プールサイダーとお作法

「プールサイダー」という言葉がある。
自分では泳げないのに、プールサイドからプールの中の人の泳ぎをああだこうだと言い、なぜもっとこうしないのかと批判したりする人のことだ。イザヤ・ベンダザンこと山本七平氏が作った言葉で、氏の著書『日本人とユダヤ人』の中に出てくる。
浅見定雄『にせユダヤ人と日本人』を読むと山本七平氏の聖書解釈は十二分以上に注意を払って扱わなければならないようだが、この「プールサイダー」という言葉は面白い。

 

コロナ禍の中でさまざまな言説が飛び交っていて、時折この「プールサイダー」という言葉が浮かんでくる。
例えば先日、海外ではダイソンとかにどんどん人工呼吸器作らせたりするのに日本人は出来ない理由ばかり探すからダメ、みたいなツイートを見た。人工呼吸器というモノがあってもコントロールする医者や看護師や技師がいなければ人は救えないし、人工呼吸器が足りなくなるかもというのはそうしたマンパワー込み(というかマンパワーの問題が大きい)のだが、まさにプールサイドにいるからこそ言える言葉だろう。

 

もっとも、プールサイダーだからこそ気づくものもある。昔から「岡目八目」なんて言うくらいだ。
囲碁の勝負では第三者のほうが広い視野で先まで見通せることがあったりするらしく、だから囲碁・将棋盤の脚は「クチナシ」の花をかたどったデザインになっている。傍観者は口出し無用、ということですね。

 

しかし現実は囲碁ではないので、プールサイダーだろうが傍観者だろうが、何を言っても構わない。ただ、その際に作法とでもいうものがあろうという話だ。

 

まず何かを物申したくなったなら、その問題に対して自分がプールの中にいるのかプールサイドにいるのかは意識する。

 

プールの中にいる場合には逆に当事者バイアスで目が曇っていたり、目の前のハードルに意識を取られすぎて短視眼的になってしまい構造的な問題に目がいかない場合が少なくない。そうした場合には、プールサイダーのアドバイスが活きることもある。専門バカになり過ぎてタコツボやサイロにはまりこんじゃう場合もあるな。
「OKY、お前が(O)ここで(K)やれ(Y)」と現場で陰口を叩かれながらも各種コンサルタントが活躍している所以である。

 

物申したくなる事柄について自分がプールサイドにいる場合はどうか。
そこは単純で、何か言いたくなったら現場ではどうか、と一瞬想像するだけでよい。
自分の考えたアイディアが実行されていないのはなぜか。何か出来ない事情があるのかもしれない、と思いを馳せるだけでよい。

 

あとはお互いに、ひとかけらの敬意と礼節さえあれば、有意義なアドバイスのやりとりができるのではないのでしょうか。
たとえば、プールの内外を問わず、do=行動や考えに対する批判はよいけど、be=存在に対するこきおろしは基本的に有害無益で禍根を残しますので要注意。beに対するこきおろしというのは「だから医者はダメ」とか「だから官僚はダメ」とか「だから日本人はダメ」とかいうヤツで、あれは言葉の凶器です。よっぽど腹に据えかねて後先どうなってもよいという時だけしか使わないほうがよいですね。

 

あ、そうそう、「プールサイダー」と言えば昔少年ジャンプに『ゴッドサイダー』というマンガがありまして(以下略)。

 

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