*2010年に書いたものを再掲。長いので分割して載せます。
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真の成長戦略とは―METSELAプロジェクトの提唱(塾生レポート) | 松下政経塾
真の成長戦略とは
2009年12月30日、「新成長戦略(基本方針)」が閣議決定された(1)。この中で、政府は、今後日本は課題解決型国家を目指すとし、第一の課題を地球温暖化対策、第二の課題を少子高齢化対策とした。そして第二の課題について、ライフ・イノベーションによる健康大国戦略を掲げ、主な施策として、医療・介護・健康関連産業の成長産業化、日本発の革新的な医薬品、医療・介護技術の研究開発推進、医療・介護・健康関連産業のアジア等海外市場への展開促進、バリアフリー住宅の供給促進、医療・介護サービスの基盤強化が挙げられている。
「環境」と「健康」をキーワードに国家の成長戦略を立て、内外にその姿勢を示したことはよい。しかし実際に目を通してみると、首尾一貫した考えは見えにくく、様々な関係者が言っていることを文言に盛り込んだ印象を受ける。また、新戦略の中に謳われている他の項目であるアジア経済戦略や科学・技術立国戦略、人材戦略との有機的つながりも見えづらく、結果として印象に残りづらいものとなっている。
成長戦略を国家百年の大計と捉えるならば、様々な施策に共通する思想が呈示され、しかも国民と世界にそれが理解されるものでなければならない。
そこで私はこれからの日本の国家百年の大計として、「科学技術による高齢化社会の克服」を挙げたい。そして具体的取り組みとしてMETSELAプロジェクトというものを提唱する。
METSELAプロジェクトを簡単に説明すると、「科学技術によって高齢者が健やかに自立して暮らせる世の中をつくる。超高齢化に対し、労働集約的アプローチではなく技術集約的にアプローチし、高齢者向けの製品・技術開発を無数に行う。これにより国内需要を喚起し、新たな輸出産業とする」ものである。
以下その背景と詳細を述べる。
現在の日本の危機と諸問題
現代日本が抱える最大の問題は何だろうか。言うまでもなく少子高齢化である。
少子高齢化により国内の労働力と生産力は減少していき、社会の活力が減退する。社会保障制度のなかで支える人間が減り、支えられる人間が増えていく。少子高齢化により日本に対する先細り感が生まれ、それがなお国民に漠然とした不安をもたらしている。
もう少し具体的に述べると、支える側が足りなくなるのは、年金制度というお金の問題だけではない。介護福祉士不足、看護師不足に代表されるように人的資源そのものとしても支える人間が足りなくなる。現状では身体の不自由になった高齢者に対し、介護福祉士やヘルパーなどが生活のサポートを行うが、こうした福祉・介護の分野というものは非常に労働集約的であり、場合によっては一人の高齢者の生活を支えるのにその数倍から十数倍の人々が関与する。約2580万人の高齢者に対し、高齢者の福祉・介護に従事している者は約197万人であり、そのままの比率でいけば平成26年までに約40万人から約60万人の従事者が不足する(厚生労働省ホームページ「福祉・介護人材確保対策について」より)。この福祉・介護分野の人手不足に対し、諸外国から招致する動きがあるが、二つの面で問題がある。
政府は2008年よりインドネシア人の、2009年よりフィリピン人の、看護師・介護福祉士候補者の受入を始めた(2)。日本で本格的に働くためには日本の看護師国家試験をパスすることが要求されるが、日本語の壁は高く、2008年度の国家試験ではインドネシア人の受験生82名全員が不合格であったなど、課題は多い。しかも、前述のように超高齢化に看護師・介護福祉士は数万から数十万人単位で不足する可能性があるので、上記の程度の規模ではとうてい間に合わない。
また、後述するように、高齢化が進むのは日本だけではない。アジアでは中国が2024~2026年に、インドが2043~2049年に高齢化率が14%を越え、高齢化率7%の高齢化社会から高齢社会に突入するとも言われている。
すなわち、今のままの労働集約的なやり方をそのまま続けた場合、高齢化する世界の中で高齢者の看護・介護・福祉に従事する人材は、各国で奪い合いになることが予想されるのだ。
また、少子化により国内の労働力が減少する傾向にあるなかで、高齢者の福祉・介護に国としてどれだけの割合の人的資源を割くかという問題もある。高齢者の増加に伴い確実にニーズは高まるが、高まったニーズにあわせて若年労働力をその分野に回し続ければ、他の分野で活躍する人材がその分減ってしまう。
こうした問題は、超高齢化に対し労働集約的に対応しようとする限り避けられないことである。何か別のアプローチ方法を編み出す必要があるのだ。
