ルタバカ・サウダージ(R)

診察室で、その人は言った。
「じゃがいも。とうきび。…ルタバカ」。
仕事柄、ひとから毎日のように野菜の名前をきく(本当)。
診察の一手法でそういうのがあるからだが、ルタバカというのは初耳だった。

 

「いやだわ、お父さんたら」
付き添いの妻がそう言う。
「…息子に呼ばれてこっちにくるまで、北海道にいたんですよ。
もうずいぶん前にやめちゃったけど、農業やっててね。
ルタバカってのいうのはカブの仲間の根菜で、おおむかしの家畜の餌でね。
今はぜんぶ輸入の飼料に変わっちゃったけど、昔はルタバカをたくさんトラックで運んだりね。
いろいろ忘れちゃうけど、昔のことって覚えてるのね」

 

そんな話を聞くとぼくは少しだけ胸が締め付けられるような何とも言えない気持ちになる。
人も社会も進歩していくべきだと思うけれど、それでもなお、いやだからこそ、こうしたもう決して元に戻ることのない過去の出来事や話は心に突き刺さる。
もう完全に終わった話というよりは、今ともつながっている昔という過去完了形みたいなモノゴトは、切ないような悲しいような、自分自身が経験したわけではないのに懐かしいような不思議な感情を胸に呼び起こす。


何年も前に閉店したのに、ガラス扉越し中途半端に閉じたカーテンの間から古いアイスクリーム用の冷蔵庫の端がいつまでも覗いている駄菓子屋なんかの前を通るときもそんな切ないような悲しいような懐かしいような、一言で言い表せない気持ちになる。
切ないというにはもうちょっと柔らかく、悲しいというにはもうちょっと明るくて、懐かしいというにはもうちょっとからっとしている気持ち。


もしかしたらこれが、ブラジル人たちの言う「サウダージ」という感情なのかもしれない。


(*シチュエーションなどは実際のできごとと一部変えてあります。FB 2014年6月23日を再掲) 

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45

3分診療時代の長生きできる受診のコツ45