると、いつ順番が来るかわからない「到来型待ち時間」はイヤだけど予測のつく「到達型待ち時間」なら受け入れられるという人間心理は面白い。
人気ラーメン店などの行列も、何人が自分の前に並んでいるか可視化されることで「到来型」を「到達型」に変えているのだともいえる。またファミリーレストランなどで席待ちリストも同様で、あえて待っている人の名前をリストにして順に消していくことでやはり待ち時間を「到達型」に変えているのだろう。もしあの席待ちリストが客から見えなかったら、店員は「あとどのくらい待ちますか」としょっちゅう声をかけられて仕事を中断する羽目になるだろう。


予測がつかない「到来型待ち時間」はNGだが、これだけ待てば必ず目的が達せられるという「到達型」はOKという人間心理は相当に根深いものだ。
「待ってればいつか必ず目的は達せられるから心配するな」といくら言われても人間は納得できない。「あとこれくらい待ってて」と、どれくらい待てばいいか言ってもらいたいのだ。人間は、「到達型」は待てるけど「到来型」は待てない。それはどんなに成熟した者でも変わらない。
地上でもっとも心穏やかで落ち着いた信心深き仏教徒でさえ、「弥勒菩薩は必ず現れるからあと56億7000万年だけ待ってて」と「到達型待ち時間」で言われないと安心できないくらいである。

↓「3時間待ちの3分診療」でイライラする前に必読の書。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ルクセンブルクの国民負担率95%のナゾ

長年のナゾがもしかしたら解けそうなのでご報告。
 長年のナゾというのは、国民負担率(所得のうち何%を税金と社会保険料のために払っているか)の海外比較の表で、2013年のデータで日本は41.5%の国民負担率なのに対し、ルクセンブルクはなんと95%というのは本当か、という話。
単純に考えて、100万円所得があって、95万円を税金と社会保険料でおさめて自由になるお金は5万円、ということで、そんなの成り立つのかってずーっと疑問に思っていたわけです。

ちなみに国民負担率の表はこちら(当時財務省HPに掲載されていたもの)。

 

執筆当時財務省サイトに掲載されていたもの

 


で、昨日詳しい人にそのことを質問してみたら、どうもこういうカラクリらしい。
JETROのユーロトレンド2008.10によれば、ルクセンブルクって国は労働人口は31万人あまり。で、そのうちなんと約43%の13万人は隣国のフランス、ドイツ、ベルギーから毎日毎日通勤してくる人なんだそうです。こういう国境をまたいで毎日通勤してくる労働者を「コミューター」というんだとか。

https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05001614/05001614_001_BUP_0.pdf


で、このコミューターの人たちの経済活動もルクセンブルクのGDPを高めるのに貢献している反面、コミューターの人たち向けの社会保障などもルクセンブルクはかなり負担しているそうなんですね。
国民負担率は、税金と社会保障費を分子とし、国民所得を分母とする計算なので、コミューター向けの社会保障費やコミューターが納める税金が加わる分、国民負担率の分子の部分が相当高めにでるんじゃないか、というお話でした。

島国日本で生まれ育ったために、そういう毎日隣国から仕事に来て夜には自分の国に帰るというタイプの「外国人労働者」がいるというのは全く盲点でした。しかも全労働人口の約43%がそういう人ってのは想定外でした。

この話、確認しなくてはならないのは、
①国民所得の定義に何を使っているか。もしルクセンブルクのGDPを単純に国民数で割っているのなら、コミューターがかさ上げした分もGDPにカウントされているので話が変わってくる。
②国民負担率の税金と社会保障費の定義は。

分母である所得にはコミューター分が加算されておらず、分子である税金と社会保障費のところにはコミューター分が加算されている場合、国民負担率95%というのは見せかけの数字になる.
③そもそもヨーロッパでは所得税や社会保障費はどうやって徴収されるのか。経済活動している国なのか居住国なのか。
などなど。

 

お詳しいかた、教えてくださいませ。

↓というわけで、ルクセンブルクの政府の人に聞いてみました。

radioclub.style02-2 ラジオ/動画 - ニコニコ動画

 

↓医療制度を知らないと、病院で損するかも。そんなあなたにお勧め。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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クリスマス・キャロル2016(R)

クリスマス明けの月曜日、知人がこんな話をしてくれた。

 

「あっ、プレゼントだ!やった〜!!」。
 12月25日、子供たちの喜びの声が家中に響き渡ったんだよ。いつもは出来るだけ長く寝ていたいうちの子たちも、この日ばかりは一刻も早くと寝床から飛び出しはしゃぎまわってた。
そんな子供たちの歓声は親にとって最大のクリスマスプレゼントだね。
たぶんこれほど嬉しいものはないし、部屋に満ちるはしゃぎ声も大きければ大きいほど良いと思う。
ただね、子ともたちが飛び起きたのが、午前2時でなければよかったんだけど。

 

クリスマスの日、子どもたちが目を開けたのはなんと深夜未明。途端にクリスマスプレゼントを発見し、大騒ぎさ。サンタとはすれ違いだったってわけ。
子どもらにしてみれば、プレゼントの中身が気になって仕方ないよね。
 ぼくを叩き起こし、一分ごとに開けていいかと尋ねてくるんだ。

 

今年は土日とはいえ、こっちはさっき寝たばかり。だって、2時だぜ!?
はしゃぐ子どもたちにいいから寝ろと言うんだけど、目はランランで大興奮で、いっこうに寝ようとしない。
睡眠時間を少しでも確保したいぼくの口からはとうとうこんな言葉が飛び出した。

 

