冬至の朝、再生と復活を想う(R)

サンスクリット語で「心身のやすらぎ」「休息の場所」を意味するそのホスピスは、京都のはずれにあった。
ひとしきりホスピスの中を案内してくれたあと、事務長さんがぼくを庭に誘ってくれた。

 

寒い季節だったけれど小春日和の庭は暖かく、ベンチに腰かけてポツリポツリと事務長のUさんは言った。
「開設したばかりの時は患者さんも2,3人で、そのうちの1人の方と一緒に、庭にマリーゴールドを植えたんです」
ベンチの前の花壇に目をやる。
「その患者さんが亡くなったとき、息子さんが、マリーゴールドの種が欲しいっておっしゃったんで、花が枯れてから種をあげたんです。綺麗な花が咲いたそうですよ」

 

「行きましょうか」
しばらくの沈黙のあと、Uさんが立ち上がった。
ぼくもベンチを後にして、食堂の水槽の前に立つUさんに追いついた。
グッピーやメダカを飼ってるんですけどね。患者さんたちがみんなかわいがってくれるせいか増えすぎちゃって」
Uさんは穏やかに言う。


「欲しいというご家族も多くて、お分けしてるんです。ここでは年に2回、遺族会をやって、亡くなられた患者さんのご家族に来ていただいています」
しばし無言。
遺族会でね、ご家族が言ってくれるんですよ。……事務長さん、いただいたグッピー元気ですよって」。
一本のたいまつは他のたいまつに火を分け与え、そして炎は永遠に燃え続ける。

 

今日は冬至
一年で一番昼が短くなるこの日を、古代の人々は太陽が最も弱り、そして再び力を増していくはじまりの日と考え、再生と復活の日とした。
生と死のはざま、命が再び始まる冬至の朝に思い出した、マリーゴールドグッピーのこと。

(FB2013年12月23日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

<過去の“不良”行為 市長が中高生に自慢>に思う(R改)

兵庫県西宮市の市長が中高生向けのイベントで「おれも昔は授業をさぼってタバコを吸ってたりした」と発言してしまい問題になっているという。

headlines.yahoo.co.jp

 

「俺も昔は悪かったんだよ」と言いたがる男の人には時々出会うがあれはどういう心理なのだろうか。

俺はこう見えてもいろいろ経験してるんだぜ、ってことか、昔ワルだったからナメてもらっちゃ困るということなのだろうか。

こうした「俺も昔は悪かったんだよ」と言いたがる人は、古今東西あちこちにいる。

歴史上、一番有名なのはアメリカのワシントン元大統領で、「子どもの頃、親父のオノを盗み、授業をさぼっては桜の木を切っていた。正直に言ったら許してもらったけどね。テヘ」と発言し物議をかもしたという。元大統領は、「うそつきじゃない大人がいることを伝えたかった」としたが、上下院は『不適切だ」とし、撤回を求める決議も辞さない構えだったという(ウソ)。

なお、この時のワシントン氏の心情を歌った歌がある。

 

 行儀よく植民地なんてできやしなかった
 夜の庭 桜の木倒してまわった
 逆らい続け あがき続けた 早くフリーダムになりたかった
 この支配からの 独立
  (ジョージ・ワシントン『独立』 より)(ウソ)

 

まあたいていの場合、「俺も昔は悪かった」発言は周囲から失笑を受けて終わる。
多くの場合「ワル」の中身はたいしたものではないし、本人が思ってるほど他人はその人の過去に興味がない。「俺も昔は悪かった」と言いたがる人は、たいてい今はちょっとまわりから軽く扱われていたりする。

いまどき「俺も昔は悪かった」なんて言っていいのはフィリピンのドゥテルテ大統領クラスじゃないとね。この人は「大統領になる前は私自身で麻薬犯罪者をSATSUGAIしていた」とか言っているそうです。ひええ、GO TO DMC

news.nifty.com

 

ところで写真からするとこの市長は、ウシジマくんに憧れているのだろうか。

こうした発言は話の流れもあるし、そこだけ切り取って批難するのはフェアではない。
もしも「俺も昔は悪だった、闇金やってたしね。カウカウファイナンスっていうんだけど」とか言っているなら全面的に支持したいと思う。

 (FB 2016年12月14日を加筆再掲)


↓「病院に行ったら、主治医にどう説明したらいんだろう?」と悩んだらこの一冊。ウシジマくんは出てきません。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 



