自分では泳がないのにプールサイドからああだこうだとアドバイスを飛ばす人を山本七平は「プールサイダー」と呼んだ。
浮世を泳げば、前後左右上下にななめ上のあちこちから玉石混交さまざまなアドバイスが飛んでくる。
プールのなかのわれわれは、果たしてそういったアドバイスとどうつきあったらよいだろうか。
まず前提として、そうしたアドバイスの中には素晴らしいもの、とてつもなく有用なものがたくさんある。
世界中から集めた知恵の総和は、専門家のアイディアを軽く上回ることが少なくない(ジェームズ・スロウィッキー『群衆の智慧』角川EPUB選書など)。
ただ同時に、寄せられる無数の考えの中には、おそらくそれ以上にあまり役に立たないものも含まれてしまう。
だからすべてを均等に取り入れても、なにもよいことはない。
「みんなの意見を平等に取り入れて話を進める」というスタイルがうまくいかないのはご存知の通りだ。
頑なに自分の考えに固執してもダメ、平等にみんなの意見を聞いてもダメなら、どうすればよいか。
最もシンプルな解答は、松下幸之助氏のいう、「衆知を集める」と「主座を保つ」というフレーズだろう。
多くの人の智慧=衆知を幅広く貪欲に集める。しかし最後に判断し行動し責任を取るのは自分であると腹をくくり、だからこそ集めた衆知の何を活かし何を棄却するかを決めるイニシアティブは絶対に手放さない。
「衆知を集める」だけでもダメ、「主座を保つ」だけでもダメなのだ。
主語を大きくすると、日本では「衆知を集める」の重要性はよく知られているが、「主座を保つ」は意識されにくい。
「主座を保つ」とは頑なに自分の考えに固執することではない。ときには妥協しときには駆け引きもするが、自分の大事なものを明確にしておくということかもしれない。
白州次郎氏は、それを「プリンシプル」と呼んだ。
〈日本語でいう「筋を通す」というのは、ややこのプリンシプル基準に似ているらしいが、筋を通したとかいってやんや喝采しているのは馬鹿げているとしか考えられない。(略)何でもかんでも一つのことを固執しろというのではない。妥協もいいだろうし、また必要なことも往々ある。しかしプリンシプルのない妥協は妥協ではなくて、一時しのぎのごまかしに過ぎないのだと考える。〉(『プリンシプルのない日本』)
プールの中で泳ぐことを選んだのなら、プールサイドからいろいろ言われるだろう。
いただくアドバイスをありがたく受け止め、ただ己のプリンシプルを意識し取捨選択して、それから必死で泳ぎ続けるしかないのだろう。
というわけで、今日もこれから泳ぎましょうか。