フィンランド、ベーシック・インカム導入?

先日、ネット上で<フィンランドベーシックインカムを導入する方向>というニュースが流れた(①)。続報によれば正確には検討中とのことで、フィンランド政府は訂正に躍起になっているそうだ(②)。

当初のニュースによれば、国民1人あたりに月800ユーロ、日本円て11万円を支給するという話で、それにあわせてすべての社会保障制度を停止するということであった。もし実現すれば800ユーロの支給は年齢や収入に関わらず一律で行われるはずで壮大な社会実験となる。だがしかし、結局はうまくいかないだろう。

国民1人ひとりに一律に現金を支給し、そのかわりに一切の社会保障(医療保険や年金、生活保護など)を廃止するというベーシックインカム制度は昔からたびたび議論されてきた。
面白いことに、このアイディアの支持者はいわゆる右にも左にもいる。
「小さな政府」を志向する自由主義者は、ベーシックインカムにより政府の役割が小さくなることを歓迎する。巨大な福祉予算をどう切り分け、どんな事業を公的に行うかというところに政府の役割が発生し、福祉関係の現場を担う公務員(現業職員)の雇用が必要となる。これらを間接コストと見なせば、福祉国家は「大きな政府」であり膨大な運営コストを要するものとなる。それに対しベーシックインカムは単純に国民1人ひとりに一律に現金給付を行うだけなので、「小さな政府」派には大歓迎なのである。
いわゆる左の人々は別の角度からベーシックインカムを支持する。どんな人間であろうと生きる権利があるという立場から、生存可能な最低限の保障を得られるという制度は喜ばしい。生きる糧を得るために泣く泣くブラック企業で働いている人たちも、ベーシックインカムがあれば食えなくなる心配なしにブラック企業を辞めることが出来るようになる。労働者を確保するためにはブラック企業側も待遇を改善せざるを得なくなるので、労働環境もよくなるはずという理屈だ。

しかしながらぼくがベーシックインカムはうまくいかないだろうと思う理由は、そのほかの社会保障・福祉制度を一切廃止するという付帯条件である。
少なくとも「小さい政府」派にとってはこの部分こそがベーシックインカム支持理由の核心だが、財源以外ではここがネックだ。
社会保障をストップして現金給付で代替するというのは、社会の構成員がだいたい同じ人間で、それなりに合理的な判断ができ、先のことを自分で考えて行動できるということを前提にしている。しかし現実はそうではない。
医療現場にいると、不幸にして病気やケガで脳に損傷を追ってしまったかたに毎日お会いする。そうした患者さんはさまざまな制度を利用しながら必死で日々を生きているわけで、ぼくはそれを「社会とは、困ったときはお互いさまの助け合い」と考えている。しかしベーシックインカム導入となれば、そうした制度は廃止され、月々の現金が手渡されて「あとはこれでやってください」、となるわけだ。無理だ。

そのほかにも、幼児はどうするという問題もある。

おそらく、そうした病気や社会的に弱い立場の人、子供は別途対応する、という話が出るだろうが、それではベーシックインカムにならないのは上述の通りである。例外を認めだしたらベーシックインカム制度の「売り」がなくなるのだ。
また、ベーシックインカムによりブラック企業の労働環境が自然と改善されるだろうという話も疑問で、おそらくブラック企業が海外に移転したり、いろんな手を使って安価な外国人労働者を招きいれたり、ボランティア的な働きを強調強制したりする方向にいくのだろう。

アイディアとしては面白いけれど、実際にはちょっとね、というものは世の中にたくさんある。ベーシック・インカムもその一つで、フィンランドでのベーシックインカム議論がどう進んでいくか、大変興味深い。

http://www.businessnewsline.com/news/201512071631370000.html

「フィンランドでベーシックインカム導入決定」は誤報 「あくまで調査が始まるだけ」と大使館が否定 - BIGLOBEニュース

 

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ベーシック・インカムはなぜ机上の空論なのか

フィンランドベーシック・インカムを検討中というネットニュースを読んで、うまくいかないだろうと思う理由を今朝まとめてみた。
財源以外の最大の理由は、ベーシック・インカム制度が、社会の構成員を比較的均等のものと仮定している点である。国民一律の現金支給と引き換えに、一切の社会保障・福祉制度を廃止するのがベーシック・インカム制度で、報道によればフィンランドで検討されているのは月々800ユーロ、11万円の現金一律支給だという。
介護保険制度で最も重い要介護5のかたは、とても11万円では現在の介護サービスを維持できない。幼児に11万円を支給して、「将来に備えてこれで教育サービスを購入しなさい」と言っても無理だ。
ベーシック・インカム制度は、社会の構成員がそこそこの元気さとそこそこの判断力を持って合理的に行動できるということが大前提か、さもなければ11万円現金支給でうまく自己管理できない者は見捨てるということが暗黙の了解である制度なのだ。

そのほかにもベーシック・インカムが机上の空論である理由はある。
社会保障の実現方法には、現物給付と現金給付がある。
健康保険や介護保険では、加入者が必要な医療・介護サービスを、実際の医療行為や介護行為として受け取っている。
医療・介護にかかるコストの1割から3割を受益者が自己負担し、残りのコストを健保組合などが払うわけだが、実際に利用者が受けとるのは医療行為・介護行為という「現物」であり、こうした形を現物給付という。
それに対し生活保護や年金は現金で給付される現金給付である。ベーシック・インカムは究極の現金給付だ。
現物給付と現金給付を比較すると、現物給付のほうが優れている、と神野直彦は言う。
現金給付のほうが不正受給が起きやすいのはごく一部の生活保護不正受給者を見れば明らかである。現物給付で不正受給しようとしても、不必要に点滴してもらったり病気じゃないのに手術を受けたりするくらいで、そんなので喜ぶのは一部のマニアだけだ。
ただ、現金給付の不正受給の問題は透明性を高めればある程度減らせるはずで、だからこそ透明性の高い北欧でベーシック・インカムの話が出てきたのであろう。

現金給付の欠点のもう一つは、現金は限界効用逓減効果が低く、欲求が無制限というところにある。
介護サービスを週3日受けている人が、もっとサービスを受けたいと思っても、物理的に週7日が限界だ。
しかし現金給付で仮に月11万円のベーシック・インカムを受けたとすると、もっと欲しいと思えばキリがなくなるのである。もらえるものなら11万円ではなく22万円欲しいと思うだろうし、22万円もらえば44万円欲しいと思うだろう。その結果、ミニマムの福祉を目指したはずのベーシック・インカム制度が、少なくとも予算面に関しては肥大していく恐れがあるのだ。
だからこそベーシック・インカムは永遠に机上の空論にとどまるはずである。

しかしながらTheory follows events、理屈はいつでも現実の後追いなので、実際にベーシック・インカム制度をやってみたらどうなるのか、フィンランドの動向に興味津々である。

 

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