「Homo homini lupus.人間は人間にとって狼である」。プラウトウスが『アシナリア』の中でそう言ったという(金子晴勇編訳 「エラスムス『格言選集』」知泉書館 2015年 p.14)。
不勉強ゆえプラウトウスも『アシナリア』もよく知らないが、まさにHomo homini lupus、人間は人間にとって狼であると思わされたのが先日のちきりん氏のツイートだ。
森元首相の発言に対し、価値観の再教育が必要だから、〈中国共産党やってたみたいに再教育キャンプとかに入れたほうがいいんじゃないかと思うよ〉と放言したのだ。
ウイグルとかの問題が指摘されている今、よくそんなことが言えるなと恐怖した。
蒸し返すが、なぜ自分が再教育を命ずる側に回れると無邪気に信じられるのだろうか。自分がある日突然、強制的に再教育キャンプに連行される側に回るかもしれないとは思わないのだろうか。
歴史を振り返っても世界を見回してみても、昨日までのマジョリティが突然マイノリティ側に回りひどい目に合うなんて話は、腐るほどある。
「YOU MIGHT NOT COUNT IN THE NEW ORDER.新秩序では、きみは数にはいらないかもしれない」
1991年にカナダで出版されたダグラス・クープランドの『ジェネレーションX』には、そんな警句が掲げられているページがある(角川文庫 平成七年 p.253)。
1990年に湾岸戦争前にブッシュ大統領が演説で「new world order、新世界秩序」を打ち立てるといって熱狂的に米国民に受け入れられた。君は「新秩序」を熱狂的に受け入れているけれど、その「新秩序」には君自身はカウントされてないかもしれないよ、という警句だと思っているがほんとのところはわからない。
誰もが無意識のうちに、卵を叩き割る壁や卵を壁に叩きつける側になれると思っている。しかし壁に叩きつけられる卵の側に回ることだってある。いやむしろ卵側に回る人や場合のほうが多いかもしれない。
だからいつ卵側に回っても困らないようにしておこうぜ、もちろん壁が壊れてもいけないけどな、っていうのが民主主義国家のシステムデザイン思想だと思う。
そこらへんを徹底的に考え抜いて文字化したものの一つがアメリカ合衆国の設計図である『ザ・フェデラリスト』(A.ハミルトン他 岩波文庫)ではないかと思うのだけれど、時間も尽きたので今日はこのへんで。
そんじゃーね!