良い中学や高校に入るため子ども時代を耐えて頑張る。
良い大学に入るために中高時代を耐えて頑張る。
良い会社に入るために大学時代を耐えて頑張る。
良い引退生活に入るために会社時代を耐えて頑張る。
良い墓に入るために引退時代を耐えて頑張る。
最後には立派な墓が建つ。
立派な墓の前でどこかの誰かがこう叫ぶ。
「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」
40代を前に手に取った本、『40代を後悔しない50のリスト』(大塚寿著 ダイヤモンド社)にこんな話が載っている。
〈「若いころから目標設定をして、その目標を実現させて成功した人ってなぜ、みんな不幸そうな顔をしているのか」(略)〉(p.58)。
高い目標を掲げて血の滲む努力をし、その目標を達成して成功する。絵に描いたようなサクセスストーリーだが、著者はそうした人たちはみな、不幸そうな顔をしているという。なぜか。
著者の答えは、「今を生きていないから」。
常に10年後、20年後の『なりたい自分』を追い続けているから、「今」の幸せを味わえないのだろうというのが著者の考えだ。
ではどうしたらよいのだろう?
著者はこう言う。
『なりたい自分』だけではなく『ありたい自分』にも目を向けよ。
どう『なりたい』かは未来の話だ。そして、どう『ありたい』かは今の話である。
元気で健康な自分、心の余裕がある自分、いつもにこにこ機嫌の良い自分、誰にでも親切で気持ちの安定した自分、心の底から楽しそうな自分。
そんな、『ありたい自分』を意識しその方向にエネルギーを注ぐことで、「今、ここ」を楽しむことができる。
人生後半戦で、どこに時間とお金を突っ込むかという話の続きをしている。
こうした話に関心を持つ人というのは、もともと『なりたい自分』を追求する性向が強いだろう。
努力に努力を重ね、一定のものを手に入れたからこそ、人生後半戦になって「これからどうしよう」と迷いが生じるのだ。
死すべき存在の人間に与えられた時間は有限だ。刻一刻と我々は死に近づいている。
人生の有限性が手触りを持って実感される人生後半戦において、『なりたい自分』実現に全振りするスタイルから、ある程度『ありたい自分』実現に時間とお金を突っ込むスタイルに変えていく。今という「生」を十二分に堪能するシフトチェンジを行うのが、人生後半戦の極意であり醍醐味なのかもしれない。