なぜ世の中の友達というものは病気の人にテキトーなアドバイスをするのだろうか。

「右から左へ受け流してください。全力で」

たまりかねてぼくはそう言った。ある日の診察室での出来事。

 

「血圧の薬は飲み始めると一生やめられないから飲まないほうがいいって友達に言われた」

「クレストールは飲むと死ぬって友達に言われた」

「糖尿病になったらずっと大変って友達に言われた」

認知症になったらそのうち徘徊しちゃうわよって友達に言われた」

認知症かもしれないからMRI撮ってもらいなさいって友達に言われた」

「病院変えたほうがいいんじゃないって友達に言われた」

患者さんがまわりの友達から言われたという言葉の数々である。どうしてこう世の中の友達というのは病気の人にテキトーなアドバイスをするのか。善意を疑うわけではないが、言ってしまえばまあ余計なお世話である。

念のため言っておくと、上記の「友達のアドバイス」はいずれも間違いである。

降圧剤を飲み始めても、減塩や禁煙、減量などの生活改善・体質改善に成功して血圧が十分下がれば降圧剤はやめられる(こともある)。

コレステロールを下げる薬クレストールにも重大な副作用はあるが、飲んだ人が全員死ぬわけではない(“長期的にみれば我々は皆死んでしまう”わけではあるが)。

糖尿病になったら大変かもしれないが、食事指導や薬の治療でがんばってらっしゃるかたが大半だ。

認知症になってもおだやかに経過する人も多く、徘徊が見られるのは半分くらいの割合なはず。

認知症の診断は総合的なもので、臨床症状もないのにMRIだけで認知症と診断されることはない(医学が進歩すればまた違うかもしれないが)。

病院変えた方がいいというアドバイスは……そういうこともありますね。

 

こういうテキトーなアドバイスをする人というのは昔っからいる。

ナイチンゲールの『看護覚え書き』にもこんな一節がある。

<この世で、病人に浴びせかけられる忠告ほど、虚ろで空しいものはほかにない。それに答えて病人が何を言っても無駄なのである。というのは、これら忠告者たちの望むところは、病人の状態について本当のところを知りたいと言うのではなくて、病人が言うことを何でも自分の理屈に都合のよいように捻じ曲げることーこれは繰り返して言っておかなくてはならないーつまり、病人の現実の状態について何も尋ねもしないで、ともかくも自分の考えを押しつけたいということなのである。>(フロレンス・ナイチンゲール『看護覚え書き 改訂第7版』 現代社 2014年 p.172)


ナイチンゲール先生、なかなかに憤ってらっしゃる。白衣の天使は辛辣なのだ。

 

日々患者さんと接していると、冒頭のような「友達がこう言った」「友達がああ言った」と、友達のテキトーなアドバイスに振り回されている方によくお会いする。

そのたびに脳裡をよぎるのは「友とするのに悪きもの、病いなく身強き人」という言葉であったり、「友とするのに悪きもの、虚言(そらごと=うそ)する人」という言葉だったり。あまりにいい加減なアドバイスをされた人に会うと「友達というよりはフレネミー(frenemy=friend+enemy、友達と見せかけて実は敵、みたいな人)というべきじゃないの」と言いそうになる。
そうは言っても患者さんの友達の悪口を言うべきでもなく、脳裡をよぎるいくつかの言葉はぐっと飲み込んでおくしかない。

んで、自分の中でかろうじて言ってもいいかなという言葉が冒頭のアレ、「右から左へ受け流してください」というわけだ。


出でよ、ムーディ勝山

www.youtube.com

 
↓病気について病院についてほんとのことを知りたければこちらの本をどうぞ。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

 

 

 

welq問題を機に考える、モノを書くときにきちんとした引用が必要な著作権法以外の理由

「肩こりは動物霊のせい」でおなじみのwelq by DeNAが公開を中止した。

医療情報サイト公開中止 DeNA・守安社長、会見で陳謝(フジテレビ系(FNN)) - Yahoo!ニュース

社長は「成長を追い求めすぎた」と会見で述べたそうだけど、追い求めたのは成長じゃなく安易な利益なんだろう。

 

Welqが問題になったのは、他サイトからばんばん文章をパクってきて言葉を入れ替えて剽窃にならないようにしながらいい加減な記事を量産して、テクニックを駆使してgoogle検索上位を独占するようなことばかりしていたからのようだ。

