老政治家が教えてくれたいくつかのこと-国会議員が乗車無料な理由と新聞切り抜きのわけ(R改)

その昔、とある老政治家がぼくにこんなことを教えてくれた。
その老政治家は元国会議員で元市長、空港の近くの町に住んでいた。

 

国会議員にはJRの無料乗車などの特権が与えられている。
マスコミや国民の批判もあって、東京近郊の議員などにはそんな特権はいらないなどという者もいるくらいだ。だがそうした議員はなぜこの特権があるのかわかっていない。

 

JRの無料乗車などの特権は、日本のどこかで災害などが急におこったときに、国会議員がすぐさま列車に飛び乗って現地にかけつけ、現地の状況を自分の目で見、現地の人から困っていることはないか聞き、現地を歩きまわって課題を見つけてくるためにある。

そうした仕事をするために国家から与えられているものなのに、国会議員が選挙区と東京を行き来するためだけのものだと思っている議員がいるのは困ったことだ」

 

政治家は「視察」が好きで、視察にかかる出費が問題視されることも多い。けれどやっぱり現地現場に赴いて実際に見てみることはとても大事で、そうでなければ誰かがなにか意図を持って話した言葉を聞いて判断することになる。
古人曰く、<賢者は見たことを話し、愚者は聞いたことを話す>(曽野綾子「アラブの格言」新潮新書)。

 

老政治家にごあいさつにうかがった日のこと。
行くなり、老政治家の日課の新聞記事のスクラップつくりを手伝うように言われた。
朝日、読売、毎日、日経などなど新聞数紙のなかの、先生が赤ペンでしるしをつけた記事を黙々とはさみで切り取っては台紙に貼る。貼った台紙は「年金」、「税金」、「外交」などなど、テーマの書かれた箱に仕訳して入れていく。

 

無言のまま老政治家と作業すること数時間。
はさみを動かし、記事を台紙に貼りながらその先生がポツリポツリとこんなことを話してくれた。

 

「議員の大事な仕事に、議会での質問がある。そこでどんな質問をするかで、その議員の能力がはっきりする。

私は何十年もこの新聞記事のスクラップづくりを日課としてやってきた。
毎日いろんな新聞の記事をスクラップしていると、ひとつの出来事についての記事なのに、新聞によって内容がわずかに異なることがある。あるいは同じ新聞の同じテーマの記事でも、半年前と書かれてる内容が変わってくることがある。

 

そうした新聞や時期によって差やズレのある記事に注目して、その新聞記事を片手にあちこちの関係者をまわる。
記事の中で出てくる企業や役所、住民のところや時にはマスコミをまわって、『A新聞ではこう書いてあったけど、B新聞では違うことが書いてある。
これは本当はどういうことですか、とすべての関係者に聞いてまわっていくと、関係者があれは実はこういうことなんです、と教えてくれる。記者の人が、『新聞には書けなかったけど裏はこうで…』と言ったりもする。新聞記事の差やズレの裏に大きな問題が隠れていることだってある。

そうして問題を見つけると、さらに裏をとって調べ、それを議会での質問に練り上げていたんだよ。

 

議会で正式に質問をする前になると、官庁の担当者が打ち合わせや「ご説明」に来る。その打ち合わせのときには、自分の友人の弁護士や会計士、行政書士などにお願いして同席してもらい、役人の説明の中で自分ではわからないところとか、法律的な解釈を一緒に検討してもらった。
友人の弁護士や行政書士に払う謝礼なんかはないから、打ち合わせが終わった夜中に、屋台でおでんをごちそうしたりしてお礼したりしたもんだ」

 

その先生は旧社会党系の方で、野党では役人筋から入ってくる情報に限りがあったという。野党と与党では、受け身で入ってくる情報には天と地ほどの差があるそうだ。

インターネットもない時代に、長年創意工夫して情報収集を行っていた姿には学ぶものがあった。

 

新聞の切り抜きはレトロでアナログな情報収集法ではあるが、佐藤優氏も森元首相が新幹線の中で一心不乱に関心のある新聞記事を破いて袋に保管している様子を目撃し、繰り返し言及している(『交渉術』文春文庫 2011年 p.241-242、『人たらしの流儀』PHP研究所 2011年 p.91-94など)。佐藤氏は、自らボールペンで記事を囲い、手で破き、袋に入れるという作業をすることで記事の内容が頭にインプットされやすくなる、と指摘している。おそらくベテラン政治家の中ではメジャーな情報収集法なのであろう。

