〈高齢社会への道を進む日本において、決定的に欠けているのは大人の社交場なんです。〉
〈(2030年には)オタク文化の最初の世代が高齢者になるのですから、消費活動もその延長線上にあるはずです。〉(河合雅司・牧野知弘『2030年の東京』祥伝社新書2022年 p.127,129)
人口動態を無視しては何ごともうまくいかない。
河合雅司氏の著作は痛いほどそれを教えてくれる。氏の新著を読んでいて上記の箇所にあたった。
ほかのパートで触れられているように、高齢者は若者より移動できなくなるから、上記の大人の社交場を作るとすれば、住宅地の近くになる。
自ずと商圏はせまくなるし、いわゆるオタク趣味というのは微に入り細に入る傾向にあるから、たとえば大規模テーマパークなどと真逆、少ないコアをターゲットにすることになる。
少ないコアなマーケットでは毎日十分な利益は出ないから期間限定のものとなろう。もちろん初期投資は抑えるべきだから既存の施設や店舗を利用するほうがよい。
というわけで、現存の店舗を利用し、「ドラゴンボールを語り尽くすday」とか「Get Wild全バージョンを聴き倒すday」とかの日替わりイベント(高齢者は夜早く寝るので、「~聞き倒すNight」ではなく「day」)を開催して、「大人のオタク社交場」を提供する事業とかはマジでそこそこニーズがあると思う(ダメならやめればよいだけの話)。たぶんキモはオーガナイザーが真のオタク/ファンであることと、参加者同士の双方向の交流の仕組みづくりだろう。
上掲書『2030年の東京』の問題提起の一つが、高齢社会は今より移動が困難になる、というものなので、住宅近接でのマイクロイベントを想定している。「ブックカフェ」の俗っぽい版みたいなってニーズあると思う。
認知症の治療の一つで「回想法」というものがある。
これは患者さんが昔使っていたものなどを用い、過去を掘り起こしてもらうことで症状の安定を図るという手法だ(と思う。回想法を本格的に学んだわけではないので、間違ってたら直します)。
回想法では、たとえば元大工の人であれば、大工道具を渡してどのように使うのか話してもらう。
あるいは子どものころや働き盛りのときに過ごしていた場所に一緒に行ったりその場所の写真を見てもらったりして思い出を語ってもらう。
実際に回想法(的なこと)をやってみると、皆ものすごく生き生きとする。
「過去」と「推し」は「いま」を輝かせるのだ。
高齢社会において必要な「大人の社交場」だが、そういうわけで何も趣味系のイベントに限定することはない。
「北海道day」とか「沖縄day」とか、県人会のカフェ版みたいなことをやって各都道府県の出身者やその土地土地に暮らしたことがある人、旅したことがある人、さらにはいつかその土地に行ってみたい人を集めて語らってもらうというのがあってもよい。
あるいは「教育者day」とか「デザイン系day」とか、それぞれの仕事にゆかりのある人を集めて雑談してもらうスタイルとか。
大事なのは、「メンバーを固定化させない」ことと「テーマを固定化させない」こと、一言でいうとフレキシビリティーだろう。
こうした集まりはだんだん「ボス」を生み出し序列化する傾向にあるから、毎回テーマを変えるとよいだろう。各テーマごとに「ボス」が生まれてしまうのはやむを得ないが、たとえば「北海道day」ではボスになる人も「ビートルズday」では聞き役にまわることもあるはずだ。
だからいろんなテーマで「大人の社交場」を演出するのがよろしいと思う。
メンバーが各テーマごとに入れ替わることで、地域に「弱い紐帯」を何本も作れるというのも隠れた狙いとなる。
この件で繰り返し注意しておかないといけないのが、「物理的な場所を」「新たに」つくるという方向性ではなく、「今ある場所を活用し」「人を活用する」という方向で持っていくべきということだ。
行政の予算は目に見えるところにつきやすいのと、日本は人に投資しない傾向にあるので、「町カフェ」みたいに箱物つくる方向に行かないように要注意だ。
オーガナイザーとかMC的に「場所を回す」人に予算をつけて、いまある場所を活用していくのが重要だと思う。
公民館でも既存のカフェでもいいので「場を回す」人があちこち出張していって、日替わりで「ドラゴンボールを語りつくすDay」とかやっていくイメージですね。
10~30名規模のイベントなので、その「場を回す人」の日当をねん出するために行政が予算つけてくれるとリーズナブルなものになるのではないか。
もちろん基本は独立採算ではありますが。
(続くかも)