医療関係者としてはいい加減な記事で読者を惑わせたことが腹立たしい。
病いに苦しみながらわらにもすがる想いでベッドの中、病気のことを調べまくっている患者さんというのはたくさんいる。検索サイト上位に出てくる情報っていうのはやはり信用してしまうのが普通で、たくさんの苦しむ人を平気でだましてきたってのは罪深い。

記事を書いていた人たちは医療知識もなく、他の医療サイトに書いてあることをかたっぱしからパクって組み合わせ、言葉をちょっと入れ替えて記事を量産していたようだ。
一つ一つの記事を検証する気力も時間もないのでそこは別の方におまかせしたい。

 

モノを考えるとき、モノを書くときにきちんとした引用をすることの大事な理由はいくつもある。
著作権的な話やオリジネイターに対する敬意以外に個人的に一番大事だと思うのは、自分のアイディアや思想を修正可能なものにしておくということだ。

 

完全にゼロの状態から一つの大きなアイディア・思想体系を作り上げられる人はいない。大きなアイディアや思想というのは、今まで先人が築いてきたものを土台にし、組み合わせてつくられる。

大きなアイディア・思想を一つの建物だとしたときに、その土台になる先人たちの様々な考えはレンガのようなものだ。

 

堅牢な建造物を作るためにはしっかりしたレンガが数多く必要だ。天高くそびえたつようなアイディア・思想体系を作り上げるにはたくさんの良いレンガが要る。歴史小説家が一つの小説を書くときにはトラック数台分の古書を買い集めるというし、思想家が一冊の本を書き上げるには部屋いっぱいの資料を踏まえるという。

インスピレーションだけで大きな思想的仕事が成し遂げられると思うのは間違いで、しっかりした思想的仕事にはたくさんの思考のブロックが必要なのだ。

 

で、モノを考えたりモノを書いたりするときに、引用範囲と引用文献をきちんと明示するクセをつけておかないとどうなるか。思考のレンガ・もとになるアイディアのブロックが融解するのだ。

自分の思想的仕事のうち、どこまでが引用元の考えでどこまでが自分自身で思いついたものかがあとになってわからなくなる。自分自身の考えといっても、今まで読み聞きしてきたものが渾然一体となって生み出されたものではあるが、さらにその渾然一体ぶりに拍車がかかる。
それではいけないかというと、いけないのである。

なぜか。
自分のアイディア・思想体系というものの基礎となる先人の考えが、突如として古くなったり間違いであることが判明したりすることがあるからだ。

例えばなにか論文を書くときに、STAP細胞の論文も引用して論文を作ったとしよう。
論文のお作法として、自分の論文のどの部分がSTAP細胞の論文から引用したアイディアかというのは明示される。

だからあとになってSTAP細胞の論文が虚偽だと判明しても、その部分のところだけ考え直す、書き直せば自分の論文は修正できる。
論文を建築物に例えれば、STAP細胞の部分の論理のレンガさえ入れ替えれば建物は崩れない。

だが、STAP細胞の論文からアイディアを引用しておきながら、どこまでが引用でどこからが自分のアイディアかを明確にしておかなければ、論理のレンガを入れ替えることができない。引用範囲を明確にしておけば入れ替え可能なレンガのままであったのが、引用範囲をあいまいにし、引用だか自分のアイディアだかも不明瞭にしてしまうと、レンガがまるでバターの塊みたいになってしまう。他の先人のアイディアも同様の扱いをしていれば、自分の思想体系の基礎となるものの一部が間違いだとあとからわかってもどこをどう入れ替えていいかわからない。
そのとき、自分の思想体系という建築物の土台はぐずぐずになり場合によっては崩壊してしまう。
Welqのあまたの記事も、どこまでが引用でどこからがオリジナルかが不明瞭(わざと不明瞭にしたわけだが)なために、修正不能な状態になっているのだと思う。

 

きちんとモノを考え、きちんとモノを書きたいと思うのなら、きちんとした作法で引用するクセをつけておかないといけない。そんなことをwelq事件は再認識させてくれた。

 
↓参照文献はきちんと明記しております。そういえば、近藤誠氏は一切参考文献明記しませんね。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

週刊現代<気をつけろ!減塩しすぎると認知症になる>に気をつけろ!

