「2019年に日本文化の潮目が変わった」と、後世の歴史家は語るだろうという話。

「2019年に日本文化の潮目が変わった」と、後世の歴史家は語るだろう。

 

世界的な大企業トップが「終身雇用継続は無理」と言ったり、大臣が「年金だけでは足りないから2000万貯めとけ」と言ったりした2019年。発言内容に関し、訳知りなひとたちの感想は「まあそうだよな」というところではないか。

 

日本文化は本音とタテマエを使いわける(本音とタテマエを使いわけるのは日本文化だけではないが、それはまた別に機会に)。

今まではタテマエを重視して言葉のうえだけで取り繕っていたのも、いよいよ限界に達したのかもしれない。限界の程度がどのくらいかは分からないが、平たく言うと「ぶっちゃけトーク」「本音ベース」なもの言いが、2019年なかばになりいわゆるエラい人にも広がってきた。
これは、「ぶっちゃけトーク」「本音ベース」なもの言いが、いよいよ本格的に社会に必要となってきたということである。

 

おそらくこうした潮目の変わりの萌芽が見え始めたのは2018年はじめころ。

ある人が、100円ショップの店員に商品の有無を尋ねたところ、「そこに無ければ無いですね」という返答がかえってきたというエピソードをツイートした。

おそらくツイートの主は「客商売としてそんな返答はけしからん。そこに無ければ必死になって探して、それでもなければ『たいへん申し訳ありません!』とあやまるべき」という文脈でツイートしたのではないか。自らのツイートに対し、「その店員は教育がなってない!」という形で「炎上」するはずと思ったのではないか。

しかし実際には、「そこに無ければ無いですね」という言葉は「そりゃそうだ」という納得感とともにおおくの人に受け入れられ、おもしろがられた。

togetter.com

 本音や現実を直視し、浅はかできれいごとなタテマエで取り繕うのをやめることを社会が許容し望み始めた、というのがこの「潮目の変わり」論の主旨である。

今わかる範囲ではその2018年はじめころが潮目の変わりはじめで、いわゆる社会の上層まで及んだのが2019年ということになるのではないか。

 

その背景には、取り繕う余裕がなくなってきたというのが大きい。しかし社会の構成員の年代や性別や文化的バックグラウンド、生育環境、出身国などが多様化して、社会の同質性が崩れたことも忘れてはならない。同質性を背景にした「言わずとも察して」が通じなくなり「言わなきゃわかんない」という状況が社会のあちこちに生まれているということだろう。
この流れは変わらないから、これから日本文化は「みなまで言うな。互いに空気読め」という文化から「みなまで言え。何度も何度も言葉を尽くして語り合え」という文化に変わっていくのではないか。

 
そんな希望を抱きつつ、ボブ・マーリーのかかるラーメン屋で南アジア系店員から魚介系スープのラーメンをサーブされる週末の昼下がり。

 

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