塾生皆泳ー自助、共助、公助の話

自助、共助、公助。
社会保障や防災・減災にどれも必要不可欠なもので、その必要不可欠性は勉強に置きかえるとイメージしやすい。
成績を伸ばそうとすれば自習(=自助)は欠かせない。自習だけでは限界があるから友人と教え合い(=共助)したり、学校で先生に教えてもらったり(=公助)したりする。自助だけでもダメ、公助だけでもダメで、自助、共助、公助すべて揃ってはじめて効率的な勉強ができるというものだ。

デンマークに高齢者福祉の見学に行ったときに感動したことがある。
エルドラセイエンという高齢者施設の前でせっかくだからと記念撮影しようと友人とカメラを片手にああだこうだと話していたら、近くで車が停まった。なかから見知らぬ背の高いデンマーク人が降りてきて、僕らにこう言った。
「写真撮るのかい?シャッター押してあげるからそこに並んで」
見知らぬデンマーク人は僕らの写真を撮ると、再び車に乗ってどこかへ走り去った。

この一例をもってデンマーク人は親切と一般化するつもりはない。だが、わが身に置き換えて、自動車運転中にどこかの「ガイジン」が自動撮影しようとしているのを見かけたからといってわざわざ車を停めて写真撮ってあげようと思うかを考えると相当な親切っぷりだと思う。高負担高福祉社会を成立させる背景には高・親切で高・共助な文化風土があるのかもしれない。

つらつら考えていくと、共助、公助というのは逆に厳しいものかもしれないと思い至る。
「塾生皆泳」という言葉がある。
慶應義塾大学の学生=塾生はみんな泳げなければならない、という考えで、実際に慶應大学では90年代前半まで水泳は必修だったそうだ。
なぜ「塾生皆泳」かというと、「溺れている人を助けようとするならば、自らが泳げなければならない。自ら泳げない者が溺れている人を助けようとしても、二人して溺れるだけだ」ということらしい(「中の人」、詳しく教えてください)。
すなわち、共助を本当に成り立たせるならば、それぞれがしっかりと自助できる力をつけよ、ということなのであろう。共助なら、助けてもらうだけではなく助ける場合もあるわけですからね。(続く)

 

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