教養とは、金をかけずとも人生を楽しみ、波風立てずに世を渡る術である、という話。

「ぼくは昔からこのウイスキー一筋って決めてるんだよ。値段が下がらない酒、いくら値切れどマッカランさ」
通っていたジャズバーの忘年会で、常連の人が言った。
いつか使うべき大人の教養として、15年ほどこの言葉は温めている。
 
教養とは、お金を使わずに人生を楽しむ術だと聞いたことがある。
日本冒険小説協会会長だった故内藤陳氏は、「数百円で、ぼくらはトべる」という名言を遺している。面白い文庫本は、読む者をジャングルや宇宙や未来や過去に連れていってくれる。どちらが先かわからないが、糸井重里氏にも「想像力と数百円」という名コピーがある。
読書を愛する教養人は、あまりお金をかけずとも人生を楽しむことが出来る。
 
ヨーロッパで教養が尊ばれたのはなにもヨーロッパ人が人間として高級だったからではない、というようなことを福田和也氏がたしか『悪の社交術』で書いている。
ヨーロッパのようなせまい土地で何世紀も戦争や小競り合いを繰り返していると、社交の席で下手に利害関係のある話はできない。誰がどこで誰とどうつながっているかわからないし、うっかり口を滑らせるとすぐ戦争になる。
だから、そんな現世の話を会食の席でするよりも、小説や絵画や音楽の話をしているほうがリスクが少ない。しかもそうした教養の話というのはどんどん微に入り細に入り語ることができるから、いくらでも間が持つ。だからヨーロッパでは社交の武器として教養が重んじられたのだという説だ。
 
おそらくそれは今も続いていて、例えばフランス人とビジネス会食して、しかも取引上言質をとられたくなければ、ミシマかクロサワかキタノの話をまくしたてていればなんとか間が持つだろう。たぶんテキサス人には別のアプローチ、たとえば馬への偏愛などを語ることが必要だろうが。
 
教養とはお金をかけずとも人生を楽しむ術であり、波風立てずに世を渡っていく武器だと書いた。
 
教養があると聞くと幅広くいろんなことを知っているというイメージを持つが、一つのことを深掘りするというのもまた教養である。
一つの小説や一人の作家に惚れ込めばシャーロキアンやハルキストになれる。
一冊の本や一枚のレコードに人生を捧げるというのも美しい。
 
たくさんのワインを知っているのも教養だが、一つのワイナリーを愛し続ける人もいるだろう。冒頭のマッカラン氏もまた、教養あふれる人だった。
値段は関係ない。どこまで惚れ込めるかだ。
世の中にはストロングゼロ評論家もいるかもしれないし、それこそ昔から『鬼殺し』一本槍の人がいたら、君も鬼殺隊に入らないか。

 

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