今日もまた、「クレストール飲まないほうがよいって言われた」という問いあわせがあった。
ぼくの職場だけでも毎日何度もそうした相談があるくらいだから、全国的にはどれだけの人が週刊現代の特集に影響されているのだろうか。こうなってくると、週刊現代のせいで薬をやめた患者さんがどれくらいいるか、ぜひ誰か追跡調査しほしいものである。
3週連続週刊現代の特集に振り回されてくると少々うんざりだ。実際、薬については毎週同じような内容の繰り返しで、そろそろ新しいネタが欲しくなってくるころである。
ナイショの話だが、実を言うと次はいったいどんな無理筋のネタでくるのか最近楽しみになってきてしまった。
悟空風に言えば「オラ、なんだかワクワクしてきたぞ!!」、宇能鴻一郎風に言えば「あたし、なんだか、わくわく、しちゃうんです。」といったところだろうか。宇能鴻一郎の小説が載ってるんですよ、週刊現代に。
個人的に次の週刊現代特集がどんな手でくるのか楽しみだが、間違いは間違いで正しておかなければならない。
小さな間違いや疑問点はいくつもある。
6月11日号p.43「飲み続けてはいけない薬リスト①」では、プラビックス、ブロプレス、オルメテック、ミカルディス、ディオバン、アジルバ、クレストール、ジャヌビア、エクア、アクトス、アリセプト、メマリー、パキシルなどメジャーな薬がすべて商品名で列挙されているなかで、ジアゼパムとエチゾラムだけが薬品名で記載されているのがナゾだ。
薬には薬品名(化学的・薬学的な学問上の名称)と商品名(それぞれの製薬メーカーが付ける名前)があって、こういうリストを作るときにはすべてを薬品名か商品名に統一すべきで、大多数の薬が商品名で書かれている以上、ジアゼパムも「セルシン」「ホリゾン」という商品名で書くべきだし、エチゾラムも「デパス」という商品名で書くべきだ。
依存性および安易に処方されている点からすると「デパス」単体の過剰使用だけでもおおいに警鐘を鳴らすべきなのに、ジアゼパムとエチゾラムだけ薬品名で書いてあるのはなんらかの意図があるのだろうか。
また、同号p.45の「飲み続けてはいけない薬リスト②」では、「片頭痛」と表記すべきところを「偏頭痛」と書いてしまっている。医学用語では「片頭痛」が正しい。これを見ただけで専門の医者は「あー、詳しくない人が調べないで書いたんだな」と思う。
薬の説明も怪しい。
<アリセプトは、用量の規定があり、最初は3mg、1~2週間後に5mg、さらに症状の進行に合わせて10mgにすると決められている。医師の判断で用量を変化させると、薬のレセプト(診療報酬明細書)審査が通らず、病院は健保組合から医療費の支払いを受けられない仕組みになっているのだ。>(同号p.44)と書いてあるが、それは全国的なことなのだろうか。
少なくともぼくが働いている千葉県と東京都では、<医師の判断で用量を変化させると、(略)医療費の支払いを受けられない>ことは今までなかった。
<病院が医療費の点数がつくからといって何も考えずに処方した薬を飲み続けることで、寿命を縮めることだってある。>というが、医薬分業(病院は処方せんを発行し、その処方せんに基づき病院外の薬局で処方薬を買う仕組み)が発達した現在では、いくらたくさん薬を処方しても病院がもらえるのは処方箋発行料だけ。しかも処方する薬が7種類を越えると、もらえる処方箋発行料は減額されるのだ。病院と薬局でもらう領収書をみれば一目瞭然の話だ。
病院が儲けるために薬をたくさん出す、なんて印象操作は、時代遅れ極まりない。
印象操作と言えば、6月18日号の匿名座談会もけっこうひどい。
准教授、開業医、製薬会社の医薬情報担当(MR)が匿名で語り合う、という形式の記事だ。
<准教授 吐き気止めや下痢止めも同じこと。体の毒を出そうとしているところを無理に止めたら、毒が出て行かない。患者本人は苦しいから「どうにかしてくれ」というので、ついロペミンやナウゼリンを出してしまう医者は多いですが……。>(p.185)
は??そんな医者、みたことないけど。どこの准教授だ(笑)。
こういう『匿名座談会』的な記事はたいていの場合、下請けライターがでっちあげで書いていることが多いので、話半分に読んだほうがよい。
『匿名官僚座談会』とか『匿名OL座談会』とかってたいていそうでしょ。
6月25日号特集にも細かい間違いが散見される。
<サイアザイド系の利尿剤であるラシックス>(p.54)、<(ラシックスは)古くから降圧剤として使われてきたサイアザイド系利尿剤>(p.55)とあるが、ラシックスはサイアザイド系利尿剤ではなくループ利尿薬だ。
細かい間違いというかもしれないけれど、さんざんエビデンスのあるのはサイアザイド系だけ、って書きまくっているのだからこの間違いは致命傷だ。神は細部に宿る。
変に切り取られて「医者が薬の副作用を否定している」なんて言われるのはイヤなので、何度でも書く。
全ての薬は副作用のリスクがある。薬を使うなら必要最小限にすべきだ。
でも、だからといっていい加減な記事で人心を惑わせてよいことにはならない。
ネット上でマスコミのことを軽蔑の念を込めて「マスゴミ」と表記する人が結構いる。
印象操作と「報道しない自由」を駆使して、マスコミが世論を誘導してきたのではないかという意識がその背景にある。
ぼくはその手の陰謀論には与しない。マスコミにはマスコミの社会的使命があると心底思っている。
ネットジャーナリズムが既存のマスコミの対抗勢力になり得るかと期待されていた時代もあったが、残念ながらそれは裏切られた。ネットのニュースの発信元は今も新聞・雑誌が大半だし、そうでなければ<見出しだけキャッチ―な誰が書いたか分からないテキトーなネットニュース>(東村アキコ『東京タラレバ娘』act14「透明人間女」より。仕事に目覚めるこの回、いいよね)ばかりだ。
ウブだと言われようが、ぼくはジャーナリズムに期待している。だからこそ、いい加減な記事が出ても冷笑的にスルーせず、きちんと反論しておきたい。
あたし、期待、しちゃってるんです(宇能鴻一郎風)。