いざというとき「おれがやる」と言えるのだろうか。

「おれがやる」。いざという時、自分はそう言えるのだろうかと自問している。

 

まずはじめに、誰かを貶すつもりは全くない。また、公的機関によるサポート、公助の必要性はどれだけ強調してもし過ぎることはない。その上で、「おれがやる」と言って立ち上がった人々の話をしたい。

 

聞いた話。
東日本大震災では本当に多くの方々が亡くなった。
たくさんの家が瓦礫と化し、瓦礫の山を前に、再建の日ははるかに遠く感じられた。
だがある町では、どこよりも早く、新しい家が建ちはじめた。保険会社の審査も途中で、公的支援も始まらないうちに、自力で家を再建したのは誰か。漁師たちだ。
板子一枚下は地獄。漁師の世界はそう言われる。船底の板一枚割れてしまえば、そこには荒海という地獄しかない。
そんな世界で何千年も生きてきた漁師たちにとって、究極的には信用できるのは自分だけだ。
誰かが助けてくれるまで待ってなんかいられない。「おれがやる」。そう思って、率先して漁師たちは家を建て直したのだろう。

 

震災後、「おれがやる」と立ち上がった人々はもちろん漁師だけではない。
ある人は、地平線まで広がる瓦礫の山を前に、「おれがやる」と立ち上がった。
瓦礫の山を片付けるにはクレーン車が要る。教習所に通って、クレーン車の運転免許を取った。瓦礫を運び出すには大型トラックが必要だ。大型トラックの運転免許も取得した。瓦礫をトラックに載せるにはショベルカーがなければならない。ショベルカーの免許も取った。ブルドーザーも、ロードローラーも、という具合に、気づけば何十もの重機を使って、故郷の再建に奔走するようになったという。
ここにもまた、「おれがやる」と言って立ち上がった人がいた。

 

「おれがやる」。
大震災のニュースを見て、ある医師はただちに立ち上がった。病院所有の車にありったけの薬を載せ、同僚の医師たちを募って、名古屋から東北へと向かった。現地の市役所で「医療支援は間に合っている」と門前払いされかけたという。大混乱で被災の規模やどこにどんな医療支援が必要かという情報が皆無というタイミングで現地に着いたのだ。今までの経験から、医療支援が間に合っているはずがないと直感した彼は、直接避難所に向かい医療支援に取りかかったという。
よくそんな素早く決断して動けたね。自分の職場の病院だって、何人もの医師がボランティアに行っちゃったら、正直日常診療も回らなくならない?後年、彼に聞いてみた。
「うちは親父も外科医でさ、神戸の震災の時にも親父が率先して駆けつけてた。そういうの、ずっと見て育ってるからな。
それに、ほかの地域の災害支援の経験というのは、万が一、自分たちの地域が被災した時に必ず役立つだろ。どう動けばいいか、身にしみてるわけだからさ。そう病院職員は説得してるよ。
まあさ、おれも医者だしさ、おれがやる、ってなっちゃうんだよね」
彼はこともなげにそう言った。

 

「おれがやる」、そう言い出せない人を責めたいという話ではない。
公助の必要性も、絶対だ。
それはそれとして、いざというときに、「おれがやる」と立ち上がれるかどうか、ぼくはいつも自問自答している。

 

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