別の課題として、経済面では国内で「お金がうまく回っていない」ことが挙げられる。現在の日本では1400兆円もの個人資産があり、その過半が現金・預金とされている(3)。これは2009年度の税収40兆円の約35倍であるが、これらの資金の1割でも適正に市場にまわっていれば国内経済に与える影響は計り知れないだろう。さらに1400兆円の個人資産のうち、約8割を50歳以上が持ち、さらには65歳以上が830兆円もの資産を持っているとも言われることを忘れてはならない。
残念ながらその巨大な個人資産が十分に活きていないのが日本の現状である。65歳以上がお金を使わないために、世の中にお金がうまく回っていないのではないだろうか。
ではなぜ、65歳以上の人々はお金を使わないのだろうか。
それは単純に言えば、イザというときにお金がないと不安だからであり、一方で欲しいもの、使いたいことが十分にないからである。
前者について、2009年6月の内閣府世論調査を見ると、日常生活での悩みや不安について、68.9%の人が「悩みや不安を抱えている」と答えており、その人々の不安の最大のものは「老後の生活設計」(54.9%)、その次は「自分の健康について」(49.2%)である(4)。
この世論調査だけから不安が消費を手控えさせていると結論づけるのは早計だが、NHKによる別の世論調査では、臨時収入があったときに「将来必要となるかもしれないから、貯金しておく」という人々が増えているという(5)。二つの調査から、将来不安が大きいほどみなが消費を手控え、市場にお金が回ってこない可能性が推測される。
後者、すなわち欲しいもの、使いたいことがないことは、数十兆円にも上るともいわれる需給ギャップに象徴される。需給ギャップのすべてを個人消費の不活発さに帰すことはできないが、個人消費が占める割合が無視できないのも事実であろう。この需要の不足、言い換えると欲しいもの、使いたいことがないことについては企業側にも改善余地がある。
高齢者向けに開発された商品として、使いかたがシンプルで文字表示も大きい携帯電話「らくらくホン」(6)などの例はある。しかし、こうした高齢者向けの製品開発が十分やりつくされているわけではない。高齢者向けの商品は、お年寄りは弱くて保護すべきもの、というステレオタイプに基づいて発想されるものも多く、その結果、効果的なマーケティングがされていない、ともいう(7)。
麻生太郎もその著書の中で、企業が高齢者層向けの商品・サービス提供に本腰を入れていないと指摘し、レストランでも「お子様ランチ」はあるのに「老人ランチ」はない、高齢者向けに少量だが味がよく、入れ歯でもおいしく食べられるような「シルバーランチ」のようなものこそ、これから売れるのではないかと述べている(8)。
また、高齢者向けの製品のニーズが十分に満たされていないことについて、法政大学大学院教授の坂本光司も著書の中でこんなことを述べている(9)。
(略)かつて私は約500人のおじいちゃん、おばあちゃんを対象に「どんなものがほしいか」「どんな商品やサービスがあれば、あなたの利便性が高まるか」といった調査をしたことがあります。
その結果を見たときに、「私たちは、なんて高齢者、体の不自由な人たちのことを知らずに生きてきたんだろう」ということを思い知らされました。
たとえば、スーパーマーケットなどに買い物かごを乗せるカートがあります。あれは腰の曲がったお年寄りには使いにくいというのです。力も弱く、背も低くなっている高齢者にとって、商品は入れにくいし操作もしにくく、非常に疲れるのだそうです。
このほかにも「こんな商品があればいい、今使っている商品はここが不便なのでこうしてほしい」というような要望が驚くほど多くありました。(中略)
世のなか、不況だといいますが、そうではありません。前にも言いましたが、マーケットは創るものです。
(坂本光司 『日本でいちばん大切にしたい会社』)
シルバーランチや高齢者が押しやすいカートなど、ちょっとした工夫やアイディアさえも潜在的市場を掘り起こしていくはずであり、こうした高齢者向けの製品開発は、もっともっと強力に推し進められるべきである。
さらに言えば、資産を持つ高齢者がお金を使わない理由である「老後の生活」と「自分の健康」への不安、欲しいものがない、ということを考え併せると、「老後の生活」と「自分の健康」に関する不安を解消する製品には大きなニーズがあるはずである。
やや突飛なことを言えば、仮に「一生寝たきりにならない装置」や「一生認知症にならない薬」が発売されたとしたらどうだろうか。「老後の生活」と「自分の健康」に対する不安から消費を手控え、800兆円あまりの個人資産を眠らせている高齢層の消費は一気に動きだすのではないだろうか。
「一生寝たきりにならない装置」や「一生認知症にならない薬」などあるわけがない、そんな画餅を国家戦略にするわけにはいかない、という意見もあるだろう。しかし、無ければ作ればよいのである。(続く)
(松下政経塾レポート2010年6月を再掲)
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