最低賃金について考える(R)

ロス・アンジェルスの探偵は言った。
警官にさよならを言う方法はまだ見つかってない、と。

ニュースによると、アメリカの自治体では次々と最低賃金を上げる条例が可決されているそうだ。
ここ数年の「we are 99%」ムーブメントの影響であろう。
記事の中で考えさせられたのは、低い賃金で働くファスト・フード店の店員の多くは、給料だけで生活できないため生活保護フードスタンプの公的生活支援を受けている、ということだ。
以前にウォールマートが自社の従業員に生活保護申請の指導をして世論に叩かれたことがあった。
そんなことをしてるヒマがあったら自分のところの給料を上げろというわけだ。
アメリカの場合、賃金の低さのために給料だけで生きていけないのは単純労働者だけではないようだ。
マイケル・ムーアの本『アホでマヌケなアメリカ白人』(2002年 柏書房。すごい題名だ)には生活保護フードスタンプを受給するアメリカン航空パイロットの話が出てくる(p.85)。

最低賃金制度がよいものかどうかはよく経済学の本に出てくる。
国が強制的に最低賃金制度を決めると、本来需給バランスで決まるはずの賃金が歪められ、安くてもいいから働きたいという人が職に就けないという論だ。
今回のアメリカの最低賃金値上げの話で考えさせられたのは、需給バランスで賃金を決めるという話は政府による生活支援という外部性を無視した話だったということだ。
自由競争、需給バランスに任せれば全てうまくいくという市場主義の弱点の一つは外部性で、例えば公害を出させないようにするには市場主義ではうまく制度設計できない。
生産者は公害が出ても出来るだけ安く製品を作って売りたいし、消費者は公害が出ても出来るだけ安く製品を手に入れたい。
需給バランスだけでは公害を減らすインセンティブもモチベーションも生まれないわけで、結局そのツケは社会が払うことになる。
そのためどうしても政府や規制が必要になってくるのだ。

市場主義は社会にツケを回すことがある、という例が冒頭の低すぎる最低賃金だったというわけである。
日本社会でも同じことが起こっていないとは決して言えないだろう。
お金じゃないけれど、サービス残業の嵐で父親が子育てに関われないせいで少子化になっているとすれば、それはただ単に未来にツケを回して稼いでいるだけだ。
奥さんがふたりめの子供を希望するかは、ダンナが夜9時までに帰宅するかにかかっているという(松田茂樹『何が育児を支えるのかー中庸なネットワークの強さ』勁草書房 という本で読んだ)。

全てを市場主義に任せればうまくいくと思っている人は多い。
そりゃあ政府や役人にああだこうだ言われるのは僕だって嫌だ。
僕たちは絶対間違えませんからという無謬性を建前とする官僚主義の弊害も多い。
だが世界には二百近くの国があるが、無政府主義国家というものはまだない。

政府や規制にさよならを言う方法もまた、まだ見つかっていないのだ。
(FB2015年7月30日を再掲)

 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45