破滅と確率についてタレブはこう語っている。
〈(略)「重要なのは順序であり、破滅の可能性があるところでは費用便益分析がまるきり無意味になる」(略)〉(ナシーム・ニコラス・タレブ『身銭を切れ』ダイヤモンド社 2019年 p.388.原題『SKIN IN THE GAME』)。
以下、生煮えだが頭の整理のために書く。
コロナ禍で活動できないのでここ1年くらいTwitterに入り浸っている。反マスク反ワクチンの人たちに絡まれる機会も増えた。そうした中で反マスク反ワクチンの人たちは、タレブのいう「アンサンブル確率と時間確率の混同」をしていると感じる。
例によってオリジナルの造語を振り回しているタレブだが、彼のいう「アンサンブル確率」というのは集団における確率で、「時間確率」はひとりの人間の時間推移と関連する確率だ。
あるカジノにおけるギャンブラーの破産率が1%だとする。パッときくと、カジノを訪れるギャンブラーの100人に1人が破産し、残りの99人は無傷な様子が想像される。これは集団における確率、「アンサンブル確率」のイメージだ。
では、1人のギャンブラーが100回カジノに通い続けた場合はどうだろう?これが「時間確率」のイメージだ。
1人のギャンブラーが100日カジノに通い続けた場合、たとえば28日目に破産が訪れる。29日め以降の日々は、無傷ではいられない(算数的には100日を終えてギャンブラーが無傷で立っている生存確率は1一0.99の100乗=36.6%くらいでしょうか)。
「アンサンブル確率」と「時間確率」を混同すると痛い目にあう。「時間確率」が破滅とかかわる場面では早晩破滅は訪れるから、破滅が避けられないならせめて破滅の順序を少しでも遅くできるよう行動せよ、というのがタレブの考えだと思う。
コロナ禍でマスクやワクチンを忌避する人の中には「重症化するかどうかは確率の問題だ。〇〇株は重症化確率が低いときいた」というアティテュードの人がいる。
だが「アンサンブル確率」、集団における確率で重症化確率が低くくても(そもそも専門家のいう「重症/軽症」と非医療者が想像する「重症/軽症」が違いすぎる)、1人の人が何度も感染リスクや重症化リスクのある場面を毎日何度も経験する「時間確率」では、意味合いがまったく違う。
感染リスクや重症化リスクはゼロにはならない。
だが報道で言及される「アンサンブル確率」を「時間確率」に読み替えて、いつの日か感染するにしてもそれが起こる順番をできるだけあとにすることは出来る。コロナ禍発生から時間が経過してワクチン開発や治療薬開発により破滅リスクが軽減できるようになったことを考えると、仮にかかるとしても順序をできるだけ遅らせることはすごく意味がある。