「クリスマスプレゼントを開けていいのは、午前6時以降って昔から決まっているんだ。まだ2時、あと4時間もある。あのね、クリスマスプレゼントって、朝になる前に開けたら煙が出て溶けて消えちゃうんだよ。
だから……、なんでもいいから、とっとと寝ろ!」


本当?、といぶかしがる子どもらに、思わずクリスマスプレゼントには光をあててはいけないとか、12時を過ぎてからエサをやるとクリスマスプレゼントは狂暴化するとか水をかけると増殖するとか追い討ちをかけてやろうかとも思ったが、どうやら半信半疑ながらも午前6時までは我慢してくれた。

そんなわけで、今年から我が家ではクリスマスプレゼントは夜のうちに開けると煙を出して溶けて消えるということになっちゃったんだ。

この間うちの子が友だちに電話してるのが聞こえてきてね、「知らないの?クリスマスプレゼントは朝6時まで開けちゃいけないんだよ!」って、得意げに言ってた。

なにはともあれ、メリークリスマス。

 

そういうと知人は、いたずらっぽくマグカップを軽く持ち上げてウインクしてみせた。欧米か。


世の中には意味不明のしきたりや風習がたくさん存在するが、たいていの場合、そうしたしきたりや風習はこんなふうにして誰かの苦し紛れの思いつきから始まっていくのである。
(FB 2014年12月25日を加筆再掲)

 

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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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冬至の朝、再生と復活を想う(R)

サンスクリット語で「心身のやすらぎ」「休息の場所」を意味するそのホスピスは、京都のはずれにあった。
ひとしきりホスピスの中を案内してくれたあと、事務長さんがぼくを庭に誘ってくれた。

 

寒い季節だったけれど小春日和の庭は暖かく、ベンチに腰かけてポツリポツリと事務長のUさんは言った。
「開設したばかりの時は患者さんも2,3人で、そのうちの1人の方と一緒に、庭にマリーゴールドを植えたんです」
ベンチの前の花壇に目をやる。
「その患者さんが亡くなったとき、息子さんが、マリーゴールドの種が欲しいっておっしゃったんで、花が枯れてから種をあげたんです。綺麗な花が咲いたそうですよ」

 

「行きましょうか」
しばらくの沈黙のあと、Uさんが立ち上がった。
ぼくもベンチを後にして、食堂の水槽の前に立つUさんに追いついた。
グッピーやメダカを飼ってるんですけどね。患者さんたちがみんなかわいがってくれるせいか増えすぎちゃって」
Uさんは穏やかに言う。


「欲しいというご家族も多くて、お分けしてるんです。ここでは年に2回、遺族会をやって、亡くなられた患者さんのご家族に来ていただいています」
しばし無言。
遺族会でね、ご家族が言ってくれるんですよ。……事務長さん、いただいたグッピー元気ですよって」。
一本のたいまつは他のたいまつに火を分け与え、そして炎は永遠に燃え続ける。

 

今日は冬至
一年で一番昼が短くなるこの日を、古代の人々は太陽が最も弱り、そして再び力を増していくはじまりの日と考え、再生と復活の日とした。
生と死のはざま、命が再び始まる冬至の朝に思い出した、マリーゴールドグッピーのこと。

(FB2013年12月23日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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<過去の“不良”行為 市長が中高生に自慢>に思う(R改)

兵庫県西宮市の市長が中高生向けのイベントで「おれも昔は授業をさぼってタバコを吸ってたりした」と発言してしまい問題になっているという。

headlines.yahoo.co.jp

 

「俺も昔は悪かったんだよ」と言いたがる男の人には時々出会うがあれはどういう心理なのだろうか。

俺はこう見えてもいろいろ経験してるんだぜ、ってことか、昔ワルだったからナメてもらっちゃ困るということなのだろうか。

こうした「俺も昔は悪かったんだよ」と言いたがる人は、古今東西あちこちにいる。

歴史上、一番有名なのはアメリカのワシントン元大統領で、「子どもの頃、親父のオノを盗み、授業をさぼっては桜の木を切っていた。正直に言ったら許してもらったけどね。テヘ」と発言し物議をかもしたという。元大統領は、「うそつきじゃない大人がいることを伝えたかった」としたが、上下院は『不適切だ」とし、撤回を求める決議も辞さない構えだったという(ウソ)。

なお、この時のワシントン氏の心情を歌った歌がある。

 

 行儀よく植民地なんてできやしなかった
 夜の庭 桜の木倒してまわった
 逆らい続け あがき続けた 早くフリーダムになりたかった
 この支配からの 独立
  (ジョージ・ワシントン『独立』 より)(ウソ)

 

まあたいていの場合、「俺も昔は悪かった」発言は周囲から失笑を受けて終わる。
多くの場合「ワル」の中身はたいしたものではないし、本人が思ってるほど他人はその人の過去に興味がない。「俺も昔は悪かった」と言いたがる人は、たいてい今はちょっとまわりから軽く扱われていたりする。

いまどき「俺も昔は悪かった」なんて言っていいのはフィリピンのドゥテルテ大統領クラスじゃないとね。この人は「大統領になる前は私自身で麻薬犯罪者をSATSUGAIしていた」とか言っているそうです。ひええ、GO TO DMC

news.nifty.com

 

ところで写真からするとこの市長は、ウシジマくんに憧れているのだろうか。

こうした発言は話の流れもあるし、そこだけ切り取って批難するのはフェアではない。
もしも「俺も昔は悪だった、闇金やってたしね。カウカウファイナンスっていうんだけど」とか言っているなら全面的に支持したいと思う。

 (FB 2016年12月14日を加筆再掲)


↓「病院に行ったら、主治医にどう説明したらいんだろう?」と悩んだらこの一冊。ウシジマくんは出てきません。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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