新聞記事は二次情報で、二次情報三次情報は常にバイアスがかかる。だが、そのバイアスを打ち消すために複数のものを比較検討し、差異から問題を抽出するという手法は、そこはかとなく自然科学を思わせるものだった。
重要な情報の95%は公表されていると言う。大事なのはそれらを見逃さず、情報のパーツを組み立てて全体像を推測し、検証していくということなのだろう。

 

トランプ大統領就任のニュースをみて、何年ぶりかに老先生の教えを思い出したので書いておくことにする。

(FB2012年1月14日、21日を加筆再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

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昨日は渋谷クロスFMの新番組『カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style』第1回目でした!
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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 




渋谷クロスFM『カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style』、始まります!

1月16日(月)20時より、渋谷クロスFMで新番組『カエル先生・高橋ひろかつのradioclub.style』が始まります!毎月第3月曜日にお送りいたします。

こちらのサイトでネットでの視聴もできますのでぜひお聞きください!!

ShibuyaCross-FM

病院の待ち時間を考えるー「到来型待ち時間」と「到達型待ち時間」

病院と言えば長い待ち時間、というくらい病院を受診すると待たされる。「3時間待ちの3分診療」なんて言われるくらい、日本の病院では待たされるイメージがある。

病院の名誉のために申し上げると、統計をとってみると実は3時間待ちというのは例外的なできごとで、病院での待ち時間は「15分未満」が25.0%と最も多く、ほとんどの場合は1時間以内だという(厚生労働省 平成26年受療行動調査 結果の概要p.5)。

すいすいと受診までたどりつけた場合にはあまり記憶に残らないが、長く待たされた場合には強烈に記憶に残る、というバイアス、偏りもあるのであろう。

統計的にはほとんどの場合1時間以内の待ち時間だからよいかというとそうでもない。
病院に対する不満、クレームのうち不動の1位は「待たされすぎる」というものだからだ。
病院側としては様々な理由がある。病院というのは具合が悪い人がかかるところで、診察をしているうちに急変して対応しなければならないこともあるし、ものすごく具合が悪い人がいれば優先して診なければならない。予測ができないことが起こるのが病気なので、時間通りにはいかないというわけだ。
だが一方で、「待たされすぎる」という不満、クレームを放置しておけばどうなるか。患者さんサイドの不満が高まれば、中には必要以上に攻撃的になる人も出てくる。医者や看護師、事務スタッフなどに強い口調で攻撃的に「いつまで待たせるんだ」と言い続ける患者さんが続出すれば、病院スタッフの側もピリピリする。その結果、患者さんが減れば病院の経営的な問題にもなるし、疲弊したスタッフが離職すれば運営面でも問題が出る。「待ち時間」の問題を放置すればさらに大きな問題を引き起こすことだってありうるのだ。

待ち時間という点で、病院はラーメン屋に似ている、と前田泉氏は指摘する(『待ち時間革命』日本評論社 2010年 p.44)。
ガラガラと扉を開けてラーメン屋に入って、自分以外に誰もお客がいなかったら「失敗した!」と思うだろう。誰もほかにお客がおらず、待ち時間ゼロのラーメン屋はたいていの場合、腕が悪いからだ。
同じように病院・診療所に行って待合室に人っ子一人おらず、待ち時間ゼロだったらどうか。おそらく非常に不安になるだろう。「この病院、大丈夫なの?」と。
要するに、患者さんからすれば待ち時間ゼロを望んでいるわけではないのだ。

ではどの程度の待ち時間だったらがまんできるのか。
前田氏らの調査では、患者さんががまんできる待ち時間は施設によって違った。
慢性の病気で診療所にかかる場合は32分、同様に慢性の病気で大きな病院の場合は41分、高度な専門医療を大病院で受ける場合には50分、高度な専門医療を大学病院で受ける場合には56分が、がまんできる待ち時間の長さだという(『待ち時間革命』p.47)。

この記事を読んでから、ぼく自身はなんとか予約時間の30分以内に診察するように心がけている。

 

