Forbes JAPANオンライン版11月14日配信の記事によれば、『3分診療の時代は終わった』、という。
記事の中で、大学教授の著者がアメリカの高名な精神科の教授と福島の病院の慰問に回る。原発事故の直後、人々の表情は固い。しかしアメリカ人の教授が「今、あなたの心に浮かんだ言葉はなんですか?」「なぜ今の生活を変えたいと思うのですか?」と質問していくと、人々はどんどん本音を語りはじめ、インタビューが終わるころにはすっかり晴れやかな表情になっていったという。
一方、と記事は続ける。
<日本全国の医療機関では3分診療が繰り広げられている。「それではコレステロールを下げる薬を処方しておきますので、次回までには体重を少なくとも2kgは減らしてきてください。くれぐれも暴飲暴食は避けるように!」と患者さんは言われなくてもわかっている指導を受ける。本当は「どうやったら自分を変えられるか」を知りたいのに。>(同記事より)
記事の論調は、過食の根底にはストレスや不安があり、そこに対する介入や指導なしでは問題は解決しない、しかし日本の医者はそこに気づかずただ薬を出しているだけだ、というものである。日本の医者が無知で無自覚なために3分診療が横行しているのだ、という感情が行間から感じられる。
3分診療でよいと思っている医者はいない、と思う。
この記事で絶望的に見落とされていることが2つある。
一つは比較対象を間違えているということと、もう一つはマクロとミクロの混同である。
具体的に述べる。
同記事の著者は、アメリカの高名な精神科教授のアプローチと日本の一般的な医師の診察風景を比較して日本の3分診療はダメだというスタンスだ。
しかしアメリカの医療の最も良質な部分、意地悪く言えばGDP比16.4%の医療費を使い数千万人もの無保険者(オバマケア以前)を切り捨てて運営されているアメリカ医療の、ピラミッドの頂点の精神科医が被災直後の福島を訪れて行った診察スタイルと、日本のフツーの医者のフツーの診察スタイルを比較して云々するのはフェアじゃない。
比較するならばアメリカ医療の最高峰と日本医療の最高峰の診察スタイルを比較するか、アメリカにもたくさんいるフツーの医者およびウォールマートクリニックで低所得者向けに行われている医療(主にナースプラクティショナーという一定範囲の診療を行う有資格看護師が診療を担当する)の平均的診察スタイルと日本のフツーの診察スタイルを比較するべきだ。
(比較対象がアンバランスであるという自覚および明示があればその限りではない)
何度でも繰り返すが、3分診療のままでよいと言いたいわけでもないし、アメリカ医療がいいとか悪いとか言いたいわけでもない。ただ、議論はフェアにやらないといけないといいたいだけだ。
もう一点はマクロとミクロの混同である。
つまり、この記事の著者は、3分診療は個々の医者の心掛けがなっていないせいだ、と言外ににおわせているのが気に食わない。
一人一人の医師の心掛けで、懇切丁寧に過食の根底にあるストレスや不安を取り除く努力をしていけ、というのであるならば、残念ながら今の日本の医療資源では不足である。
3分診療をしないと診察室に待っている患者さんをさばけず、医療現場は回らないから3分診療せざるを得ない現状がある。これは需要と供給のバランス、マクロの構造的なものなのに、それをミクロの個々の医師の姿勢とか心掛けのせいだとしているように思えてならない。
立っている場所によって見えるものは違う。
大学病院にいれば、患者さんが多すぎれば紹介状なしの患者さんを断ったりして診る数を減らしたり、あるいは初診料を1万円に設定して受診のハードルを上げたりして患者数を好きなようにコントロールできるだろう。しかし大学病院や大病院で門前払いされた患者さんを診ている医者がどこかにいるわけで、それはぼくも含めた日本のフツーの医者だ。フツーの医者がなんとかかんとか、3分診療とけなされながらもたくさんの患者さんの診療をこなしているのだ。
3分診療で薬を出すだけ、言わずもがなの指導をしてるだけと言われても、そんなぎりぎりの限られた時間の中で、なんとか重病化しそうな兆しを持った患者さんをピックアップし選別して紹介状を書いて大病院や大学病院にお願いしているわけである。
3分診療の時代は終わった、と記事は言う。ぜひ3分診療の時代を終わらせて欲しいと切に願いながらも、ぼくはぼくで自分のできること、3分診療であっても極力クオリティの高い診療を目指すことを、明日もやっていくだけだ。
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