「公的医療保険がそんなにいいものだったら、どうしてアメリカでは導入されないんですか」
以前に医療制度についてお話しした際出た質問だ。
以下、オバマケア成立前に書いた話。
アメリカには高齢者向けのメディケア、貧困者向けのメディケイドという公的医療保険はあるものの、日本の国民健康保険制度のような単一支払い皆保険制度(Single Payer System)はなく、自分で民間保険を選んで加入する。
頭の整理のために、なぜアメリカに公的医療保険制度が導入されないのか書きながら考えてみることにすると、医療保険業界からの圧力以外に3つの理由が思いつく。
一つはアメリカ人の多くが政府による統制を嫌うこと。
政府が国民の生活にあれこれ口出したり、管理したりすることを「社会主義・共産主義的」と生理的・本能的に忌避するアメリカ人が多数存在する。
アイン・ランドという作家の『肩をすくめるアトラス』(原題は“Atlas Shrugged" ビジネス社 2004年)では政府を「ワシントンのたかり屋たち」と称し、ゲリラ戦的に戦うジョン・ゴールトという人物が描かれる(僕の好みの登場人物は、努力の末リアーデンメタルという革新的な鋼材を作りだし活躍するヘンリー・リアーデンだ。ダンコニアは境遇が恵まれ過ぎている)。
アイン・ランドはアメリカ保守派の人々に愛され、「聖書の次に影響を受けた書物」とされることもあったり(なにで読んだかは忘れた)、「小さい政府」を志向するティーパーティー派(TEAはTax Enough Alreadyの頭文字でもあるそうな)の旗印となっていて、『肩をすくめるアトラス』の冒頭から繰り返し出てくる「ジョン・ゴールトは誰だろう/Who is John Galt?」というプラカードを持った人の映像なんかをティーパーティー派の集会の映像でみることができる。
そうした「小さい政府」派の人々からすると、命と健康に関する健康保険を国が運営し、生殺与奪の権利を国に与えるなんてのは悪魔の所業に見えるようで、そこらへんはマイケル・ムーア監督の映画「SiCKO」(2007年)でもよく描かれている。
二つ目は単一の医療保険が選択の自由を奪うと考えられていること。
一つ目とも関連するが、「選べることはいいことだ」という基本的な価値観がアメリカ人には強く存在し、単一の公的医療保険というものはその価値観に大きく反するのだろう。
消費者が様々な選択をできるからこそ供給者はよりよいものを提供しようと努力し、その結果コストは安く質の高いものが世の中に出てくる、という選択と競争の原理に反するためアメリカでは公的医療保険は毛嫌いされるようだが、市場競争がうまくいかないときも多々あるのも事実だ。
消費者と供給者が持っている情報に格差がある場合、うまく市場原理が働かないという<情報の非対称性>なんてのはまさに医療分野にはあてはまりそうだし、市場原理がうまく働くには寡占状態が無くて、複数の競争者が健全に競い合うことが必要である。
孫引きだが、<アメリカ医師会の調査データによると、全米にある三一四の都市のうち九四%の地域では、一社あるいは二社の医療保険会社によって市場が支配されている。一五州では一社のみが市場の五〇%以上を、七州では七五%以上を独占している状態だ(以下略)>(堤未果『ルポ 貧困大国アメリカⅡ』岩波新書 2010年 p.122。原文は縦書き)という。
民間医療保険会社は営利企業なので営利を追求しなければならないが、その中で行きすぎがないとは言えない(婉曲表現)。
ごく控えめに言っても、民間医療保険会社が慈悲に満ち溢れた「天使」だとは言えないだろう。
古人曰く、<万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としないであろう>(A・ハミルトン、J・ジェイ、J・マディソン『ザ・フェデラリスト』岩波文庫 1999年 p.238。原文の“If men were angels, no government would be necessary”のほうがシンプルでかっこいい)。
そしてもう一つ、アメリカ人が公的医療保険を好きじゃない三つ目の理由としてひそかに僕が疑っているのは、「loser(=負け犬)嫌い文化」である。
「loser嫌い文化」と医療保険の関係なんてのはどこにも書いておらず、僕が勝手に思っているだけだが、どうもアメリカ文化というのはloser、負け犬を極端に嫌うようだ。
加えて、ヨーロッパでは健康づくり、ヘルスプロモーションが社会の仕事ととらえられているのに対し、アメリカでは健康づくりは個人の努力、個人の仕事として考えられているようである(参考文献 島内憲夫 編著『ヘルスプロモーション講座』 順天堂大学ヘルスプロモーション・リサーチ・センター 2005年 第一章)。
そうすると、アメリカでは病人イコール健康作りに失敗した人イコールloserと考えられてしまうのではないかという仮説が頭に浮かぶ。
社会保障とは「悲しみの分かち合い」であるというが、もしアメリカ人がloserと分かち合うものなんか何もないと思うのであれば、公的医療保険を推進しようという気にはならないだろう。
病気やけがは等しく誰にでも降りかかるものだと僕は思うのだが、もし健康づくりは個人の責任、失敗したら立ち去るのみと思う精神文化があるとすれば、病気になった人々は「I'm a loser, baby, so why don't you kill me?」(アメリカのミュージシャンBeckの歌「loser」より)とつぶやくしかないのではないだろうか。
つらつらと思いつくまま書き記してみたが、いずれにせよ断片情報のパッチワークなのでほんとかどうかは不明。
アメリカに詳しい方、ほんとのところを教えてください。オバマケア成立前後の生のアメリカ情報も教えていただければ幸いです。
(FB2014年5月28日を加筆再掲)
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