ある程度の待ち時間はやむをえないこととして、もっとも病院側が意識すべきことはなにか。それは「到来型待ち時間」と「到達型待ち時間」の違いである。

「到来型待ち時間」と「到達型待ち時間」は三重県立看護大学の上本野唱子氏が提唱している考え方だ(『「到達型」と「到来型」で考える待ち時間対策へのアプローチ』 外来看護新時代 2001 Vol.7 No.3)。
「到来型」というのは<目的を達せられる時間の予測がつかない待ち時間>、「到達型」は<ある時間になれば必ず目的を達せられる待ち時間>だ( < >内は上掲論文より)。
病院の待ち時間でいえば、いつ呼ばれるかわからないまま待たされて結果的に1時間後に呼ばれる場合には「到来型」、およそ1時間後に呼ばれるとわかっていて待つのは「到達型」の待ち時間ということになる。

容易に想像できるように、「到来型」の1時間と「到達型」の1時間では「待たされ感」が全く異なる。「到来型」の1時間ではイライラするが、「到達型」の1時間なら結構待てるものなのだ。

 

仮に待ち時間の物理的な短縮は不可能な場合でも、受付番号を配布してあと何人くらいで自分の順番が来るのかわかるようにしたり、大型ディスプレイなどで現在の受診状況がわかるようにすることは可能だ。この工夫によって、待ち時間の予測がつくようになり、イライラ度の高い「到来型待ち時間」を受け入れやすい「到達型待ち時間」に変えることができる。

話を脱線させると、いつ順番が来るかわからない「到来型待ち時間」はイヤだけど予測のつく「到達型待ち時間」なら受け入れられるという人間心理は面白い。
人気ラーメン店などの行列も、何人が自分の前に並んでいるか可視化されることで「到来型」を「到達型」に変えているのだともいえる。またファミリーレストランなどで席待ちリストも同様で、あえて待っている人の名前をリストにして順に消していくことでやはり待ち時間を「到達型」に変えているのだろう。もしあの席待ちリストが客から見えなかったら、店員は「あとどのくらい待ちますか」としょっちゅう声をかけられて仕事を中断する羽目になるだろう。


予測がつかない「到来型待ち時間」はNGだが、これだけ待てば必ず目的が達せられるという「到達型」はOKという人間心理は相当に根深いものだ。
「待ってればいつか必ず目的は達せられるから心配するな」といくら言われても人間は納得できない。「あとこれくらい待ってて」と、どれくらい待てばいいか言ってもらいたいのだ。人間は、「到達型」は待てるけど「到来型」は待てない。それはどんなに成熟した者でも変わらない。
地上でもっとも心穏やかで落ち着いた信心深き仏教徒でさえ、「弥勒菩薩は必ず現れるからあと56億7000万年だけ待ってて」と「到達型待ち時間」で言われないと安心できないくらいである。

↓「3時間待ちの3分診療」でイライラする前に必読の書。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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ルクセンブルクの国民負担率95%のナゾ

長年のナゾがもしかしたら解けそうなのでご報告。
 長年のナゾというのは、国民負担率(所得のうち何%を税金と社会保険料のために払っているか)の海外比較の表で、2013年のデータで日本は41.5%の国民負担率なのに対し、ルクセンブルクはなんと95%というのは本当か、という話。
単純に考えて、100万円所得があって、95万円を税金と社会保険料でおさめて自由になるお金は5万円、ということで、そんなの成り立つのかってずーっと疑問に思っていたわけです。

ちなみに国民負担率の表はこちら(当時財務省HPに掲載されていたもの)。

 

執筆当時財務省サイトに掲載されていたもの

 


で、昨日詳しい人にそのことを質問してみたら、どうもこういうカラクリらしい。
JETROのユーロトレンド2008.10によれば、ルクセンブルクって国は労働人口は31万人あまり。で、そのうちなんと約43%の13万人は隣国のフランス、ドイツ、ベルギーから毎日毎日通勤してくる人なんだそうです。こういう国境をまたいで毎日通勤してくる労働者を「コミューター」というんだとか。

https://www.jetro.go.jp/ext_images/jfile/report/05001614/05001614_001_BUP_0.pdf


で、このコミューターの人たちの経済活動もルクセンブルクのGDPを高めるのに貢献している反面、コミューターの人たち向けの社会保障などもルクセンブルクはかなり負担しているそうなんですね。
国民負担率は、税金と社会保障費を分子とし、国民所得を分母とする計算なので、コミューター向けの社会保障費やコミューターが納める税金が加わる分、国民負担率の分子の部分が相当高めにでるんじゃないか、というお話でした。

