「保育園落ちた日本死ね!」は世紀の名文である~文学部唯野教授かく語りき。

「何なんだよ日本。

一億総活躍社会じゃねーのかよ。

昨日見事に保育園落ちたわ。」

で始まる文章がはてな匿名ダイアリーに投稿されたのが2月15日、国会でこの言葉が取り上げられたのが2月29日。

匿名のブログ上の発言がたった2週間で国会で議論されるまで広まったというのは、後世から見たら日本の言論史に残る出来事だろう。


かつて保育園で育てられたぼくは、発言の内容におおいに同意する。
そのうえで指摘しておきたいのは激情と憤りに突き動かされて書かれたこの文章が、結果的にロシア・フォルマリストたちがいった『異化』のみごとな具体例となっているということだ。

ロシア・フォルマリズムについて、かつて早治大学の文学部唯野仁教授はこう講義した。

<われわれが普通、なんの気なしに使っている日常のことば、つまり『おれの先週やった講義をまだ憶えてるか』だとか『おれの呑み残しのボトル、まだ置いてるか』だとか『わたしの歯ブラシ使ったの誰』とか『風呂沸いてるか』『飯にしてくれ』『寝る』など、慢性的に、もう誰でもが使って使い古された、効果としてはたいへん鈍い、つまりフォルマリストならこれを『自動化された』と言うんだけど、そんな日常言語を、ちょっとした、あるいは徹底した文学的な技巧でもって、異常なものに変えてしまうこと、これを『異化』っていうんです。ただことばを変えるだけじゃなくって、そんなことばでもって今度は日常の、この見なれた、われわれが住みなれた世界まで、突然見なれないものに変えてしまって、安心していられないものにしてしまう。これが要するに『異化効果を持っている』ということなんだよね。>

「保育園落ちた日本死ね!」がもし「保育園落ちた悲しい!」とか「保育園落ちた悔しい!」だったら、同じ内容であってもここまで皆の心に刺さらずスルーされていただろうし、国会で議論されたりもしなかっただろう。保育園落ちた→悲しい、保育園落ちた→悔しい、というのは現代日本においてよく起こることで、ロシア・フォルマリストたちのいう『自動化された』言語であり、読んだ人たちの頭を素通りしてしまう(保育園落ちるのが当たり前になっている社会というのは悲しいけれど)。
だが保育園落ちた→日本死ね!というのは読むものをぎょっとさせる。まさに唯野教授がいう<この見なれた、われわれが住みなれた世界まで、突然見なれないものに変えてしまって、安心していられないものにしてしまう>言語表現であり、『異化効果を持っている』ことばなのだ。

不倫してもいいし賄賂受け取るのもどうでもいいから保育園増やせよ。

オリンピックで何百億円無駄に使ってんだよ。

エンブレムとかどうでもいいから保育園作れよ。

有名なデザイナーに払う金あるなら保育園作れよ。

どうすんだよ会社やめなくちゃならねーだろ。

ふざけんな日本。>

読んだ者に考え方の変化を与え、人の心をなんらかの方向に動かすのが名文だとしたら、この文章は間違いなく名文だ。

腹の底からの憤りと悲しみと怒りとやるせなさといらだち、すべてをないまぜにしたこの言葉は、現代日本社会に対する異議申し立て、パンクでありラップだ。21世紀日本の「アナーキー・イン・ザ・UK」であり「アイ・ショット・ザ・シェリフ」だ。後者はレゲエだけど。

誰も言わないからぼくが言う。「保育園落ちた日本死ね!」は、100年後に残る日本語の名文ではないだろうか。  

 

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