ライフワーク、ライスワーク、ライクワークpart.1

「ぼくね、人間にはライフワークとライスワークがあると思うんですよね。人生を通して取り組むのがライフワーク。んで、ごはんを食べるためにやるのがライスワーク。ダジャレですけど。あと、好きだからやるっていうライクワークもあるかな。
ライフワークとライスワーク、それからライクワークも、一致してればいいけど一致してなくてもいい。ライスワークやりながらごはん食べて、じっくりのんびりライフワークに取り組んだってええんやないかと思うんですわ」
そんなことを聞いたのは、大阪の淀川を行く屋形船の上であった。

 

<エリック・エリクソンは、人間のライフサイクルの最後の段階は「統合」を達成すること、つまり人生の過程で成し遂げてきたことや達成できなかったことを、自分自身のものとして主張できる意味のある物語として結び合わせることを含んでいると考えた。>(M.チクセントミハイ『フロー体験 喜びの現象学世界思想社 1996年 p.166)

 

人生は前半で“発散”し、後半で“収束”する。
仮に「人生100年時代」が本当だとしても、現在46歳のぼくは、“収束”のフェイズに入りつつあることになる。マンマ・ミーア。

 

40歳を越えたころから人生の有限性を体感するようになった。
何でもかんでも首を突っ込むのもいいけど、その場合、あちこち駆けずり回ってすり減って、結局なんにも形にならないということにもなりかねない。
何かワンテーマに我が有限なる時間と気力を振り分けて、ライフワークとしてやっていったほうがよいのではないかなと思っている次第である。

 

ライフワークやライフテーマを持って生きている人は、強い。
ごはんを食べていくライスワークで右往左往し前進後退を繰り返しながらも、ライフワークやライフテーマがあれば人生の「軸」や「芯」や「プリンシプル」が持てるので、一貫した人生を送れる。

もしライフワークとライスワークが一致すればそれは最高だが、そうでなくてもライスワークで生活の糧を得ながらライフワークを少しずつやっていけば、迷い少なく楽しく生きていけるのではないだろうか。
ほら、オタクやマニアやコレクターって、楽しそうじゃないですか。

 

というわけで、2019年は心ひそかに我がライフワーク・ライフテーマを決めてみたのだが、それが何かは、今度またゆっくり。

 

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