今週発売の週刊現代の表紙には<気をつけろ!減塩しすぎると認知症になる>の文字が躍っている。

ここのところ週刊ポストを筆頭にアンチ減塩ブームと味噌汁の猛プッシュが激しいが、内容がテキトーなので困ったものだ。「肩こりは動物霊のせい」でおなじみのDeNA系webメディアを笑えない状況だ。

 

電車の吊り広告などを見て購入を迷ってる方に申しあげます。
結論から申しますと、表紙と題名に書いてある<減塩しすぎると認知症になる>という具体的な話はほぼまったく本文に書いてありません

 

それらしき部分、<減塩しすぎると認知症になる>という文全体のキモとなるはずの部分も支離滅裂で意味不明だ。
<近年続々と、行き過ぎた減塩が動脈硬化につながることが指摘されている。高齢者にとって動脈硬化は、脳梗塞などを引き起こし、その予後に現れる「血管性認知症」につながる事態だ。九州大学が実施している疫学調査「久山町研究」によると、正常な血圧の人と比べて、軽い高血圧、つまり動脈硬化傾向の人は4.5~6倍、重度の高血圧の人では5.6~10.1倍に、血管性認知症の発生頻度が高くなるという報告があるほどだ。>(週刊現代12月17日号 p.44~p.45)

 

1番目の文章<近年続々と(略)>と、3番目の文章<九州大が実施している(略)>の文意がつながっていない。<(略)血管性認知症の発生頻度が高くなるという報告があるほどだ。>の<ほどだ>の意味が成立していないのだ。
たぶん書いている人も意味がわからず書いているのだろう。

記事全体を何度読んでも行き過ぎた減塩が動脈硬化をきたすということがどこにも証明立てられていない。減塩しすぎた人のほうが病気のリスクが上がるという研究があると繰り返し述べるばかり。

本来この文章は、行き過ぎた減塩が動脈硬化を示すという直接的な証拠を提示し、「そして」でブリッジして<高齢者にとって動脈硬化は、脳梗塞などを引き起こし、その予後に現れる「血管性認知症」につながる事態だ。>と続けなければいけない。ちなみに<予後>の使い方も間違っている。

さらに久山町研究の話を使いたいんだったら、三番目の文章はあえて二つに分けたほうがまだよい。というのは、本来、久山町研究のデータが示しているのは「血圧が高い人は血管性認知症になりやすい」(これは事実)である。だから久山町研究の話を出して、「血圧が高いということは動脈硬化傾向ということで、先に述べたように行き過ぎた減塩は動脈硬化の原因の一つなのだ」くらいでとどめておかなければならないはずだ。

 

また、認知症には血管性認知症だけでなく、アルツハイマー認知症(これが大半)やレビー小体型認知症もあるので、そちらへの言及もしたほうがよい。

 

文章全体のまとめ方もひどい。
<塩分を減らすことが健康につながる事実はない。間違った常識を盲信すると、健康を害することになる。>(p.47)

とまとめているが、文章のテーマである「行き過ぎた減塩」と「塩分を減らすこと」は似て非なるものである。
少なくとも、適度な減塩は胃がんを減らし、高血圧を減らすことで脳出血などを減らすことは明らかだ。

ganjoho.jp

 

以下重箱の隅的に。

そもそも「○○しすぎは身体に悪い」というロジックほど空しいものはない。完全なるトートロジー、同語反復だからだ。

「減塩しすぎは身体に悪い」を例にとる。

減塩しすぎは身体に悪いというが、どの程度の減塩が「しすぎ」なのか。どこまでが「ちょうどよい減塩」で、どこからが「減塩しすぎ」なのか。つきつめて考えると、「減塩しすぎ」な減塩の加減は、けっきょく身体に悪影響がでる程度の減塩ということだ。

だから、「減塩しすぎは身体に悪い」という文章は「身体に悪影響が出るほど減塩すると身体に悪い」といっているだけで、当たり前の話だ。

この構造は「運動しすぎると身体に悪い」「酒飲み過ぎると身体に悪い」などにも共通で、身体に悪いレベルを「○○しすぎ」と定義する以上、新しい情報を生み出さない文なのだ。

 

「減塩はダメ!塩は大事!味噌汁は身体にいい!」と盛り上がっているので、塩対応でミソつけてみた。



↓「もの忘れ」と「認知症」の違い、認知症のリスクを減らすコツ、載ってます! 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

「ふるさと納税」は反・民主主義かもしれないという話

ふるさと納税」の納税額が急増しているとのニュースをテレビでみて、「ふるさと納税」と「クールビズ」は同じ構造だと気付いた。大義名分と実利がセットだと制度は普及・定着しやすいということだ。
大義名分だけでもダメ、実利だけでもダメ。

クールビズ」は、「地球温暖化対策」という大義名分と「とにかく楽」という実利がセットだし、「ふるさと納税」は「ふるさと振興」という大義名分と「お礼」という実利がセット。

