「ストップ・トゥー・スメル・ア・ローズ。道に咲くバラの匂いを嗅ぐために立ち止まる。そんな人生を、ぼくは送りたいね」
そう言ったのはオーストラリア人のティムだった。今から20年以上前のこと。
『なりたい自分』と『ありたい自分』のことを考えて、そんな道に咲くバラのことを思い出した。
道に咲くバラの匂いを嗅ぐために立ち止まるような自分であることが出来ているだろうか。
人生後半戦、時間とお金をどう扱うかという話をずっとしている。
巷に溢れるライフハック本をいろいろ読むと、「時間を節約して自分に投資を」みたいな話がよく出てくる。立派な心がけだと思う。
だが人生後半戦になってくると、そこにいささかの虚しさを感じるようになる。
『なりたい自分』になるために無駄な時間を無くすというロジックは、どこか『モモ』に出てくる灰色の男たちを思わせる。
無駄な時間を無くす、という強迫観念の先にあるのは、灰色の男たちの葉巻だったじゃないか。
そう考えると、ライフハック的な時間節約術にあまり乗り気になることは出来なかった。
しかしここ数日、『なりたい自分』と『ありたい自分』を考えるなかで、少々心持ちが変わった。
『なりたい自分』実現のための時間節約術があるのならば、『ありたい自分』実現のための時間節約術があってもよいではないか。
日本マクドナルド創始者の藤田田氏によれば、ユダヤ人がしゃかりきになって働くのは、おいしいものを心ゆくまでゆっくりと味わって食べるためだという(藤田田『ユダヤの商法』39「働くために食うな、食うために働け」より)。
彼らは1ドルでも多く稼ぎ、1ドルでも多く節約し、そしてその富を人生の目的である贅沢な晩餐をなごやかに摂ることに費やすのだという。
同じことが、人生後半戦の時間の使い方にも言えるかもしれない。
1分でも無駄にせず、1分でも多く節約し、そしてそうして生まれた時間を、道に咲く花を愛で、朝のコーヒーを味わい、家族や友と語らうために存分に使うのだ。
灰色の人生ではなくバラ色の人生を送るために、ぼくらは生まれて来たのだから。