「うちの高校にはね、年に一回くらい、あの人が来るの」
その日の夜、ジャズ・バーで隣の席に座った女性が言った。九州から関東に出てきたばかりだという。
「ほんとにふらりとね、校庭に現れるの。ギター一本さげてね。やっぱり母校だから」
黒いテーブルの上には背の高いグラスにジントニック。お店でかかっていたのはウェザー・リポートか、あるいはレイ・ブライアントの『アローン・アット・モントルー』だったか。
「あの人が校庭に現れたのを窓際の誰かが見つけると、授業中だろうがなんだろうが一気に学校中が大騒ぎよ。学校中で『ツヨシー!!』『ツヨシー!!』って。うちの学校が生んだスーパーすたーだからね、長渕剛は」
話を聞いたのは20年以上前で、その女性と会ったのもその一度だけだったけれど、この話だけは妙に覚えている。
あ、それから関東に出てきて男の人がみな優しく接してくるので、はじめは気持ち悪かったとも言ってたな。こんなに優しく接してきて、こいつら何か企んでるんじゃないかって。九州の男の人ってのは、もっと威張ってるんですかね。
TVショウを観ると年末年始も人出は多かったようだし、その結果コロナ爆増して、普段なら助かるはずの命も失われている。気疲れと虚しさでちょっとしんどくなって、昔のことを思い出すことも多い。今まで手に取ることのなかった長渕剛の昔のCDなんか取り寄せてみて聴いたりなんかして、我ながら元気いっぱいというわけではなさそうだ。
あれから時は流れてジャズ・バーも移転し、バーのあった南口のアーケードも再開発で無くなってしまった。全ては時の流れのままに。
まあでも下向いても後ろ向いても前には進まなければならないわけで、今日も明日も日は登る。
Isn't it?
〈りんりんと泣きながら はじけてとんだけど
もっと君は君でありますように
いったい俺たちはノッペリとした 都会の空に
いくつのシャボン玉を 打ち上げるのだろう?〉
(長渕剛『しゃぼん玉』)
それにしても〈賽銭箱に100円玉投げたら釣り銭出てくる人生がいい〉(『RUN』)って、どんな意味なのだろうか。