「見るべきほどの事をば見つ」の話。

「見るべきほどの事をば見つ」。
平家物語で新中納言知盛の最期の言葉である。
知盛は、見るべきものは全て見た、と言ってこのあと海に身を投げる。
 
文脈的には「見るべきほどの事」とは平家一門の最期のことだという(『平家物語』角川ソフィア文庫 平成十三年 p.247)。だが、想像をたくましくして「この世で見るべきほどの事」と置き換えると、ぐっと身近な言葉となる。
 
もちろん知盛のように自害するつもりは毛頭ないが、それでも人生は有限である。
ぼくはまだ宇宙から地球を見ていないし、イグアスの滝も見ていない。
リオのカーニバルも見ていないし、万里の長城すら見ていないのだ。
屋久島もねぶた祭りも阿蘇山も善光寺も見ていない。
まだまだこの世を去る気はないが、それでも世を去る時に「見るべきほどの事をば見つ」という境地になれるかどうかはわからない。
 
世代的に、かなりの年齢になるまで働く世代である。お金のことを抜きにしても時間は有限だ。いろいろ逆算して動けるときに動いて見るべきほどの事を見ていかないとならない。
 
まずはジャニーズのコンサートから見ておきたい(マジで。人を熱狂させるというのがどういうことか見ておかないと)。
というわけで早いとこコロナ禍を収束させましょう!