島国日本で生まれ育ったために、そういう毎日隣国から仕事に来て夜には自分の国に帰るというタイプの「外国人労働者」がいるというのは全く盲点でした。しかも全労働人口の約43%がそういう人ってのは想定外でした。

この話、確認しなくてはならないのは、
①国民所得の定義に何を使っているか。もしルクセンブルクのGDPを単純に国民数で割っているのなら、コミューターがかさ上げした分もGDPにカウントされているので話が変わってくる。
②国民負担率の税金と社会保障費の定義は。

分母である所得にはコミューター分が加算されておらず、分子である税金と社会保障費のところにはコミューター分が加算されている場合、国民負担率95%というのは見せかけの数字になる.
③そもそもヨーロッパでは所得税や社会保障費はどうやって徴収されるのか。経済活動している国なのか居住国なのか。
などなど。

 

お詳しいかた、教えてくださいませ。

↓というわけで、ルクセンブルクの政府の人に聞いてみました。

radioclub.style02-2 ラジオ/動画 - ニコニコ動画

 

↓医療制度を知らないと、病院で損するかも。そんなあなたにお勧め。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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クリスマス・キャロル2016(R)

クリスマス明けの月曜日、知人がこんな話をしてくれた。

 

「あっ、プレゼントだ!やった〜!!」。
 12月25日、子供たちの喜びの声が家中に響き渡ったんだよ。いつもは出来るだけ長く寝ていたいうちの子たちも、この日ばかりは一刻も早くと寝床から飛び出しはしゃぎまわってた。
そんな子供たちの歓声は親にとって最大のクリスマスプレゼントだね。
たぶんこれほど嬉しいものはないし、部屋に満ちるはしゃぎ声も大きければ大きいほど良いと思う。
ただね、子ともたちが飛び起きたのが、午前2時でなければよかったんだけど。

 

クリスマスの日、子どもたちが目を開けたのはなんと深夜未明。途端にクリスマスプレゼントを発見し、大騒ぎさ。サンタとはすれ違いだったってわけ。
子どもらにしてみれば、プレゼントの中身が気になって仕方ないよね。
 ぼくを叩き起こし、一分ごとに開けていいかと尋ねてくるんだ。

 

今年は土日とはいえ、こっちはさっき寝たばかり。だって、2時だぜ!?
はしゃぐ子どもたちにいいから寝ろと言うんだけど、目はランランで大興奮で、いっこうに寝ようとしない。
睡眠時間を少しでも確保したいぼくの口からはとうとうこんな言葉が飛び出した。

 

「クリスマスプレゼントを開けていいのは、午前6時以降って昔から決まっているんだ。まだ2時、あと4時間もある。あのね、クリスマスプレゼントって、朝になる前に開けたら煙が出て溶けて消えちゃうんだよ。
だから……、なんでもいいから、とっとと寝ろ!」


本当?、といぶかしがる子どもらに、思わずクリスマスプレゼントには光をあててはいけないとか、12時を過ぎてからエサをやるとクリスマスプレゼントは狂暴化するとか水をかけると増殖するとか追い討ちをかけてやろうかとも思ったが、どうやら半信半疑ながらも午前6時までは我慢してくれた。

そんなわけで、今年から我が家ではクリスマスプレゼントは夜のうちに開けると煙を出して溶けて消えるということになっちゃったんだ。

この間うちの子が友だちに電話してるのが聞こえてきてね、「知らないの?クリスマスプレゼントは朝6時まで開けちゃいけないんだよ!」って、得意げに言ってた。

なにはともあれ、メリークリスマス。

 

そういうと知人は、いたずらっぽくマグカップを軽く持ち上げてウインクしてみせた。欧米か。


世の中には意味不明のしきたりや風習がたくさん存在するが、たいていの場合、そうしたしきたりや風習はこんなふうにして誰かの苦し紛れの思いつきから始まっていくのである。
(FB 2014年12月25日を加筆再掲)

 

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3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

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