2017年5月中旬くらいから経産省『次官・若手プロジェクト』のpdfが話題だ。
http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf
改めて読み直してみたが、一言で言えば「ツギハギ感」が目につく。レベル感や問題意識がバラバラの資料を一見体裁よく整えた、という印象を受けた。
具体的に述べる。
シルバー民主主義をどう乗り越えるか、というのがテーマの一つだが、「シルバー民主主義」の単語はp.49になり唐突に出現する。本来ならば、シルバー民主主義の定義や弊害の事例を提示した上で、かくなる事情でシルバー民主主義は克服しなければならないと論じ、そのうえで方策を提示するという流れが一般的だ。
また全体の構成も「1.液状化する社会と不安な個人」「2.政府は個人の人生の選択を支えられているか?」「3.我々はどうすればよいか」と、1.現状認識→2.問題意識提示→3.行動の呼びかけ、の体裁をとっているが、繰り返し読むと視点の一貫性に乏しい。
1の部の主語は個々人であり、個々の人々がそれぞれの不安を述べている。
2では大項目では政府を主語としていながら語られるのは「定年後にやることがない」「死ぬ間際に無理して“生かされてる”」「母子家庭では貧困が再生される」「非正規雇用で不安定」「若者の無力感」という話と、その後突然「ネットでの情報は偏っている」的な話。それぞれの主語がバラバラなのだ。
3では「抜本的に」社会のありかたを変え、高齢者を支える社会から子どもを支える社会に変えましょうみたいな話が出てくる。
政府観、国家観も統一されていないのも改善点である。
政府や国家というものが、「社会保障制度により個人の選択をゆがめる」=社会保障過剰・過干渉みたいな話をしたかと思えば、「母子家庭の貧困」=社会保障過小・手が行き届かないみたいな話が出る。
「個人の選択をゆがめている我が国の社会システム」という口調からは政府・国家は個人の選択へ影響をできるだけおよぼさないほうがよいという思いを感じる反面、「多様な人生にあてはまる共通目標を示すことができない政府」というフレーズからは、政府は国民に共通目標を示すべきという思想を感じる。前者と後者は本来真逆の方向性のはずだ。
また、2.「政府は個人の人生の選択を支えられているか」パートの(1)の①~⑤の項目はそれぞれ対象人数や予算規模、ライフステージがバラバラなものを五月雨式に並べているのも気になる。それぞれに割かれた資料のボリューム感もちぐはぐだ。
例えばこれが対象人数やインパクトの大きいものから並べたり、個人の誕生から死というライフステージ順に並べたりするなど、より読みやすい資料になる並べ方はあるだろう。
また、ライフステージでいえば、人生100年時代には夫婦関係パートナーシップのあり方も変わることが予想される(リンダ・グラットン他『LIFE SHIFT』東洋経済新報社 2016年 第9章)。今までと夫婦関係・家庭のありかたが変わるというのは既婚者にとって非常にリアル感があるが、そこらへんの言及がないのは参加メンバーに既婚者が少なかったせいかもしれない。
上記のようなところが当該資料の「ツギハギ感」の具体例である。
さて、なぜこうした「ツギハギ感」が残ったのかを推測してみる。
仄聞するところによると、今回のペーパーは経産省の20代から30代の若手キャリアによってつくられたという。その形成プロセスが「ツギハギ感」のもとになっているのであろう。
おそらく今回の議論は、まずはブラウンペーパー法をもとに開始されたはずである。
ブラウンペーパー法はカレン・フェラン著『コンサルタントはこうして組織をぐちゃぐちゃにする』(大和書房 2014年)のp.78-80に出てくる方法で、アナログで<ハートに訴える>検討方法だ。ブラウンの大きな模造紙にペタペタとメモしたポストイットを貼ったり問題の構造を書きこんだりしながら違う部署の担当者同士で議論する方法で、カレン・フェランはこれを最も効果的なディスカッション方法だとしている。
経産省のこのプロジェクトはこんなふうに始まったのではないだろうか。
「えー今回、『次官・若手プロジェクト』ということで、局のカベを越えて、ぜひフラットに平場で議論できればと思います。日本の中長期的な政策課題を考えるというわけで……とりあえず参加者のみなさんが、どんな問題意識を持っているか言ってみようか」
「…やはり今問題になっているのって、格差問題じゃないですか。特に母子家庭の貧困問題とか深刻だし」
「終末期医療の問題もありますよね。日本の医療費って、多くが死ぬ直前に使われるんです。意識もないまま胃ろうとかで寝たきりのまま何年も病院に寝かされてるって人がたくさんいるんです」
「自宅で死ねないのも問題だよね。外国だとみんな自宅で死んでるのに」
「やっぱり高齢者にばかりお金が行ってるよね。若者は非正規ばっかりなのに」
「大学とかのポストもそうじゃないですか。ぼくの同級生も、大学に残ったのに任期付きポストばかりでいつも不安って言ってます」
「やっぱりシルバー民主主義だよねー」
「高齢者はほら、票を持ってるから。そっちの政策ばっかりプッシュされちゃうんだよね。この間、(質)問取りでレクに行ったらさ…○△××で」
「あるある(笑)」
「えー収集つかなくなってきたので(笑)ちょっとここらへんで手を動かそうか。ポストイット配るので、それぞれの問題意識をどんどん書き込んでみて。時間は10分です」
(参加者、ポストイットに書き込む)
「じゃあ回収します。これをグループ分けしてみようか。んー『定年後の居場所がない』、『高齢者はテレビばかり見ていて非生産的』…ここらへんは<定年後>みたいなテーマだね。それから『終末期医療』『医療費をどこまでかけるか』みたいな話、子どもの問題、貧困の再生産…なんかでメモが一山できるね。ちょっとこれまとめてホワイトボードに書いてみて」
「これからどう進めます?」
「とりあえずさー、今出た5つの話をもうちょっと深堀りして情報を集めよう。仮決めでいいんで、担当分野決めようか。<定年後>について調べたい人、手あげてください。○○さん、△△さん、□□さんね。<母子家庭の貧困>、やりたい人は?☆☆さん?人数少ないけどだいじょうぶ?」
「ぜひこのテーマやりたいです!」
「じゃあ人数少なくて大変だけど、よろしく。<若者>は?◎◎くん、●●さん」
「大学の同級生とかに話聞いてみます!」
「じゃあよろしく。次回までに情報集めてもらって、簡単でいいんでそれぞれプレゼンしてもらおうか」
(以下略)
まったくの邪推であるが、こんなふうに会議は始まったのではなかろうか。
ここでいくつか落とし穴がある。
「フラットな関係性を意識しすぎるあまりリーダー/ファシリテーターの遠慮」「情報偏在によるバイアス」「ヒュームのギロチン」である。
続きはそのうち。
繰り返しになるが、今回の『次官・若手プロジェクト』に関し、作成と公表・拡散については強く支持する。内容をああだこうだいうのも参加メンバーの人格攻撃をしたいわけでも全否定したいわけでもなく、悪魔の代理人として議論を深めたいという一心である。
誰に頼まれたわけでもないのに我ながらしつこいが、そもそもからして悪魔というのはしつこいし頼まれもしないのにやってくるものなのだ。
ではまた。
↓しつこく宣伝。
関連記事