〈たかが〉の三文字に、教育ジャーナリズムの達人おおたとしまさ氏の覚悟を見た話。

〈たかが〉の三文字に達人の覚悟を見た。

「中学受験すべきか否か、どっちがいい?」という問いに対し、教育ジャーナリストおおたとしまさ氏がこう書いている。〈(略)たかが中学受験をする・しない、あるいは希望の学校に合格できる・できないで、人生の善しあしが決まるわけがありません。〉(6月1日朝日新聞朝刊 『塾が教えない中学受験必笑法』)
この〈たかが〉の三文字に込められたであろうおおた氏の思い、迷い、経験、自問自答に感銘を受けた。

誰しも自分が取り組んでいることというのは大事にする。
口には出さなくても「世の中で最重要なことの一つ」と思うからこそ、人生をかけて取り組む。

おおたとしまさ氏のテーマは広義の教育であり、中学受験というのは教育の中の一つである。
俗な言い方をすれば、教育の中でも中学受験というのはおそらく「売れる」テーマの一つであろう。
自らの「売れる」テーマの一つである中学受験について〈たかが中学受験〉と書けるというのは、誰よりも取材し誰よりも考え抜いて誰よりも迷って、そして過熱しまくる中学受験というものについて誰よりも危機意識を持った結果なのではなかろうか。

モノゴトは、とらわれこだわって近づけば近づくほど全体像が見えなくなる。中学受験というものにとらわれこだわり過ぎて近視眼的になり、子どもの教育や幸せ、人生という全体像が見えなくなった大人たちに、おおた氏の〈たかが中学受験〉という言葉はどう響くだろうか。

誰よりも歌に人生を捧げた桑田佳祐氏は自分の著書に『ただの歌詞じゃねえか、こんなもん』とタイトルをつけた。
中島敦の小説『名人伝』では、弓の達人は凄まじい修行の先に弓そのものを忘却した。
千利休は、こまごまとした作法の集積である茶道を打ち立てながらも「茶の湯とは ただ湯をわかし 茶を立てて のむばかりなる事と知るべし」と教えた。

誰よりも中学受験が持つ教育的意味を考え抜いたであろうおおた氏が放った〈たかが中学受験〉という一言に、そんな達人の思いと覚悟を見るのである。

 

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