「我もまた、旅立つ者である」

遠藤周作氏の書いたものの中に、「タバコを吸う人はタバコを吸う医者にかかれ。酒飲みは酒飲みの医者にかかれ」という趣旨のものがあったように思う。タバコ飲み(懐かしい言葉ですね)の気持ちはタバコ飲みにしかわからないし、酒飲みの気持ちは酒飲みにしかわからないから、というのがその理由だった。
 
佐藤優氏と斎藤環氏の対談『なぜ人に会うのはつらいのか』(中公新書ラクレ 2022年)を読んでいてこんな一節に出会った。
 
〈斎藤 (略)
最近出てきている言説に、ケアリング、看護において人をケアするのがなぜ有効なのかというと、ケアする側も死するべき運命を持っているからだ、というものがあります。だからこそ、患者に心から寄り添えるというわけですね。(略)〉(前掲書p.94-95)
 
映画『おくりびと』の原作(クレジットから外れているが原作といってよいだろう)『納棺夫日記』(青木新門 文春文庫 1996年)にこんな話がある。
 
〈癌の末期患者に関するシンポジウムかなにかだったと思うが、国立がんセンターのH教授が発言した言葉だけを覚えている。
 ある末期患者が「がんばって」と言われる度に苦痛の表情をしているのに気づき、痛み止めの注射をした後「私も後から旅立ちますから」と言ったら、その患者は初めてにっこり笑って、その後顔相まで変わったという話であった。〉(p.65)
 
「我もまた、いつの日か旅立つ者である」ということを痛感して患者さんと接することがこんなにも大事だとは、若き日には分からなかったように思う。