遠隔診療の普及についての一考察

先日、ある患者さんを別の医院にご紹介する機会があった。

長年ぼくの外来に通ってくださった方だったが、年齢が上がるにつれて脚が悪くなって通院が大変になり、ご自宅の近くの別の医院に紹介することとなったのだ。

「先方への紹介状をお書きしましたので、これからもお元気でお過ごしください」とぼくが言うと患者さんは「先生もお元気で」とおっしゃり、涙ぐんでしまった。

そのときぼくは初めて思った。ああ、遠隔診療のシステムを使えればいいのに、と。

この文章において、遠隔診療という言葉はテレビ電話やインターネット回線を用いて自宅に居ながらにして診療を受けることができる仕組みを指すこととする。
遠隔診療は、海外ではある程度行われているが、今のところ日本ではまだ広まっていない。広まっていないことの理由の一つは、日本の医療制度が持つフリーアクセスという特性である。
日本では、患者さんは必要に応じて全国の医療機関をどこでも利用できる。アメリカやオーストラリアなどと比べると人口が密集していることとあいまって、家の近くに何かしらの医療機関があるので今までは何とか通院できる人がほとんどであった。

また遠隔診療が普及していない別の理由に、国民性としてフェイス・トゥー・フェイスの関係性を大事にするということがある。
ビジネスの取引でも、担当者が変われば「とりあえずごあいさつに」と足を運ぶし、なにかミスをやらかしたときにも「とりあえず顔を見せに来ました」というのが好まれる国民性だ。
症状に変わりがなくても、患者さんサイドも医療者サイドも、とりあえず会って顔を見ておくというだけでお互い安心する、というのが日本の医療の姿であった。

遠隔診療の普及がスローペースなのはこうした国民感情が大きな原因である。要するにニーズがあまりなかったのだ。
あとから指摘されるのもなんなので言及しておくと、医師法の第20条に<医師は、自ら診察しないで治療をし、(略)てはならない>という規定(①)があって、遠隔診療はそこに引っかかるのではないか、という懸念もあった。
しかしながらその部分については平成27年8月10日付で厚生労働省医政局長名で出された事務連絡(②)によって、きちんとやれば遠隔診療は第20条に触れませんよ、と明確にされた。
余談だが厚生労働省はよくこの事務連絡というものによって医療現場を右往左往させる。通達行政という奴でしょうか。医療行政の細かいところや解釈まで国会で審議するわけにもいかないのでやむを得ないが、医療現場にとっては大変大きな変更が事務連絡一本で行われたりするので現場は振り回される。C'est la vie。

さて、遠隔診療だが、今までぼく自身は比較的否定的であった。
テレビモニターごしに診察するというが、診察には患者さんの話を聴く問診や目でみる視診だけでなく、手で体を触って診察する触診や聴診器で心臓や肺の音を聴く聴診もある。
問診や視診はまだしも、触診や聴診は遠隔診療ではできないではないか。
問診や視診だって限界がある。
「先生、最近顔色が悪いって家族に言われるんです。どうしたらいいでしょう」

「どれどれ、ほんとだ。顔色が青白いですね。大丈夫、こちらのほうでモニターのカラー補正しときましょう。ほら直った。…あとでフォトショップも使っておきますよ」

ではコントである。

だから遠隔診療システムは、日本では普及しないのではないかと思っていた。
しかし冒頭の患者さんとのやりとりを経て、遅まきながら考えが変わった。

高齢化を機に、1km先のかかりつけの病院まで行くのも困難な患者さんというのは急増する。

今はそうした患者さんというのは在宅医療の専門の医師にバトンタッチしていたのだが、在宅診療の医師の数にも限りがあるし、足腰が弱って通院は大変だけども他の身体機能はそれほど弱っていない患者さんまで在宅診療医がカバーするとキリがない。
また、患者さんサイドにも、できるならば今までかかっていた医者に診てもらいたいというニーズがある。慢性期になればなるほど、医者のほうもつきあいが長くなるので「できるんだったら診て差し上げたい」という気持ちが出てくる。

上述の厚生労働省事務連絡を背景に、いろいろな医療機関や会社が遠隔診療市場への参入準備を加速させている。
在宅医療という概念が浸透するまでにかかった月日を考えると、アプローチの仕方を間違えると遠隔診療という概念が浸透するまでに時間がかかってしまうだろう。

 

遠隔診療を現行の医療と別ものとして扱うとたぶんうまく行かない。

また、働きざかりの年代をターゲットにして、「忙しくて病院に行けない」層向けにシステム開発をしてもたぶんコスト回収面で失敗する。
働きざかりの年代は総じて健康で、高齢者に比べて長期に渡り複数回の通院が必要になる可能性は低い。すなわち、遠隔診療システムを利用しても利用頻度は多くない。

遠隔診療システムの商品開発をするにあたってターゲットにすべきなのは、長年かかりつけの病院や医院にかかっていたが、足腰が悪くなって通院できなくなってきた高齢者である。

現在、日本ではできるだけ大病院から地域の診療所やクリニックに慢性期患者さんを戻す方向性にあることも考えあわせると、システム開発のイメージがつかめてくるだろう。

すなわち、

1)高齢者も使いやすいインターフェース

2)中小の診療所やクリニックでも導入できるローコスト

3)全国をカバーするような単一の事業体が使うシステムではなく、全国のクリニックや診療所が半径数キロの医療圏をそれぞれカバーするシステム

ということになる。1,2から考えると、スマートフォンをベースにした仕組みが妥当だ。

 


一言で言えば、遠隔診療を現行医療体制の代替材ではなく強力な補完材としてみないと見誤ることになるだろう。
遠隔診療の普及は患者さんと医療者にとってよいことだ。

だが、遠隔診療システムの普及は、ドラマティックでイノベーティブなメガチェンジではなく、じんわりとだんだん広がって、気が付けば便利になったという感じでゆっくりと進んでいくと思う。
よきことは、かたつむりの速度で進むのだ。

医師法20条

http://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-10800000-Iseikyoku/0000094452.pdf#search='%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E7%9C%81+%E9%81%A0%E9%9A%94%E5%8C%BB%E7%99%82'

 

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