遺跡とリナックス~ライフワーク、ライスワーク、ライクワークpart.2

〈こころよく 我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて 死なむと思う〉(石川啄木

 

死ぬ気もないし死にたいとも思わないが、仕事にもいろいろある。
生きる糧を得るための仕事や行きがかり上やらざるを得ない仕事もあれば、生きていく気力を与えてくれる仕事もある。
生きる糧を得るための仕事と生きがいになる仕事が一致すれば素晴らしい職業人生だが、一致しなくても構わない。
生きる糧を得るための仕事をライスワーク、生きがいになる仕事をライフワークと呼んで、そんなことを教えてくれたのは大阪の街づくりをライフワークにしている人だった。

 

歴史を振り返るとライスワークとライフワークが別だった人というのはたくさんいる。
遺跡発掘をライフワークとし、そのための費用を稼ぐために実業を行なったシュリーマン(諸説あり)もいれば、若くしてライフワークとなる(はずだった)詩作に出会いながらも、その後(後世の人からみれば、だが)ライスワーク中心の人生に移ったランボー
アインシュタイン特許庁の仕事をしながらライフワークである物理学の論文を書いていた。
近年でもリーナス・トーバルズはライフワークであるLinuxの開発マネジメントを生きる糧を得るライスワークとは分けて行なった。


ライスワークしながらライフワークを行なった人は何も偉人ばかりではない。
淡々と日々の仕事をこなしながら郷土の歴史を調べてまとめ、後世に残すような地域の知識人は古今東西たくさんいるし、そうした人たちが積み重ねた郷土史は歴史家たちにとって宝石のように貴重なものになったりする。

 

だから、生きる糧を得るライスワークと生きる目的となるライフワークが全然別でも構わないのだ。
実際に、前述のランボーなどは振れ幅が大きい人生で、ライフワークである詩人を卒業した後は骨太な実業家として生き、それでも飽き足らず常人離れしたトレーニングののちに筋骨隆々としたアフガン帰りの軍人として敵を倒しまくった(後半ウソ)。

(続く)

 

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