あと大事なのは「自分が関係することで状況が変わる感」。「クールビズ」も「薄着をして冷房設定を緩めることで地球温暖化が遅れる感じ」があるし、「ふるさと納税」も自分が指定する自治体に納税することでなんとなく役立ってる感じがする。

実は、「ふるさと納税」制度には引っかかる点は3つある。

ふるさと納税」制度では、本来居住地に納税されるはずのお金がほかの自治体に行ってしまうことで居住地の税収が減り、そのぶん住民サービスが低下するor「ふるさと納税」してない住民がその分を補てんすることになること。「ふるさと納税」していない納税者が割を喰うわけです。

 

また、「ふるさと納税」の「お礼」が高額になることで、実質税金逃れ的にも運用できてしまうことなどの問題点は以前より指摘されている。

たとえば仮に、「お礼」を商品券にして、ふるさと納税」の95パーセントの「お礼」を返すような制度にすると合法的な節税ががっつりできちゃいますね。


地味だけど大事なのは、「ふるさと納税」と間接民主主義の相性がいいのかどうかというところ。

どういうことかというと、

 ①間接民主主義では、有権者は納税額に関わらず一人一票の発言権を持ち、その発言権を代表(代議士とか)に預ける。リタイアして所得税払ってなくても一人一票、経営者で高額納税していても一人一票。

 ②預かった発言権を根拠に、代議士などはみんなで税金の使い道(=予算)を相談し決める。実質的には予算案は大筋で役所が作ったものではあるが、しくみ上は代表が話し合って「こういうふうに予算を使おう」「この分野は手厚く予算配分しよう」と決めることになっている。

 ③ふるさと納税はそのプロセスをすっとばし、税金の使い道を納税者が直接決める。

 ④しかもその裁量は納税額が大きいほど大きい。出所は自分の税金ではあるが、たくさん「ふるさと納税」する人は、自治体・国の予算の一部をどこに割り振るか決める権限が多いことになる。

 ⑤民主主義では発言権・裁量は出したお金の額と比例しない。出したお金の額が多いほど発言権・裁量が大きいのは一人一票の民主主義・選挙じゃなくて一株一票の株主総会

 ⑥だから本当は「AKB総選挙」じゃなくて「AKB株主総会」が正しい。
という理屈です。最後のほうはふるさとが遠のいてますが。

ふるさとは 遠くにありて 思うもの
メイクアメリカ グレートアゲイン
解釈)偉大なる祖国アメリカのために、アフリカの小国にたった一人で赴任した年若い外交官の心情を詠んだ歌である。

参考サイト。先日、「俳句のあとにメイクアメリカグレートアゲインと付けるといい感じの短歌になる」という大発見がなされたそうです。

www.sakanouenosisyamo.xyz

 

さはさりながら(業界用語)しかし実際には、大義名分と実利、さらに「自分が関与することで状況が変わる感」がセットになったこの制度は、まだまだ広がっていくのだろう。そのうち「お礼」は「ふるさと納税」の何パーセントまでとがっちり決まっていくんだろうけども。納税者が直接税金の使い道を決める云々については、もともと寄付金控除という制度もあるしなあ。

 

そういうわけで、「ふるさと納税」は民主主義を考える上でも非常に興味深い。

アメリカなんかでは議員に有権者が意見するときには「As a tax payer、納税者として」なんて前置きをして話すそうでけれど、国民と有権者と納税者はイコールではないんですね。国民は未成年も含むし、有権者は納税していない人も含むわけで。

いずれにせよ、もし自分が新しくなにか制度を作るときには、大義名分と実利、さらに「自分が関与することで状況が変わる感」を意識して制度設計するといいようですね。

 

それにしても、和牛とお米、どっちがいいかなあ。

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

 

 

 

『仕事は楽しいかね?』マックスと読む週刊ポスト 医療情報リテラシーの鍛え方④

ここ1、2週、週刊ポストでは<「塩分を減らせば血圧が下がる」は間違いだった>特集をやっている。減塩は高血圧治療の第一歩とでもいうもので、<「塩分を減らせば血圧が下がる」は間違いだった>と言われるとほんまかいなと思ってしまう。

ちなみに、高血圧の専門家たちから非薬物治療で推奨されているのは

 ①減塩(6g/日未満)

 ②野菜・果物を積極的に摂る

 ③コレステロールを控える、魚を積極的に食べる

 ④減量・適正体重の維持

 ⑤運動

 ⑥節酒

 ⑦禁煙

である(高血圧治療ガイドライン2014 第4章)。

 

