歳なりに歳をとる(1)<若い時に若かった人は仕合せである。>と『パリのすてきなおじさん』

〈若い時に若かった人は仕合せである。よい時期に成熟した人は仕合せである。人生の冷たさを年とともにだんだん我慢することのできた人、風変わりな夢に打ち込まなかった人、社交界の衆愚を避けずに暮らせた人、また二十歳では、伊達者よ、おっちょこちょいよ、と言われ、三十歳で有利な結婚をし、五十歳で公私の義務から解き放たれた人、名誉と金と官位を順ぐりに、おだやかに手に入れた人は仕合せである。〉(プーシキン『オネーギン』岩波文庫 1962年 p.138)
 
年齢と人間的成長、あるいは加齢について考えている。
 
つらつら考えるに、大事なのは「歳なりに歳を取る」ということなのかもしれない。
若いうちに変に大人びたり、逆に歳をとって変に若ぶったりするというのは、どこかしら歪みを生む。
その歪みこそが「個性」と呼ばれるものだったりもするから一概にいいとも悪いとも言わないが、もし何も考えずに「仕合せ」になりたければ、若い時には若く、大人になれば大人として、高齢になれば高齢なりに自然に生きていくのがよいのかもしれない。
 
行き先も決めずに書いている。
先日、「高校生の時から毎月数千円を貯めて運用していけば、社会人になったときには◯◯万円になる」というようなツイートを見かけた(元ツイートはうまく見つけられない)。
それに対し、「大人から見ればバカバカしいムダ使いでも、高校生のころ数千円をケチってバカバカしい体験をしないほうがはるかにもったいない」というような反論が湧き、もっともだと思った。
高校生にとって数千円は大金だ。その数千円で友だちと遊びに行ったりすればその体験はプライスレスだが、大人になると時間が無かったり体力がついていかなかったり、とにかく若い時にお金で出来る体験をしないのはもったいない。ぼくなんかもこの間、ミスタードーナツの食べ放題に誘われたけど、全く心が動かなかった。エンゼルフレンチ一個でいいです…。
 
インフレ傾向の社会とデフレ傾向の社会ではまた違うのかもしれないけれど、若いときにバリバリ稼いでセイブマネーして早めに引退するというFIREとかもどうなんすかね。若い時にしか出来ないこともやっぱりあるよなあ…。

 

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「反省はしろ。後悔はするな」
世界のシューゾー松岡の言葉らしい。
過去の失敗を反省しないのはいけないけれど、クヨクヨと後悔していても仕方ないということだろう。良い言葉だと思う。

「歳なりに歳を取る」という話をしている。
反省はしていないけれどちょっとだけ後悔していることがある。若い時に若くなかったことだ。
20歳を越えるまで『ライ麦畑でつかまえて』を封印していたし、25歳を越えるまで『エヴァンゲリオン』を観ていなかった。
村上春樹を自らに解禁したのは30歳のときだったし、いわゆる自己啓発本的なものは40歳手前まで避けてきた。
いずれも引力が強そうで、自分がその世界に取り込まれそうな恐怖心があったからだ。
その結果、それらのものを「情報」として処理してしまい、「体験」と出来なかったのではないかという疑念がある。

たとえば10代や20代前半のときに『ライ麦畑』や『エヴァンゲリオン』、村上春樹の世界と触れていれば、どっぷりとその世界にはまり込むことが出来、また別の人格が形成できたのではないか。反省はしていないがちょっぴり後悔している。

しかしながら「他人と過去は変えられない」。
そのちょっぴりのほろ苦い後悔を次に活かすにはどうするか。
やはり次は、あるべき「おじさん」の姿を追求すべきではないか。

本来、自称としての「おじさん」というのは好きではない。
「おじさん」というカテゴリーに逃げ込んで、「オレもおじさんだからさー。仕方ないか」という言い訳をして自己変革を拒否し現状に安住しようとする響きを感じるからだ。
「おじさま」とでも呼ばれれば、やつはとんでもないものを盗んでいきました、あなたの心です、なんて展開もあるかもしれないが、何言ってんだ銭形。

呼び名の良し悪しはともかく、あるべき「おじさん」の姿とは何か。

〈「少年である僕がいるとする。僕は両親が押しつけてくる価値観や物の考え方に閉じこめられている。(中略)ある日ふらっとやってきて、両親の価値観に風穴をあけてくれる存在、それがおじさんなんです」と、伊丹十三は言った。
あぁ、私が、若かった頃、どれほどたくさんのおじさんがふらっとやってきて風穴をあけてくれたことか。親戚のおじさん、学校の先生、仕事場の先輩、飲み屋のマスター、旅先ですれちがったおっちゃん……。〉(金井真紀『パリのすてきなおじさん』柏書房 二〇一七年 p.2)

上掲書は、そんな風穴をあけてくれるおじさんを求めてパリの路上で片端からおじさん達の人生の物語を聞いて回った本だ。フェミニンな言いかたをすれば、prettyな本である。
たとえばこの本の中で、著者は92歳になるアルジェリア国籍のパリジャン、ムフーブ・モクヌレとこう語りあっている。

〈人生で大切なことはなんですかと質問したら、もじゃもじゃ眉毛がピクリと動いた。
「差別もテロもずーっと昔からある。これからもなくならんだろう。でもわしやあんたのような勇敢な人間もいる」
そう言ってシワシワの大きな手でわたしの肩をポンと叩いた。
「人間を好きにならなければいかん」〉(上掲書p.143)

パリのおじさんはなかなか良いことを言う。ぼくも理想の「おじさん」になるために、まずは空港で自撮りするところから始めたいと思う。
(続く)

1人、本の画像のようです