実際週刊ポスト特集を読むと見出しこそ過激なものの、中身はそこまで過激ではない。記事の基礎になるのは食塩摂取で血圧が上がる人もいれば上がらない人もいる、という話だ。食塩感受性というもので、そのこと自体はウソではない。

ただ往々にしてこうした細かい話は読者の頭の中に残らない。なんとなく、『塩分減らしても血圧は下がらない』という間違った思い込みだけが残る。正しくは、塩分減らしても血圧が下がりにくい人もいる、です。

 

週刊ポストの記事をネタに、専門外の情報をどう取り扱うかについて考えてきた。

ネットウォッチャーと読む週刊ポスト <「塩分を減らせば血圧下がる」はやっぱり間違いだった>はやっぱり間違いだったー医療情報リテラシーの鍛え方① - カエル先生・高橋宏和ブログ

エンジェル投資家と読む週刊ポスト <「塩分を減らせば血圧下がる」はやっぱり間違いだった>はやっぱり間違いだったー医療情報リテラシーの鍛え方② - カエル先生・高橋宏和ブログ

インテリジェンス・オフィサーと読む週刊ポスト <「塩分を下げれば血圧下がる」はやっぱり間違いだった>はやっぱり間違いだったー医療情報リテラシーの鍛え方③ - カエル先生・高橋宏和ブログ

端的に言えば、専門外の情報を読むときに、①テキスト内の整合性を問い、テキスト内に矛盾がないか読む、②主張の正反対のテキストを読み、そちらの信ぴょう性を検討する、③多くの人に読まれているテキストの上位3つを読み、その中の多数派に暫定的に従う、という方法であった。

 

では、あの老人だったら週刊ポストをどう読むか。

あの老人というのはデイル・ドーデン著『仕事は楽しいかね?』(きこ書房2001年)に登場するマックス老人のことである。仕事に悩み、さまざまな自己啓発書で頭がいっぱいになった主人公のビジネスマンを導く、快活で茶目っ気のある、魅力的な人物だ。

もしマックス老人が週刊ポスト<「塩分減らせば血圧下がる」は間違いだった>を読んだらどういうか。

おそらくこう言うだろう。

「面白い!試してみよう!」

 

仕事は楽しいかね?』で最も心に残るのは、<人は、変化は大嫌いだが、試してみることは大好きなんだ。>(同書p.89)<『試してみることに失敗はない』>(p.29)というメッセージだ。

週刊ポスト<「塩分減らせば血圧下がる」は間違いだった>をあの老人、マックスと読んだらきっと言うだろう。「ほんとかどうか知りたければ、試してみればいいんだよ」

 

塩分減らすと血圧が下がるというのがウソだと思ったり、自分に食塩感受性の有無が気になるのであれば、実際に試してみるのが手っ取りばやいはずだ。

そのために面白い方法がある。『渡辺式・反復一週間減塩法』だ。

 

医者として「減塩してください」と患者さんに勧めても、なかなか実際には難しい。<人は、変化は大嫌い>だからだ。長年慣れ親しんだ塩加減を変えるというのは言うほど簡単ではない。主治医に一言言われたくらいでがらっと患者さんが食生活を変えてくれるというのはなかなかまれだ。「塩分減らしてください」と医者が言っても、かえってくる言葉は「そんなに塩分摂ってないとおもいますけど」の言葉である。

しかし<人は、変化は大嫌いだが、試すのは大好き>でもある。そこを刺激するのが、『渡辺式・反復一週間減塩法』だ。東京女子医大東医療センターの渡辺尚彦教授が提唱しておられる(『一個人』2016年10月号 p.53-59)。

 

<「学生時代、試験や受験前では誰でも頑張って勉強したはず。それを減塩に置き換えるんです。月に一週間だけ、徹底的に塩分を排除してください。塩味に対する感覚が鋭敏になれば、減塩効果があったと判断していいのです」>(『一個人』p.56-57)

月に一週間だけ減塩することで塩味に敏感になり、結果として普段の食事でもスムーズに減塩できるというものだ。

 

実際に試してみた。しばらくやってみると確かに今までは気にならなかったラーメンやコンビニおにぎりなどの塩辛さが気になるようになってくる。血圧の記録を取らなかったのが悔やまれる。

 

高血圧加療中で週刊ポスト記事が気になったかた、まずは反復式一週間減塩法、試してみてくださいませ。

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45